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1件

桂意廣長筆 人物畫幅

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
55,000
板谷廣長、天明寛政頃寫
■商品詳細

【書名】 桂意廣長筆 人物畫幅
【巻冊】 一巻
【著者】 板谷廣長
【成立】 天明寛政頃寫

★ 軸長/106㎝
★ 絹本/38×27㎝
★ 箱と巻止め紐は新しいが軸装は古装である。
★ 板谷廣長(いたや ひろなが、宝暦10(1760年)誕生日不明 - 文化11年4月17日(1814年6月5日))は、日本の江戸時代中期から後期に活躍した、江戸幕府の御用絵師。大和絵の一派・住吉派から別れた板谷派の2代目。号は慶意、のち桂意。そのため板谷慶意(桂意)とも、板谷家は桂意と桂舟を交互に名乗ったため、4代目や6代目と区別する意味を込めて板谷慶意(桂意)広長とも呼ばれる。
★ 略伝
板谷広当の次男として生まれる。兄は住吉廣行、弟に慶珉がいる。天明5年(1785年)部屋住の身分でお目見え。寛政4年(1792年)兄・広行に随行し京阪寺社の宝物調査を行い、古画を模写する。寛政8年(1796年)剃髪し、慶意の号を桂意に改名。翌年父が亡くなると跡を継ぎ、寛政10年(1798年)新規扶持方五人扶持を付与され、翌年奥御用を仰せつかる。文化元年(1804年)菅原道真九〇〇年遠忌に際し、松平定信ら武家寄合で発願した「天満宮伝記絵」を奉納(京都・北野天満宮蔵)。文化8年(1811年)第11回朝鮮通信使来日の際には、贈朝屏風一双を担当している。文化11年4月17日死去。享年55歳。戒名は延乗院歓誉桂意居士。
★ 兄・廣行と共にやまと絵を積極的に描き、古典復興に努めた。作品には「住吉広長」落款が多いとされる。息子に3代目となった板谷広隆、駿河台狩野家に養子入りした狩野洞益春信がいる。
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板谷廣長 、天明寛政頃寫
■商品詳細 【書名】 桂意廣長筆 人物畫幅 【巻冊】 一巻 【著者】 板谷廣長 【成立】 天明寛政頃寫 ★ 軸長/106㎝ ★ 絹本/38×27㎝ ★ 箱と巻止め紐は新しいが軸装は古装である。 ★ 板谷廣長(いたや ひろなが、宝暦10(1760年)誕生日不明 - 文化11年4月17日(1814年6月5日))は、日本の江戸時代中期から後期に活躍した、江戸幕府の御用絵師。大和絵の一派・住吉派から別れた板谷派の2代目。号は慶意、のち桂意。そのため板谷慶意(桂意)とも、板谷家は桂意と桂舟を交互に名乗ったため、4代目や6代目と区別する意味を込めて板谷慶意(桂意)広長とも呼ばれる。 ★ 略伝 板谷広当の次男として生まれる。兄は住吉廣行、弟に慶珉がいる。天明5年(1785年)部屋住の身分でお目見え。寛政4年(1792年)兄・広行に随行し京阪寺社の宝物調査を行い、古画を模写する。寛政8年(1796年)剃髪し、慶意の号を桂意に改名。翌年父が亡くなると跡を継ぎ、寛政10年(1798年)新規扶持方五人扶持を付与され、翌年奥御用を仰せつかる。文化元年(1804年)菅原道真九〇〇年遠忌に際し、松平定信ら武家寄合で発願した「天満宮伝記絵」を奉納(京都・北野天満宮蔵)。文化8年(1811年)第11回朝鮮通信使来日の際には、贈朝屏風一双を担当している。文化11年4月17日死去。享年55歳。戒名は延乗院歓誉桂意居士。 ★ 兄・廣行と共にやまと絵を積極的に描き、古典復興に努めた。作品には「住吉広長」落款が多いとされる。息子に3代目となった板谷広隆、駿河台狩野家に養子入りした狩野洞益春信がいる。

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