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「正岡子規書簡幅 増田おばさま(増田正春)宛」の検索結果
1件

正岡子規書簡幅 増田おばさま(増田正春)宛

森井書店
 東京都文京区本郷
600,000
正岡子規、1幅
★全集未収 便箋(24・7×34・4cm)2枚 毛筆40行ほど 封筒欠 軸装仕立 掛軸115×50cm *明治23年1月26日付。*正月を故郷で過ごした子規が東京へと向かう途次に認めた書状。この書状には以前には封筒が存在していた。それには増田正春様とあり、発信は大阪の多組屋から、消印は明治23年1月29日付であった(旧蔵者より)。子規全集書簡篇には未収であり、又文中にある「ゆめになとすしくひにいかんほととぎす」の句は新発見の句である。全集の年譜には、1月25日に増田正春を訪問しようとしたが正春は不在、大叔母と夫人にもてなされたとある。又、この書簡には増田正春氏の「手紙の訳」と題した所縁の書状があり、それには重さんとは拙者の事なりとあり増田おばさまとは正春氏の母であると解説している。増田家は、大原恒徳の後妻・常子の実家。恒徳はの子規の母方の叔父で、子規の父が若くして没した後の正岡家の後見人であり、経済的援助者である。【以下全文】「一筆申上存候 昨日ハ参上仕はからず御馳走ニ相成見かけよりハうまいおすしを澤山てうだい致し小いかのきんたま同様ありがたく存候 あれより多度津ニ相下り候へども重さんにハ御出合不申 夜十二時頃金龍丸にのりこみ候 此船ハ平穏とハことかはり中々美事なる舟にて、私乗り移るや否や大な船がお尻をおふり被成候と見しが忽ちおならがビューとおつしやツて多度津を舟出致し候 此船は平生ハ中々早足でおあるきなさるといふことなりしが昨日は荷物を積ミし故か思ふたよりおそくけさ十時前に神戸へおつきなされ候 御めぐみ被下候「へた柿」ハお宅にて一つくひ多度津にて一つ食ひ舟に乗り又一つ食ひ申候 ケ様にすきまなく食ひ候故しこみにひまなく、小間物店を張る様なことハ無之誠に難有存候 私ハ最早船にのることも無御坐候故へた柿を食ハんならんといふ時も無之候へば後に此船にのり候人のよハぬ様にと残る柿を置きミあげに致し置候 金比羅様ハ船のりを守り給ふ神様と聞けば、こんぴらにてへた柿を売り出し候ハゞ船のりの喜びいはんかたなくと存候 あめじやくといふて糠(ぬか)を売るよりハ餘程ありがたいことと存候あだしことはさておきつ、私多組屋にて切手端書代十六銭を拂ふことを忘れたり。お序の節ニ乍憚御拂ひ置被下度奉願候、ことによると多組屋より取りにあがるかも分り不申候右用事かたぐ御禮まで 如斯御坐候已上 かしく 一月廿六日 大阪のはたごやにて ほとゝぎす拝 増田おばさま 右ほうぐの積りで書如したゝめ 候故甚だへたがきに相成候段御ゆるし被下度候 いつか帰ることもあらバ又御馳走をくひに相より可申候 ゆめになとすしくひにいかんほとゝぎす」*「平穏」とは平穏丸のこと。多度津まで乗った船で、かなり乗り心地が悪かったらしい。*「ほうぐ」…反故。◆「筆まかせ」第二篇「上京紀行」に明治23年1月23日の記述がみえるが、上京の途次に認められたこの書簡によってより詳細に旅中の行動がわかり、貴重な資料と言える。
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600,000
正岡子規 、1幅
★全集未収 便箋(24・7×34・4cm)2枚 毛筆40行ほど 封筒欠 軸装仕立 掛軸115×50cm *明治23年1月26日付。*正月を故郷で過ごした子規が東京へと向かう途次に認めた書状。この書状には以前には封筒が存在していた。それには増田正春様とあり、発信は大阪の多組屋から、消印は明治23年1月29日付であった(旧蔵者より)。子規全集書簡篇には未収であり、又文中にある「ゆめになとすしくひにいかんほととぎす」の句は新発見の句である。全集の年譜には、1月25日に増田正春を訪問しようとしたが正春は不在、大叔母と夫人にもてなされたとある。又、この書簡には増田正春氏の「手紙の訳」と題した所縁の書状があり、それには重さんとは拙者の事なりとあり増田おばさまとは正春氏の母であると解説している。増田家は、大原恒徳の後妻・常子の実家。恒徳はの子規の母方の叔父で、子規の父が若くして没した後の正岡家の後見人であり、経済的援助者である。【以下全文】「一筆申上存候 昨日ハ参上仕はからず御馳走ニ相成見かけよりハうまいおすしを澤山てうだい致し小いかのきんたま同様ありがたく存候 あれより多度津ニ相下り候へども重さんにハ御出合不申 夜十二時頃金龍丸にのりこみ候 此船ハ平穏とハことかはり中々美事なる舟にて、私乗り移るや否や大な船がお尻をおふり被成候と見しが忽ちおならがビューとおつしやツて多度津を舟出致し候 此船は平生ハ中々早足でおあるきなさるといふことなりしが昨日は荷物を積ミし故か思ふたよりおそくけさ十時前に神戸へおつきなされ候 御めぐみ被下候「へた柿」ハお宅にて一つくひ多度津にて一つ食ひ舟に乗り又一つ食ひ申候 ケ様にすきまなく食ひ候故しこみにひまなく、小間物店を張る様なことハ無之誠に難有存候 私ハ最早船にのることも無御坐候故へた柿を食ハんならんといふ時も無之候へば後に此船にのり候人のよハぬ様にと残る柿を置きミあげに致し置候 金比羅様ハ船のりを守り給ふ神様と聞けば、こんぴらにてへた柿を売り出し候ハゞ船のりの喜びいはんかたなくと存候 あめじやくといふて糠(ぬか)を売るよりハ餘程ありがたいことと存候あだしことはさておきつ、私多組屋にて切手端書代十六銭を拂ふことを忘れたり。お序の節ニ乍憚御拂ひ置被下度奉願候、ことによると多組屋より取りにあがるかも分り不申候右用事かたぐ御禮まで 如斯御坐候已上 かしく 一月廿六日 大阪のはたごやにて ほとゝぎす拝 増田おばさま 右ほうぐの積りで書如したゝめ 候故甚だへたがきに相成候段御ゆるし被下度候 いつか帰ることもあらバ又御馳走をくひに相より可申候 ゆめになとすしくひにいかんほとゝぎす」*「平穏」とは平穏丸のこと。多度津まで乗った船で、かなり乗り心地が悪かったらしい。*「ほうぐ」…反故。◆「筆まかせ」第二篇「上京紀行」に明治23年1月23日の記述がみえるが、上京の途次に認められたこの書簡によってより詳細に旅中の行動がわかり、貴重な資料と言える。

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