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「銀匙社」の検索結果
6件

鎮魂から祈りへ

廣文館
 鹿児島県姶良市平松
4,500
佐藤博、銀匙社、平9、1冊
函 非売品 初 B五
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鎮魂から祈りへ

4,500
佐藤博 、銀匙社 、平9 、1冊
函 非売品 初 B五

現代語訳真言安心小鏡

小林書房
 東京都千代田区神田神保町
4,400
懐圓 著 ; 真言宗大覚寺派徳島青年教師会 編、銀匙社、平15、221p、22cm
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4,400
懐圓 著 ; 真言宗大覚寺派徳島青年教師会 編 、銀匙社 、平15 、221p 、22cm

真言安心小鏡 : 現代語訳

小亀屋
 京都府亀岡市篠町馬堀
5,800
懐圓 著 ; 真言宗大覚寺派徳島青年教師会 編、銀匙社、221p、22cm
函角凹下部キズ、セロファンカバー、本文概ね良好。初版第一刷、帯付。
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5,800
懐圓 著 ; 真言宗大覚寺派徳島青年教師会 編 、銀匙社 、221p 、22cm
函角凹下部キズ、セロファンカバー、本文概ね良好。初版第一刷、帯付。

現代語訳 真言安心小鏡 懐円

槇尾古書店
 大阪府大阪市中央区船場中央
5,280
真言宗大覚寺派徳島青年教師会 編、銀匙社、2003年、菊判、1冊
函少々すれ、少々イタミ 本体良
公費注文を承ります。(後払い可) 詳細につきましては注文時にご指示下さい。 *ご来店にてお買い求めの場合は、店頭に並んでいない商品もございますので必ず事前にメールやお電話にてお問い合わせください。 〈送料について〉・クリックポスト(185円)・レターパックライト(430円)・レターパックプラス(600円)・ゆうパック(送料は地域・サイズにより変動)・ゆうパック代引き(送料+代引き手数料)
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5,280
真言宗大覚寺派徳島青年教師会 編 、銀匙社 、2003年 、菊判 、1冊
函少々すれ、少々イタミ 本体良

短篇集 ヴィナスの腕/詩集 旧詩帖抄/マンチュリヤ日記  の3冊

古書ワルツ 荻窪店
 東京都杉並区荻窪
4,200
王丸為雄、銀匙社、1993~1995、3
カバー少日焼け有。他、本体良好。初版。各限定100部。。白色カバー。薄本。
※(振込・公費不可)クレジット・キャリア決済のみ対応しています。 ※店頭受け取りをご希望の方も必ずこちらからご注文ください。  日本の古本屋からご注文かつ、店頭現金支払いの方は100円引きいたします。 ★送料について ①800g未満:ゆうメールまたはゆうパケット(300円)※(800g以下の場合でも3cmを超える場合はレターパック600での発送です)。/②800g以上:レターパック600(600円)/③ゆうパック1箱(880円)、④(北海道、四国、山口、九州)は1箱(1250円)
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短篇集 ヴィナスの腕/詩集 旧詩帖抄/マンチュリヤ日記  の3冊

4,200
王丸為雄 、銀匙社 、1993~1995 、3
カバー少日焼け有。他、本体良好。初版。各限定100部。。白色カバー。薄本。

臨済宗妙心寺派宗制 発行人臨済宗妙心寺派総務部長 羽賀文圭 編集制作 編集工房 銀匙社 臨済宗妙心寺派宗務本所発行  非売品 垂示記念印あり 刊行年 平9 サイズ B6判 全530頁+92頁 京都の禅寺は、五山十刹代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林」、後者を「林下」といった。妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所を禅寺に改めることを発願した。法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超であった。宗峰は建武412月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。その頃、美濃の伊深で修行に明け暮れていた関山は、都に戻ることを渋っていたが、師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、暦応5年/康永元年、妙心寺の開山となった。なお、「正法山妙心寺」の山号寺号は宗峰が命名したもので、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」という句から取ったものである。関山慧玄の禅風は厳格で、その生活は質素をきわめたという。関山には他の高僧のような「語録」はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼に書き与えた印可状の他、ほとんど残されていない。妙心寺では開山関山慧玄以降、二祖授翁宗弼、三祖無因宗因、四祖日峰宗舜、五祖義天玄承、六祖雪江宗深までを「六祖」と呼んで尊崇している。なお、この初祖〜六祖は法系を指すものであって、妙心寺の住持として何世目であるかを指すものではない。住持の世代としては日峰宗舜、義天玄承、雪江宗深がそれぞれ七世、八世、九世にあたる。

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
1,500
S棚2箱
妙心寺 六世住持の拙堂宗朴、足利氏に反旗をひるがえした大内義弘と関係が深かったため、将軍足利義満の怒りを買った。応永6年、義満は妙心寺の寺領を没収して青蓮院の義円に与え、拙堂宗朴は大内義弘に連座して青蓮院に幽閉の身となった。義円は没収した寺領をさらに南禅寺の廷用宗器に与え、廷用は寺号を「龍雲寺」と改めた。こうして妙心寺は一時中絶することとなった。妙心寺が復活するのは永享4年のことである。同年、廷用は微笑塔の敷地をその頃南禅寺にいた根外宗利に与えた。関山慧玄の流れを汲んでいた根外は、犬山瑞泉寺から日峰宗舜を迎えて妙心寺を復興させた。このため日峰は妙心寺中興の祖とされている。妙心寺は応仁の乱で伽藍を焼失したが六祖雪江宗深の尽力により復興。永正6年には利貞尼が仁和寺領の土地を購入して妙心寺に寄進し、境内が拡張された。利貞尼は関白一条兼良女、美濃加納城主斎藤利国の室である。その後の妙心寺は戦国武将などの有力者の援護を得て、近世には大いに栄えた。
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臨済宗妙心寺派宗制 発行人臨済宗妙心寺派総務部長 羽賀文圭 編集制作 編集工房 銀匙社 臨済宗妙心寺派宗務本所発行  非売品 垂示記念印あり 刊行年 平9 サイズ B6判 全530頁+92頁 京都の禅寺は、五山十刹代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林」、後者を「林下」といった。妙心寺は、大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。平安京の北西部を占める風光明媚な妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。花園上皇は、建武2年(1335年)落飾して法皇となり、花園御所を禅寺に改めることを発願した。法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超であった。宗峰は建武412月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。その頃、美濃の伊深で修行に明け暮れていた関山は、都に戻ることを渋っていたが、師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、暦応5年/康永元年、妙心寺の開山となった。なお、「正法山妙心寺」の山号寺号は宗峰が命名したもので、釈尊が嗣法の弟子・摩訶迦葉に向かって述べた「正法眼蔵涅槃妙心」という句から取ったものである。関山慧玄の禅風は厳格で、その生活は質素をきわめたという。関山には他の高僧のような「語録」はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼に書き与えた印可状の他、ほとんど残されていない。妙心寺では開山関山慧玄以降、二祖授翁宗弼、三祖無因宗因、四祖日峰宗舜、五祖義天玄承、六祖雪江宗深までを「六祖」と呼んで尊崇している。なお、この初祖〜六祖は法系を指すものであって、妙心寺の住持として何世目であるかを指すものではない。住持の世代としては日峰宗舜、義天玄承、雪江宗深がそれぞれ七世、八世、九世にあたる。

1,500
S棚2箱 妙心寺 六世住持の拙堂宗朴、足利氏に反旗をひるがえした大内義弘と関係が深かったため、将軍足利義満の怒りを買った。応永6年、義満は妙心寺の寺領を没収して青蓮院の義円に与え、拙堂宗朴は大内義弘に連座して青蓮院に幽閉の身となった。義円は没収した寺領をさらに南禅寺の廷用宗器に与え、廷用は寺号を「龍雲寺」と改めた。こうして妙心寺は一時中絶することとなった。妙心寺が復活するのは永享4年のことである。同年、廷用は微笑塔の敷地をその頃南禅寺にいた根外宗利に与えた。関山慧玄の流れを汲んでいた根外は、犬山瑞泉寺から日峰宗舜を迎えて妙心寺を復興させた。このため日峰は妙心寺中興の祖とされている。妙心寺は応仁の乱で伽藍を焼失したが六祖雪江宗深の尽力により復興。永正6年には利貞尼が仁和寺領の土地を購入して妙心寺に寄進し、境内が拡張された。利貞尼は関白一条兼良女、美濃加納城主斎藤利国の室である。その後の妙心寺は戦国武将などの有力者の援護を得て、近世には大いに栄えた。

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