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「史料纂集古記録編 第177回配本 勘仲記4 1284年〔弘安7〕4月~1286年〔弘安9〕9月」の検索結果
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史料纂集古記録編 第177回配本 勘仲記4 1284年〔弘安7〕4月~1286年〔弘安9〕9月

八木書店古書部
 東京都千代田区神田神保町
14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂、八木書店、平27、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。

【収録】④1284年〔弘安7〕4月~1286年〔弘安9〕9月
●執権北条時宗の死去(弘安七年四月八日条)
四日に死去したとの情報が届き、「天下の重事」として特筆。翌日以後、「関東の穢」により方違行幸を停止し、殺生を禁断した。さらに源頼朝以下、将軍・執権等が死去した際の先例を列挙し、「関東穢」に対応している。
●興福寺と多武峯の争いの激化
興福寺の衆徒が大和国手掻郷(奈良市東大寺転害門付近)を焼き払う(弘安七年九月七日条)。その犯人逮捕を命じる文書を発給した兼仲は、興福寺から放氏されてしまうが、亀山上皇や関白藤原(鷹司)兼平の働きかけで、何とか継氏された(弘安七年九月十六日~十月十日条)。
●石清水八幡宮、鴨社を訴える
石清水八幡宮の神人が兼仲亭へやってきて、鴨社の神人を訴えた。この時は、亀山上皇が鴨社神人の解職を命じている(弘安七年八月十二日~十四日条)。

#八木書店出版物/-/-
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14,300
高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂 、八木書店 、平27 、1冊
勘解由小路(広橋)兼仲(1244-1308)の日記。広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の『民経記』など代々日記を残した。本記は蒙古襲来に関する具体的な状況、将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関連、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる13世紀後半の一級史料。 【収録】④1284年〔弘安7〕4月~1286年〔弘安9〕9月 ●執権北条時宗の死去(弘安七年四月八日条) 四日に死去したとの情報が届き、「天下の重事」として特筆。翌日以後、「関東の穢」により方違行幸を停止し、殺生を禁断した。さらに源頼朝以下、将軍・執権等が死去した際の先例を列挙し、「関東穢」に対応している。 ●興福寺と多武峯の争いの激化 興福寺の衆徒が大和国手掻郷(奈良市東大寺転害門付近)を焼き払う(弘安七年九月七日条)。その犯人逮捕を命じる文書を発給した兼仲は、興福寺から放氏されてしまうが、亀山上皇や関白藤原(鷹司)兼平の働きかけで、何とか継氏された(弘安七年九月十六日~十月十日条)。 ●石清水八幡宮、鴨社を訴える 石清水八幡宮の神人が兼仲亭へやってきて、鴨社の神人を訴えた。この時は、亀山上皇が鴨社神人の解職を命じている(弘安七年八月十二日~十四日条)。 #八木書店出版物/-/-

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