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添田唖蝉坊・知道著作集 内容見本
浅草底流記 添田啞蝉坊・知道著作集11
添田唖蝉坊 知道
添田唖蝉坊・知道著作集 1 唖蝉坊流生記
添田唖蝉坊・知道 演歌二代風狂伝 <シリーズ 民間日本学者 帯ヤブレ>
唖蝉坊流生記 <添田唖蝉坊・知道著作集1> 初版
添田唖蝉坊・知道文庫目録(県立神奈川近代文学館収蔵文庫目録8)
日本春歌考
添田唖蝉坊・知道著作集 別巻 流行歌・明治大正史
添田唖蝉坊・知道著作集 5 日本春歌考 (平成8年版)
添田唖蝉坊・知道著作集 全6冊
シリーズ民間日本学者 6 添田唖蝉坊・知道 演歌二代風狂伝
添田唖蝉坊・知道 : 演歌二代風狂伝 シリーズ民間日本学者6
添田唖蝉坊・知道著作集 1,2 唖蝉坊流生記,浅草底流記 の2冊
流行歌・明治大正史(添田唖蝉坊・知道著作集別巻)
添田唖蝉坊・知道著作集 全6冊揃(全5巻+別巻1冊)
CD かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう岡大介,小林寛明添田唖蝉坊(正字体表記では「添田啞蟬坊」1872年12月25日(明治5年11月25日) - 1944年(昭和19年)2月8日)は、明治・大正期に活躍した演歌師の草分け。「唖」と「蟬」が添田亜蝉坊と表記されることもある。本名・平吉、号は自らを「歌を歌う唖しの蝉」と称したところから由来。神奈川県の大磯の農家の出で、四男一女の三番目の子として生まれる。叔父が汽船の機関士をしていた関係で、海軍兵学校を志願して上京したが、受験勉強中に浅草の小屋掛芝居をのぞいたのがきっかけで、その世界にのめり込む。海軍兵学校には入学せず、汽船の船客ボーイになり、2年で挫折。以後、横須賀で土方人夫、石炭の積み込みなどの仕事に従事していたが、1890年(明治23年)、壮士節と出会う。当時は政府が廃藩置県、地租改正、学制、徴兵令、殖産興業などの政策を実行している最中で、自由民権運動も盛んな時代であり、「オッペケペ」で有名な川上音二郎らの壮士芝居も、この時代のものである。唖蝉坊は、最初の演歌といわれる「ダイナマイト節」を出した青年倶楽部からその歌本を取り寄せて売り歩いたが、のち政治的な興奮が冷めていくと、政治批判ではない純粋な演歌を目指して、自身が演歌の歌詞を書くようになる。唖蝉坊が最初に書いたといわれているものは、「壇ノ浦」(愉快節)、「白虎隊」(欣舞節)、「西洋熱」(愉快節)などで、1892年(明治25年)の作である。これ以降、「チョイトネ節(紫節)」、「まっくろけ節」、「ノンキ節」、「ゲンコツ節」、「チャクライ節」、「新法界節」、「新トンヤレ節」と続く。1930年(昭和5年)に「生活戦線異状あり」で引退するまでに182曲を残したという。
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