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「藤原忠良和歌 秋日詠竹露倭歌」の検索結果
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藤原忠良和歌 秋日詠竹露倭歌

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
55,000
粟田口忠良
■商品詳細

【書名】 藤原忠良和歌 秋日詠竹露倭歌
【巻冊】 一枚
【著者】 右大臣藤原忠良
【成立】 

★ 44×61㎝
★ 藤原忠良 1164-1225 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
長寛2年生まれ。近衛基実(もとざね)の次男。母は藤原顕輔(あきすけ)の娘。寿永2年従三位。のち正二位にすすみ,大納言となった。号は粟田口,鳴滝。「千五百番歌合」の判者のひとりで,作歌は「千載和歌集」以下の勅撰集に多数はいっている。嘉禄(かろく)元年5月16日死去。62歳。
【格言など】樗(あふち)咲く外面の木陰露落ちて五月雨(さみだれ)晴るる風渡るなり
★ 粟田口 忠良(あわたぐち ただよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。摂政・近衛基実の次男。官位は正二位・大納言。鳴滝大納言と号す。粟田口を家号とし、粟田口家の祖となる。
治承4年(1180年)、元服して正五位下に叙爵。以後、寿永2年(1183年)に従三位・非参議、文治5年(1189年)中納言、建久2年(1191年)権大納言、建仁2年(1202年)に大納言と進み、建仁4年(1204年)辞職。
承久3年(1221年)出家し、嘉禄元年(1225年)、薨去。享年62。
体格は痩せていて性質は温和であったといい、政治の表舞台に立つより歌人としての活動が主であった。勅撰集に69首が入集しており、『新百人一首』の一人にも選ばれている。『古今著聞集』には、長期間ろくに出仕しなかったため危うく大納言の地位を剥奪されそうになり、その心境を和歌を通じて異母兄・近衛基通と語り合う逸話が収録されている。

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粟田口忠良
■商品詳細 【書名】 藤原忠良和歌 秋日詠竹露倭歌 【巻冊】 一枚 【著者】 右大臣藤原忠良 【成立】  ★ 44×61㎝ ★ 藤原忠良 1164-1225 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。 長寛2年生まれ。近衛基実(もとざね)の次男。母は藤原顕輔(あきすけ)の娘。寿永2年従三位。のち正二位にすすみ,大納言となった。号は粟田口,鳴滝。「千五百番歌合」の判者のひとりで,作歌は「千載和歌集」以下の勅撰集に多数はいっている。嘉禄(かろく)元年5月16日死去。62歳。 【格言など】樗(あふち)咲く外面の木陰露落ちて五月雨(さみだれ)晴るる風渡るなり ★ 粟田口 忠良(あわたぐち ただよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。摂政・近衛基実の次男。官位は正二位・大納言。鳴滝大納言と号す。粟田口を家号とし、粟田口家の祖となる。 治承4年(1180年)、元服して正五位下に叙爵。以後、寿永2年(1183年)に従三位・非参議、文治5年(1189年)中納言、建久2年(1191年)権大納言、建仁2年(1202年)に大納言と進み、建仁4年(1204年)辞職。 承久3年(1221年)出家し、嘉禄元年(1225年)、薨去。享年62。 体格は痩せていて性質は温和であったといい、政治の表舞台に立つより歌人としての活動が主であった。勅撰集に69首が入集しており、『新百人一首』の一人にも選ばれている。『古今著聞集』には、長期間ろくに出仕しなかったため危うく大納言の地位を剥奪されそうになり、その心境を和歌を通じて異母兄・近衛基通と語り合う逸話が収録されている。

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