消印は明治三十年か(曽根は明治29年に4月、新設の拓殖務省北部局長に就任。)
■商品詳細
【書名】 曽根静夫書簡 原保太郎宛二通 北垣國道宛一通
【巻冊】 毛筆長文/三通(封筒は1枚)
【成立】 消印は明治三十年か(曽根は明治29年に4月、新設の拓殖務省北部局長に就任。)
★ 封筒に「拓殖務省用」と「曽根之章」の朱印を押捺
★ 宛先の原保太郎は上州碓氷郡倉渕で小栗上野介を捕え、処刑した人物とされている。
★ 園部藩士・原官次の三男として生まれる。江戸の練兵館で剣術を修行し、練兵館塾頭になったが、園部藩を脱藩して京都に上り、慶応3年(1867年)岩倉具視の食客となる。戊辰戦争では、東山道総督随行、上野国巡察使兼軍監として従軍した。その際、江戸幕府の元勘定奉行・小栗忠順と家来3人を捕らえて斬首に処した。
★ 曽根静夫は安房国平郡奥山村(のち千葉県安房郡佐久間村奥山、現:鋸南町奥山)で、農業・曽根良助、婦美夫妻の三男として生まれる。農業の傍ら、読み書きを光明寺(佐久間村)住職・貞忍に、算術を高見桂蔵(九重村水岡在住)に学ぶ。その他、剣道も修行した。
★ 1870年(明治3年)頃に上京し、蕎麦屋の出前、医師の書生などとなる。1872年7月13日(明治5年6月8日)、北条県十五等出仕となり、地租改正の試験実施作業を担った。1873年(明治6年)5月、北条県で血税一揆が発生し、その対処に尽力。1876年(明治9年)1月、内務省地理寮九等出仕となり、同年4月、地租改正事務局に転じた。
★ 1896年(明治29年)4月、新設の拓殖務省北部局長に就任。上司の高島鞆之助拓殖務大臣から乃木希典台湾総督に推薦され、1897年(明治30年)7月、台湾総督府民政局長に就任。さらに同府財務局長を兼務した。乃木総督の退任に伴い、1898年(明治31年)3月に辞職し離台。同年6月、山形県知事に就任し、1899年(明治32年)4月まで在任した。同年5月、北海道拓殖銀行設立委員を命ぜられ、1900年(明治33年)2月、同行設立後に初代頭取となり、在任中に死去した。
★ 明治36年(1903年)に、原保太郎(拓殖務大臣/北海道庁長官)の関与により「曽根静夫(そね しずお)」の特旨叙位(功績により高い位階を贈ること)が行われた記録が、アジア歴史資料センターに「曽根静夫特旨叙位ノ件」として残っている。
★ 曽根と北垣は拓殖務省に於いて上司と部下
★ 表示されている税込金額の横にカッコ内で示されている送料は必ずしも一致しませんのでご注意ください。
★ 迅速丁寧な発送を心懸けております。
★ 海外発送も迅速に対応いたします。
★ ご注文はインターネットからではなくても、電話・ファックス・ハガキ等でも承ります。ご遠慮なくお申しつけください。
★ クレジット決済のお客様は別途クレジット決済が行えるメールを送料込み金額確定後にお送りいたします。
★ 代引きをご希望のお客様はご注文時にお知らせいただくと迅速に発送いたします。