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徳大寺前内大臣實堅公色紙

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
11,000
徳大寺實堅
■商品詳細

【書名】 徳大寺前内大臣實堅公色紙
【巻冊】 一枚
【著者】 徳大寺實堅
【成立】 江戸後期

★ 徳大寺 実堅(とくだいじ さねかた)は、江戸時代後期の公卿。東山天皇の男系三世子孫である。正字体では德大寺 實堅と表記される。
★ 父は鷹司輔平、母は家女房の山形氏、養父は徳大寺公迪。
享和元年(1801年)に侍従となり、以後順調に出世を重ねる。仁孝天皇の信任が厚く、天皇より学問所(後の学習院)設置の意向を受けると、武家伝奏として江戸幕府と交渉した。
嘉永元年(1848年)に内大臣兼右近衛大将に任じられ、翌年辞任すると従一位を授けられた。
国学者としても知られる香川景樹は実堅に仕えていたことがあり、実堅は景樹から親しく和歌を学んだと言われている。
★ 江戸後期の公卿。鷹司輔平の子、徳大寺公迪の養嗣子。従三位、内大臣を経て、従一位に至る。和歌を香川景樹の学ぶ。武家伝秦として学習所の設立に尽力した。安政5年(1858)歿、69才。
★ 生誕 寛政2年5月23日(1790年7月5日)
死没 安政5年11月11日(1858年12月15日)
官位 従一位、右近衛大将、内大臣
主君 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇
氏族 徳大寺家
父母 父:鷹司輔平、母:家女房(山形氏)
養父:徳大寺公迪
兄弟 鷹司政煕、徳大寺実堅、隆範、高演、覚尊、円祥、達子、富子、誠子、致子
妻 醍醐信子(醍醐輝久の娘)
子 四辻公績、中院通富、定君(西園寺師季室)、養子:公純
★ 20×18
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徳大寺實堅
■商品詳細 【書名】 徳大寺前内大臣實堅公色紙 【巻冊】 一枚 【著者】 徳大寺實堅 【成立】 江戸後期 ★ 徳大寺 実堅(とくだいじ さねかた)は、江戸時代後期の公卿。東山天皇の男系三世子孫である。正字体では德大寺 實堅と表記される。 ★ 父は鷹司輔平、母は家女房の山形氏、養父は徳大寺公迪。 享和元年(1801年)に侍従となり、以後順調に出世を重ねる。仁孝天皇の信任が厚く、天皇より学問所(後の学習院)設置の意向を受けると、武家伝奏として江戸幕府と交渉した。 嘉永元年(1848年)に内大臣兼右近衛大将に任じられ、翌年辞任すると従一位を授けられた。 国学者としても知られる香川景樹は実堅に仕えていたことがあり、実堅は景樹から親しく和歌を学んだと言われている。 ★ 江戸後期の公卿。鷹司輔平の子、徳大寺公迪の養嗣子。従三位、内大臣を経て、従一位に至る。和歌を香川景樹の学ぶ。武家伝秦として学習所の設立に尽力した。安政5年(1858)歿、69才。 ★ 生誕 寛政2年5月23日(1790年7月5日) 死没 安政5年11月11日(1858年12月15日) 官位 従一位、右近衛大将、内大臣 主君 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇 氏族 徳大寺家 父母 父:鷹司輔平、母:家女房(山形氏) 養父:徳大寺公迪 兄弟 鷹司政煕、徳大寺実堅、隆範、高演、覚尊、円祥、達子、富子、誠子、致子 妻 醍醐信子(醍醐輝久の娘) 子 四辻公績、中院通富、定君(西園寺師季室)、養子:公純 ★ 20×18

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