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「諸橋轍次 (止軒) 筆」の検索結果
3件

諸橋轍次書 「天地無私 春又帰 丁未春日 止軒」

ぼおぶら屋古書店
 宮城県仙台市青葉区上愛子字北原道上11-33
2,580
諸橋轍次(止軒) 筆、製作年代不詳 (1967年頃か?)、1枚
印刷色紙。「天地無私 春又帰 丁未春日 止軒」てんちわたくしなく はるまたかへる 1967年春
諸橋轍次点
天地自然の道は公平で私心がなく、たとえば春夏秋冬の四季がとどこおることなくめぐりかえってくるようなものである、の意 。諸橋轍次 1883-1987、新潟県南蒲原郡生。漢字学者、「大漢和辞典」、「広漢和辞典」等の編纂にあたった。号は止軒。35717-2-aya
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

諸橋轍次書 「天地無私 春又帰 丁未春日 止軒」

2,580
諸橋轍次(止軒) 筆 、製作年代不詳 (1967年頃か?) 、1枚
印刷色紙。「天地無私 春又帰 丁未春日 止軒」てんちわたくしなく はるまたかへる 1967年春 諸橋轍次点 天地自然の道は公平で私心がなく、たとえば春夏秋冬の四季がとどこおることなくめぐりかえってくるようなものである、の意 。諸橋轍次 1883-1987、新潟県南蒲原郡生。漢字学者、「大漢和辞典」、「広漢和辞典」等の編纂にあたった。号は止軒。35717-2-aya

諸橋轍次書 印刷色紙 「青山白水 映紅楓 李瑞句 止軒」

ぼおぶら屋古書店
 宮城県仙台市青葉区上愛子字北原道上11-33
2,580
諸橋轍次 (止軒) 筆、製作年代不詳 (戦後。1967年頃か)、27×24cm、1枚
印刷色紙。「青山白水 紅楓映」せいざんはくすい こうふうにえいず 秋の風景を詠じた李端の詩句。諸橋轍次 1883-1987、新潟県南蒲原郡生。漢字学者、「大漢和辞典」、「広漢和辞典」等の編纂にあたった。号は止軒。36716-2-aya
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諸橋轍次書 印刷色紙 「青山白水 映紅楓 李瑞句 止軒」

2,580
諸橋轍次 (止軒) 筆 、製作年代不詳 (戦後。1967年頃か) 、27×24cm 、1枚
印刷色紙。「青山白水 紅楓映」せいざんはくすい こうふうにえいず 秋の風景を詠じた李端の詩句。諸橋轍次 1883-1987、新潟県南蒲原郡生。漢字学者、「大漢和辞典」、「広漢和辞典」等の編纂にあたった。号は止軒。36716-2-aya

諸橋轍次葉書(娘/代筆) 廣瀬栄一宛 千葉医大眼科十号より

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
11,000
昭和30年頃か?
■商品詳細

【書名】 諸橋轍次葉書(娘/代筆) 廣瀬栄一宛 廣瀬栄一宛 千葉医大眼科十号より
【巻冊】 一通
【著者】 
【成立】 昭和30年頃か?

★ 諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年〈明治16年〉6月4日[1] - 1982年〈昭和57年〉12月8日[1])は、日本の漢学者・漢字学者。号は止軒。学位は、文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学学長・都留文科大学初代学長を歴任。大著『大漢和辞典』、『広漢和辞典』(各・大修館書店刊)の編者代表として知られる。直江兼続の子孫を称した。

★ 新潟県南蒲原郡庭月村(後に四ツ沢村→森町村→下田村、現在の三条市庭月)に生まれた[1]。1908年に東京高等師範学校を卒業[2]後、漢学の教員として同校に勤める。青年時代、中国にも留学。この時に満足できる辞書がなかったことが、後の『大漢和』の製作に繋がっていった。

★ 1925年、大修館の鈴木一平が諸橋のもとを訪れ、全漢字を網羅した「漢和辞典」の構想を持ちかけられる。この『大漢和辞典』の本格的な製作は1929年から始まった。

★ 1929年1月に文学博士。論文の題は「儒学の目的と宋儒(慶暦至慶元百六十年間)の活動」。1930年東京文理科大学教授。 1943年、『大漢和辞典』第1巻が完成した。諸橋はこれにより翌年の朝日賞を受賞した。しかし1945年、東京大空襲で大修館が罹災。組み上がっていた印刷用の版が全て溶けてしまったため、太平洋戦争後、完成していた巻と校正刷りをもとに再スタートを切った。

★ 1946年、諸橋は長年の無理が祟って右目を失明、左目も明暗がやっとわかる程度にまで悪化し、1955年に右目の開眼手術を受けた。

★ 諸橋轍次が眼の手術により千葉医大眼科十号室より娘の代筆により廣瀬に送った葉書。

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、昭和30年頃か?
■商品詳細 【書名】 諸橋轍次葉書(娘/代筆) 廣瀬栄一宛 廣瀬栄一宛 千葉医大眼科十号より 【巻冊】 一通 【著者】  【成立】 昭和30年頃か? ★ 諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年〈明治16年〉6月4日[1] - 1982年〈昭和57年〉12月8日[1])は、日本の漢学者・漢字学者。号は止軒。学位は、文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学学長・都留文科大学初代学長を歴任。大著『大漢和辞典』、『広漢和辞典』(各・大修館書店刊)の編者代表として知られる。直江兼続の子孫を称した。 ★ 新潟県南蒲原郡庭月村(後に四ツ沢村→森町村→下田村、現在の三条市庭月)に生まれた[1]。1908年に東京高等師範学校を卒業[2]後、漢学の教員として同校に勤める。青年時代、中国にも留学。この時に満足できる辞書がなかったことが、後の『大漢和』の製作に繋がっていった。 ★ 1925年、大修館の鈴木一平が諸橋のもとを訪れ、全漢字を網羅した「漢和辞典」の構想を持ちかけられる。この『大漢和辞典』の本格的な製作は1929年から始まった。 ★ 1929年1月に文学博士。論文の題は「儒学の目的と宋儒(慶暦至慶元百六十年間)の活動」。1930年東京文理科大学教授。 1943年、『大漢和辞典』第1巻が完成した。諸橋はこれにより翌年の朝日賞を受賞した。しかし1945年、東京大空襲で大修館が罹災。組み上がっていた印刷用の版が全て溶けてしまったため、太平洋戦争後、完成していた巻と校正刷りをもとに再スタートを切った。 ★ 1946年、諸橋は長年の無理が祟って右目を失明、左目も明暗がやっとわかる程度にまで悪化し、1955年に右目の開眼手術を受けた。 ★ 諸橋轍次が眼の手術により千葉医大眼科十号室より娘の代筆により廣瀬に送った葉書。

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