文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

「李正子(イ チョンジャ)」の検索結果
3件

葉桜 〈歌集〉

花木堂書店
 愛知県蒲郡市元町
1,000
李正子(イ チョンジャ)、河出書房新社、1997、1
四六判 166頁 カバー・帯 初版 元値1500円 B
【ご注意①】 電話注文 ご遠慮ください。→取引案内(当店「店名」をクリックしてください)をご確認ください。 【ご注意②】 商品は店舗にありません。店舗受取りご希望の場合は、書名等を 1~2日前にお知らせください。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費不可 海外発送不可

葉桜 〈歌集〉

1,000
李正子(イ チョンジャ) 、河出書房新社 、1997 、1
四六判 166頁 カバー・帯 初版 元値1500円 B

鳳仙花のうた 李正子歌集(ポンソナのうた 李正子歌集)

しあわせ文庫
 広島県福山市春日町
1,300
李正子(イチョンジャ) 近藤芳美序 小紋潤装丁、雁書館、1984 同年第3刷
カバー付き美本
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

鳳仙花のうた 李正子歌集(ポンソナのうた 李正子歌集)

1,300
李正子(イチョンジャ) 近藤芳美序 小紋潤装丁 、雁書館 、1984 同年第3刷
カバー付き美本

吐魯番の絹 (トルファン ノ キヌ) (トルファン ノ キヌ)

佐藤書房
 東京都八王子市東町
900
道浦母都子 著、学芸書林、1988年3月、269p、20cm
初版  カバー  帯付  カバーヤケ無し  帯ヤケ無し 本体三方ヤケ無し 線引き無し 書き込み無し 保存状態良好です。

 道浦氏のエッセイ集を過去へ遡るかたちで読んできたが、この『吐魯番の絹』が最後となる。ここには1979年から1987年に書かれたエッセイ38編と、竹下奈々子氏との往復書簡12編が納められている。『無援の叙情』の出版が1980年だから、これはまさにその直後のエッセイ集と云うことになり、興味は尽きない。
 内容は自作のものを含め短歌に関することが殆どである。自作以外で取り上げられた歌人は、李正子(イ・チョンジャ)、土岐善麿、正田篠枝、三国玲子、木村久夫、山川登美子等。歌人以外では、詩人の石川逸子、作家・山本周五郎、映画監督・小栗康平、同じく映画監督のユルマズ・ギュネイ等が取り上げられていて、それなりに面白いが、しかし『無援の叙情』のファンにとっては、自作について語った部分(これが本書の3分の1程を占める)が何と云っても興味深い。特に「うたで語る自分史」、「1969・1・18」、「女になること(わがうたの風景(1)」、「わが世代」などは、『無援の叙情』を読む時の鑑賞を深めてくれる。
 「1969・1・18」の中で道浦氏は「私達の世代はさめてはいるが、いいかげんな世代ではない。頑固で一徹。一途でひたむき。そして優しき世代である。」と述べ、また「わが世代」では「私たちの世代がこのまま沈黙を守り、個を脱出することを放棄したままで生き続けるならば、全共闘世代のあの闘いは、単なる現象であり、若いエネルギーの爆発に過ぎなかったことになってしまう。つまりゼロに帰してしまうのである。/ 今、「我等」から「我れ」へ帰って行った世代が、「我れ」から「我等」へと還っていくべきときが来ているのかもしれない。」と述べる。さらに竹下氏との往復書簡の最後では、「言葉に正直でありたいということは、とりもなおさず、自分自身に正直でありたいということです。混濁とした不透明な言葉の海から、私はもう一度、詩語としての輝きを持つ私自身の言葉を取り戻したい。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可

吐魯番の絹 (トルファン ノ キヌ) (トルファン ノ キヌ)

900
道浦母都子 著 、学芸書林 、1988年3月 、269p 、20cm
初版  カバー  帯付  カバーヤケ無し  帯ヤケ無し 本体三方ヤケ無し 線引き無し 書き込み無し 保存状態良好です。  道浦氏のエッセイ集を過去へ遡るかたちで読んできたが、この『吐魯番の絹』が最後となる。ここには1979年から1987年に書かれたエッセイ38編と、竹下奈々子氏との往復書簡12編が納められている。『無援の叙情』の出版が1980年だから、これはまさにその直後のエッセイ集と云うことになり、興味は尽きない。  内容は自作のものを含め短歌に関することが殆どである。自作以外で取り上げられた歌人は、李正子(イ・チョンジャ)、土岐善麿、正田篠枝、三国玲子、木村久夫、山川登美子等。歌人以外では、詩人の石川逸子、作家・山本周五郎、映画監督・小栗康平、同じく映画監督のユルマズ・ギュネイ等が取り上げられていて、それなりに面白いが、しかし『無援の叙情』のファンにとっては、自作について語った部分(これが本書の3分の1程を占める)が何と云っても興味深い。特に「うたで語る自分史」、「1969・1・18」、「女になること(わがうたの風景(1)」、「わが世代」などは、『無援の叙情』を読む時の鑑賞を深めてくれる。  「1969・1・18」の中で道浦氏は「私達の世代はさめてはいるが、いいかげんな世代ではない。頑固で一徹。一途でひたむき。そして優しき世代である。」と述べ、また「わが世代」では「私たちの世代がこのまま沈黙を守り、個を脱出することを放棄したままで生き続けるならば、全共闘世代のあの闘いは、単なる現象であり、若いエネルギーの爆発に過ぎなかったことになってしまう。つまりゼロに帰してしまうのである。/ 今、「我等」から「我れ」へ帰って行った世代が、「我れ」から「我等」へと還っていくべきときが来ているのかもしれない。」と述べる。さらに竹下氏との往復書簡の最後では、「言葉に正直でありたいということは、とりもなおさず、自分自身に正直でありたいということです。混濁とした不透明な言葉の海から、私はもう一度、詩語としての輝きを持つ私自身の言葉を取り戻したい。

お探しの古書は見つかりましたか?

在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。
お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。
書誌(カタログ)から探す

日本国際博覧会開催 - 昭和開催から55年、博覧会の記憶

米マイクロソフト社50年 - IT-情報技術の源流