姫路市教育委員会、1982-10、101p、26cm
序
姫路市といえば 「国宝姫路城」が連想される程世界的に有名な文化財をかかえ、とかくその
他の文化財が霞みがちでありますが、市内には祖先の遺産である貴重な文化財が多数残されて
います。 昔から気候温暖な姫路平野は、政治、経済、文化の中心地として早くから開け、近年
とみにめざましい発展を遂げてまいりましたが,こうした都市化が急速に進む中で,文化財を
いかに残していくかは,私達に課せられた重大な使命といえましょう。
姫路平野南部に所在する兼田古墳群においても,例外とはなりえず, 昭和47年に鹿島建設株
式会社により土取り工事の計画が持ち上りました。 しかし後期古墳でも比較的古い時期のもの
として学術研究上早くから注目されていたところから, 兵庫県教育委員会の指導のもとに、現
状保存がはかられてまいりました。ところが,昭和55年,再度同社より開発計画があげられ、
折衝の結果,ついに発掘調査の止むなきに至りました。
調査は兼田古墳群発掘調査団に委託し,昭和56年1月より開始いたしましたが,真夏の炎天
下等困難な条件をよく克服されて, 順調に完了し,このたび、その調査成果をまとめることが
できました。 これはひとえに調査団の加藤史郎, 松本正信先生のご努力の賜であります。
本書が歴史資料として,多くの人々にご活用いただけるよう希望いたしますとともに、調査
に際してよせられました,地元ならびに調査関係者各位,さらに鹿島建設株式会社の多大の
協力に対し深く御礼申しあげます。
昭和57年10月12日
姫路市教育長 石坂豊明
状態:良好