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「細川越中守慶順書状額 溝口八十五郎宛」の検索結果
1件

細川越中守慶順書状額 溝口八十五郎宛

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
55,000
正月二日/江戸末期頃
■商品詳細

【書名】 細川越中守慶順書状額 溝口八十五郎宛
【巻冊】 遍額一面
【著者】 
【成立】 正月二日/江戸末期頃

★ 書状/21.5×57.5㎝
★ 遍額/93×32.5㎝/アクリル
★ 細川越中守慶順=細川韶邦(ほそかわ よしくに)は、江戸時代後期の大名、明治時代初期の華族。肥後国熊本藩11代藩主、同藩初代藩知事。熊本藩細川家12代。
★ 10代藩主・細川斉護の次男として誕生した。母は比企氏。幼名は訓三郎、六之助。はじめ父・斉護の偏諱を取って護順(もりゆき)、のち藩主就任時に兄・慶前と同じく12代将軍・徳川家慶から偏諱を授与されて慶順(よしゆき)と名乗る。

★ 溝口八十五郎=溝口勝如(みぞぐち かつゆき)は、江戸時代後期(幕末)の旗本。通称は八十五郎。伊勢守。石高2500石。子に友三郎(末子、溝口勝為の養子)ら。
★ 小普請組、中奥番士、使番、目付と昇進する。文久元年(1861年)ロシア軍艦対馬占領事件では外国奉行小栗忠順と共に折衝に当たった。慶応元年(1865年)長州征討に陸軍奉行として従軍し、京で陸軍奉行並、勘定奉行(慶応3年1月16日 - 12月28日)を歴任し、田安徳川家の家老となった。
★ 明治以降は徳川家達公爵家の家令(使用人を統括する執事のような存在)を務めていた。明治25年(1881年)、親交のあった勝海舟は、長男の小鹿が没したため、徳川慶喜の末子精を養嗣子にしたいと願い、勝如はこれをまとめた。
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55,000
、正月二日/江戸末期頃
■商品詳細 【書名】 細川越中守慶順書状額 溝口八十五郎宛 【巻冊】 遍額一面 【著者】  【成立】 正月二日/江戸末期頃 ★ 書状/21.5×57.5㎝ ★ 遍額/93×32.5㎝/アクリル ★ 細川越中守慶順=細川韶邦(ほそかわ よしくに)は、江戸時代後期の大名、明治時代初期の華族。肥後国熊本藩11代藩主、同藩初代藩知事。熊本藩細川家12代。 ★ 10代藩主・細川斉護の次男として誕生した。母は比企氏。幼名は訓三郎、六之助。はじめ父・斉護の偏諱を取って護順(もりゆき)、のち藩主就任時に兄・慶前と同じく12代将軍・徳川家慶から偏諱を授与されて慶順(よしゆき)と名乗る。 ★ 溝口八十五郎=溝口勝如(みぞぐち かつゆき)は、江戸時代後期(幕末)の旗本。通称は八十五郎。伊勢守。石高2500石。子に友三郎(末子、溝口勝為の養子)ら。 ★ 小普請組、中奥番士、使番、目付と昇進する。文久元年(1861年)ロシア軍艦対馬占領事件では外国奉行小栗忠順と共に折衝に当たった。慶応元年(1865年)長州征討に陸軍奉行として従軍し、京で陸軍奉行並、勘定奉行(慶応3年1月16日 - 12月28日)を歴任し、田安徳川家の家老となった。 ★ 明治以降は徳川家達公爵家の家令(使用人を統括する執事のような存在)を務めていた。明治25年(1881年)、親交のあった勝海舟は、長男の小鹿が没したため、徳川慶喜の末子精を養嗣子にしたいと願い、勝如はこれをまとめた。

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