辻井喬 著、中央公論新社、2009年5月、352p、20cm
初版 カバー 帯付 カバーヤケ無し 帯ヤケ無し 本体三方ヤケ無し 線引き無し 書き込み無し 保存状態良好です。
元セゾングループ代表にして、詩人・作家。二つの名前を往来してきた半生を綴る、希有な個人史にして貴重な戦後史。読売新聞連載時から大反響の話題書が文庫化。
弱肉強食の実業界にありながら文学に取り組む苦労について、著者は本の中で「経営者である人間が書いていくという状態のむずかしさ、あえて名付ければ、職業と感性の間の同一性障害とでも指摘すべきズレがあったのではないかと、自分でも思う。」といっています。しかし、同一性障害は単に消極的なものでなく、経営者として多忙なほど反作用として素晴らしい詩精神が発揮されるという状況もあるんですね。
幼少時、妾(後入籍)の子として1才違いの妹邦子をかばいながら、母の苦労と哀しみ、親子3人で厳しい生活状況にあったあたりの描写は実に切ないものがあり、父康次郎への愛憎のアンビバレンツンのトラウマになったことが良く分かります。
母操(歌人大伴道子)の当時の歌
「女てふいのちも壊れいまのこる骨にひびけるかなしみばかり」
「いとせめて涙少なくあらしめと十二の吾子(あこ)の行く末おもふ」
「母上のおん哀れなりと子等泣けりわれはもすでに涙渇(か)れたり
「母上よよくこそ耐へてと涙のむ子よかなしみは深きこそよし」