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「史料纂集古記録編 第157回配本 勘仲記2 1278年〔弘安元〕~1282年〔弘安5〕9月」の検索結果
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史料纂集古記録編 第157回配本 勘仲記2 1278年〔弘安元〕~1282年〔弘安5〕9月

八木書店
 東京都千代田区神田小川町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂、八木書店、2010年、352頁、A5、1冊
"【新刊書の定価販売です】 藤原(広橋)兼仲(一二四四―一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本八十七巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
 とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"
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14,300
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂 、八木書店 、2010年 、352頁 、A5 、1冊
"【新刊書の定価販売です】 藤原(広橋)兼仲(一二四四―一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本八十七巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。  本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。  とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。※発送まで1~2営業日お時間いただきます"

史料纂集古記録編 第157回配本 勘仲記2 1278年〔弘安元〕~1282年〔弘安5〕9月

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂、八木書店、平22、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。

【収録】②1278年〔弘安元〕5月~1282年〔弘安5〕9月

【第2巻のみどころ】
●再び、蒙古襲来す$ 弘安4年(1281)6月、大宰府から蒙古襲来の報が届いた。いわゆる弘安の役である。長門・対馬をも襲った異国船は、大風波のために沈没し、数千の兵が残された。

●興福寺衆徒、春日神木を捧げて入洛す$ 京都南郊では神人・悪党の活動が活発化し、多武峯焼き討ちなど権門間の争いも激化した。興福寺と石清水八幡宮の相論が神木入洛に発展すると、朝廷・幕府は協力して解決の道を探った。

●宝蔵の重宝を覧ず 
鳥羽や宇治には古今東西の宝物を収める蔵があった。そこに赴いた上皇や氏長者は、『漢書』や宝珠を取り出し、平安時代の絵師巨勢公望・広貴の絵画を鑑賞した。

●御所辺、昔より此の如き物御受用なし 
鎌倉幕府の実力者安達泰盛が、荘園の請所化を求めて、摂政のもとに金品を贈ってきた。しかし、摂関家では昔からこのような物を受け取っていないと、過分な太刀・砂金は突き返された。

#八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料
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14,300
高橋秀樹・櫻井彦・中込律子校訂 、八木書店 、平22 、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。 【収録】②1278年〔弘安元〕5月~1282年〔弘安5〕9月 【第2巻のみどころ】 ●再び、蒙古襲来す$ 弘安4年(1281)6月、大宰府から蒙古襲来の報が届いた。いわゆる弘安の役である。長門・対馬をも襲った異国船は、大風波のために沈没し、数千の兵が残された。 ●興福寺衆徒、春日神木を捧げて入洛す$ 京都南郊では神人・悪党の活動が活発化し、多武峯焼き討ちなど権門間の争いも激化した。興福寺と石清水八幡宮の相論が神木入洛に発展すると、朝廷・幕府は協力して解決の道を探った。 ●宝蔵の重宝を覧ず  鳥羽や宇治には古今東西の宝物を収める蔵があった。そこに赴いた上皇や氏長者は、『漢書』や宝珠を取り出し、平安時代の絵師巨勢公望・広貴の絵画を鑑賞した。 ●御所辺、昔より此の如き物御受用なし  鎌倉幕府の実力者安達泰盛が、荘園の請所化を求めて、摂政のもとに金品を贈ってきた。しかし、摂関家では昔からこのような物を受け取っていないと、過分な太刀・砂金は突き返された。 #八木書店出版物/史料纂集 古記録編/翻刻資料

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