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菊池揚二書簡 廣瀬栄一宛

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
16,500
文京区目白/菊池揚二、昭和46年10月16日消印
■商品詳細

【書名】 菊池揚二書簡 廣瀬栄一宛
【巻冊】 一通
【著者】 文京区目白/菊池揚二
【成立】 昭和46年10月16日消印

★ 菊池 揚二(きくち ようじ、1906年2月1日 - 1978年12月22日)は日本の柔道家(講道館9段)。

★ 中央大学在学中に戦前の東京学生柔道界の花形として活躍し、東京学生連合と警視庁との対抗試合や満州との対抗試合で名を馳せた。このほか昭和天覧試合や全日本選士権大会でも活躍し、戦後は指導者として警視庁や母校・中央大学の師範を歴任して多くの後進を指導。

★ 実父は菊池謙二郎、義父は講道館10段永岡秀一で、存命中は“最も毛並みの良い柔道家”との評を得ていた。

★ 生い立ち・学生時代
旧制第二高校校長等を務め硬骨な教育家として知られる菊池謙二郎の二男として、茨城県の水戸市に生まれた。当時、父が中国の上海市にて東亜同文書院の教頭(主任教授)を務めており、市内を流れる大河・揚子江の“揚”の字と、二男の“二”の字を取って“揚二”と名付けられたという。 旧制水戸中学校(現在の県立水戸第一高校)時代より柔道修行に励み25年3月水戸中学校卒業、上京後は中央大学予科を経て同大法学部へと進学。この間、1922年3月に講道館へ入門して半年後には初段、水戸中学校生徒の24年1月に2段、26年1月に3段とスピード昇段を果たし、中央大学在学中の1930年1月に5段まで許された。 身長169cm・体重85kgの体格で、「特に得意技と言えるものは無いが、立ち技なら一通りやった。強いて得意と言えば跳腰、大外刈、払釣込足、送足払かな」と菊池。中野正三は「裏技(現在で言う返し技)は巧いよ」とも語っていた。

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16,500
文京区目白/菊池揚二 、昭和46年10月16日消印
■商品詳細 【書名】 菊池揚二書簡 廣瀬栄一宛 【巻冊】 一通 【著者】 文京区目白/菊池揚二 【成立】 昭和46年10月16日消印 ★ 菊池 揚二(きくち ようじ、1906年2月1日 - 1978年12月22日)は日本の柔道家(講道館9段)。 ★ 中央大学在学中に戦前の東京学生柔道界の花形として活躍し、東京学生連合と警視庁との対抗試合や満州との対抗試合で名を馳せた。このほか昭和天覧試合や全日本選士権大会でも活躍し、戦後は指導者として警視庁や母校・中央大学の師範を歴任して多くの後進を指導。 ★ 実父は菊池謙二郎、義父は講道館10段永岡秀一で、存命中は“最も毛並みの良い柔道家”との評を得ていた。 ★ 生い立ち・学生時代 旧制第二高校校長等を務め硬骨な教育家として知られる菊池謙二郎の二男として、茨城県の水戸市に生まれた。当時、父が中国の上海市にて東亜同文書院の教頭(主任教授)を務めており、市内を流れる大河・揚子江の“揚”の字と、二男の“二”の字を取って“揚二”と名付けられたという。 旧制水戸中学校(現在の県立水戸第一高校)時代より柔道修行に励み25年3月水戸中学校卒業、上京後は中央大学予科を経て同大法学部へと進学。この間、1922年3月に講道館へ入門して半年後には初段、水戸中学校生徒の24年1月に2段、26年1月に3段とスピード昇段を果たし、中央大学在学中の1930年1月に5段まで許された。 身長169cm・体重85kgの体格で、「特に得意技と言えるものは無いが、立ち技なら一通りやった。強いて得意と言えば跳腰、大外刈、払釣込足、送足払かな」と菊池。中野正三は「裏技(現在で言う返し技)は巧いよ」とも語っていた。

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