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「小書記」の検索結果
4件

天日坊一代記

永楽屋
 愛知県尾張旭市吉岡町
7,000
小書記、嘉永7年、1冊
版彩絵入表紙全18丁美本
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天日坊一代記

7,000
小書記 、嘉永7年 、1冊
版彩絵入表紙全18丁美本

天日坊一代記 内題:太田青陽記発端

縫合社
 長野県小諸市菱平
3,000
小書記筆録、19丁、18×12cm
本体斜めに横断する折れ、小口下角痛み。裏表紙(表・浦)毛筆書き込み。全体経年つかれ。
※代引き利用不可※ クリックポスト185円(梱包時34×25cm、厚3cm、1㎏以内)、430円(梱包時34×25cm、厚3cm、3㎏以内)、厚み3cm以上は600円。それ以上の大きさのものは、ゆうパック880円から。
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天日坊一代記 内題:太田青陽記発端

3,000
小書記筆録 、19丁 、18×12cm
本体斜めに横断する折れ、小口下角痛み。裏表紙(表・浦)毛筆書き込み。全体経年つかれ。

旧典類纂 皇位継承篇 巻一至巻四・巻五至巻八・巻九至巻十付録・補遺・算輯御系図 計5冊

由縁堂書店
 東京都世田谷区代沢
8,000
識官羽美静編纂検閲/小書記官横山由枝清・大書記生黒川眞頼編纂、松成堂、大正6年、5冊
和本 
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旧典類纂 皇位継承篇 巻一至巻四・巻五至巻八・巻九至巻十付録・補遺・算輯御系図 計5冊

8,000
識官羽美静編纂検閲/小書記官横山由枝清・大書記生黒川眞頼編纂 、松成堂 、大正6年 、5冊
和本 

牧野伸顯書翰幅

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
33,000
「宮内省」黒印
■商品詳細

【書名】 牧野伸顯書簡幅
【巻冊】 一幅
【著者】 「宮内省」黒印
【成立】 明治期

★ 47×19㎝
★ 軸長/115㎝
★ 凾

★ 1861年11月24日(文久元年10月22日)、薩摩国鹿児島城下加治屋町猫之薬師小路に薩摩藩士で維新の三傑の一人・大久保一蔵(後の利通)と妻・満寿子の次男として生まれた。生後間もなく父・利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となるが、1868年(慶応4年)に吉之丞が戊辰戦争における北越戦争で戦死したため、名字が牧野のまま大久保家で育った。

★ 明治33年(1900年)オーストリア公使時代1871年(明治4年)、11歳にして父や兄とともに岩倉遣欧使節団に加わって渡米し、フィラデルフィアの中学を経て、1874年(明治7年)に帰国し開成学校(後の東京帝国大学)文学部和漢文学科に入学する。1880年(明治13年)、東京大学を中退して外務省に入省。ロンドンの日本大使館に赴任し、憲法調査のため渡欧していた伊藤博文の知遇を得る。帰国後、太政官権小書記官、法制局参事官、兵庫県大書記官、黒田清隆首相秘書官、福井県知事、茨城県知事、文部次官、在イタリア公使、オーストリア公使等を歴任した。牧野は太政官権小書記官時代、伊藤に随行し北京にて伊藤と李鴻章との駆け引きを肌で感じたという。オーストリア公使時代には、日本とギリシャとの通商条約締結、ロシアとの戦争を見越した情報宣伝操作、第一次世界大戦後の君主国の動向の調査などがある。ヨーロッパにおいて黄禍論の広まりを防ごうとした。また、イギリス王室外交の有効性を指摘している。
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「宮内省」黒印
■商品詳細 【書名】 牧野伸顯書簡幅 【巻冊】 一幅 【著者】 「宮内省」黒印 【成立】 明治期 ★ 47×19㎝ ★ 軸長/115㎝ ★ 凾 ★ 1861年11月24日(文久元年10月22日)、薩摩国鹿児島城下加治屋町猫之薬師小路に薩摩藩士で維新の三傑の一人・大久保一蔵(後の利通)と妻・満寿子の次男として生まれた。生後間もなく父・利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となるが、1868年(慶応4年)に吉之丞が戊辰戦争における北越戦争で戦死したため、名字が牧野のまま大久保家で育った。 ★ 明治33年(1900年)オーストリア公使時代1871年(明治4年)、11歳にして父や兄とともに岩倉遣欧使節団に加わって渡米し、フィラデルフィアの中学を経て、1874年(明治7年)に帰国し開成学校(後の東京帝国大学)文学部和漢文学科に入学する。1880年(明治13年)、東京大学を中退して外務省に入省。ロンドンの日本大使館に赴任し、憲法調査のため渡欧していた伊藤博文の知遇を得る。帰国後、太政官権小書記官、法制局参事官、兵庫県大書記官、黒田清隆首相秘書官、福井県知事、茨城県知事、文部次官、在イタリア公使、オーストリア公使等を歴任した。牧野は太政官権小書記官時代、伊藤に随行し北京にて伊藤と李鴻章との駆け引きを肌で感じたという。オーストリア公使時代には、日本とギリシャとの通商条約締結、ロシアとの戦争を見越した情報宣伝操作、第一次世界大戦後の君主国の動向の調査などがある。ヨーロッパにおいて黄禍論の広まりを防ごうとした。また、イギリス王室外交の有効性を指摘している。

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