文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

「龜田鵬齋自筆 胸中山 原画帖」の検索結果
1件

龜田鵬齋自筆 胸中山 原画帖

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
1,320,000
亀田鵬齋自筆、丙子(文化一三年)春三月記
■商品詳細

【書名】 龜田鵬齋自筆 胸中山 原画帖
【巻冊】 特大一帖
【著者】 亀田鵬齋自筆
【成立】 丙子(文化一三年)春三月記

★ 絹本16圖
★ 緞子仕立
★ 画の大きさ49×20.5㎝。帖の大きさ55.7×25.5㎝
★ 緞子仕立。

★ 鵬齋の最高傑作として名高い刋本『胸中山』全29圖の内、鵬齋自筆の原画または画稿と考えられる16圖を貼り込んだ超特大の一帖。おそらくは此を元に半丁一圖の構圖はほぼそのままに、見開きの一圖は画面に合わせ構圖を大幅に改訂して板行したものと考えられる。
★ 刋本では「窮魚翆碧」と題し、本帖では題名がつけられていない一圖を除いて画名は全て一致し、三圖を除いて落款も一致する。末尾の「寒江獨釣」に「丙子春三月鵬齋老人」と記されており、刋本の鵬齋の文化一三年春の序文の年記とも一致する。
★ 文化六年五月、東都書林/須原屋新兵衛の奧書を附す傳本が稀に存在するが、鵬齋は文化五年に妻を亡くし、翌年に江戸を離れ日光から信州、越後から佐渡に渡えい旅した。その間、出雲崎で良寛和尚と運命的な出會いをしたと云う。良寛の書と人柄に觸れて大きな影響を受け(江戸川柳/鵬齋は越後歸りで字がくねり)、60歳(文化九年頃)にして江戸に戻り富を得たとされているので文化六年刋はあり得まい。
★ 画帖の末尾に舊藏者による記述の貼附あり。それによれば「昭和三八年八月東京文行堂より通信目録にて購求す・・省略・・縁ありて我有に帰した逸品である」とあり。この一文を附した人物は、東海地方に在住されて戰前から古書を蒐集して同時代の大藏書家であった小汀利得氏や横山重氏らに肩を並べる目利きの藏書家だったようだ。
★ 迅速丁寧な発送を心懸けております。 ★ 海外発送も迅速に対応いたします。 ★ ご注文はインターネットからではなくても、電話・ファックス・ハガキ等でも承ります。ご遠慮なくお申しつけください。 ★ クレジット決済のお客様は別途クレジット決済が行えるメールをお送りいたします。 ★ お振り込みをご希望のお客様は大変お手数ですが必ずお振り込み方法をご連絡くださいませ。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可
1,320,000
亀田鵬齋自筆 、丙子(文化一三年)春三月記
■商品詳細 【書名】 龜田鵬齋自筆 胸中山 原画帖 【巻冊】 特大一帖 【著者】 亀田鵬齋自筆 【成立】 丙子(文化一三年)春三月記 ★ 絹本16圖 ★ 緞子仕立 ★ 画の大きさ49×20.5㎝。帖の大きさ55.7×25.5㎝ ★ 緞子仕立。 ★ 鵬齋の最高傑作として名高い刋本『胸中山』全29圖の内、鵬齋自筆の原画または画稿と考えられる16圖を貼り込んだ超特大の一帖。おそらくは此を元に半丁一圖の構圖はほぼそのままに、見開きの一圖は画面に合わせ構圖を大幅に改訂して板行したものと考えられる。 ★ 刋本では「窮魚翆碧」と題し、本帖では題名がつけられていない一圖を除いて画名は全て一致し、三圖を除いて落款も一致する。末尾の「寒江獨釣」に「丙子春三月鵬齋老人」と記されており、刋本の鵬齋の文化一三年春の序文の年記とも一致する。 ★ 文化六年五月、東都書林/須原屋新兵衛の奧書を附す傳本が稀に存在するが、鵬齋は文化五年に妻を亡くし、翌年に江戸を離れ日光から信州、越後から佐渡に渡えい旅した。その間、出雲崎で良寛和尚と運命的な出會いをしたと云う。良寛の書と人柄に觸れて大きな影響を受け(江戸川柳/鵬齋は越後歸りで字がくねり)、60歳(文化九年頃)にして江戸に戻り富を得たとされているので文化六年刋はあり得まい。 ★ 画帖の末尾に舊藏者による記述の貼附あり。それによれば「昭和三八年八月東京文行堂より通信目録にて購求す・・省略・・縁ありて我有に帰した逸品である」とあり。この一文を附した人物は、東海地方に在住されて戰前から古書を蒐集して同時代の大藏書家であった小汀利得氏や横山重氏らに肩を並べる目利きの藏書家だったようだ。

お探しの古書は見つかりましたか?

在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。
お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。
書誌(カタログ)から探す

日本国際博覧会開催 - 昭和開催から55年、博覧会の記憶

米マイクロソフト社50年 - IT-情報技術の源流

反省記
反省記
¥1,000