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f231200112〇銅版画 日本合戦図古戦場 源平赤間海上合戦図 日本外史 明治初年 〇和本古書古文書

ひぐま堂

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  • 解説 f231200112〇銅版画 日本合戦図古戦場 源平赤間海上合戦図 日本外史 明治初年 〇和本古書古文書

    銅版画 日本合戦図古戦場 源平赤間海上合戦図 日本外史 明治初年 〇和本古書古文書
    230x180mm
    1枚
    虫損 汚れが有ります

    壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。
    栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
    寿永2年(1183年)7月、源義仲に攻められた平氏は安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ちるが、その後の鎌倉政権の源頼朝と義仲との対立に乗じて摂津国福原まで復帰した。
    しかし、寿永3年/治承8年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで大敗を喫して海に逃れ、讃岐国屋島と長門国彦島(山口県下関市)に拠点を置いた。
    鎌倉政権は頼朝の弟範頼に3万騎を率いさせて山陽道を進軍して九州に渡り平氏軍の背後を遮断する作戦を実行する。
    だが、範頼軍は兵糧の不足と優勢な水軍を有する平氏軍の抵抗によって軍を進められなくなった。
    この状況を見た義経は後白河法皇に平氏追討を願い許可を得ると都の公家達の反対を押し切って屋島へ出撃した。
    元暦2年/寿永4年(1185年)2月、義経は奇襲によって屋島を攻略(屋島の戦い)。
    平氏総大将の平宗盛は安徳天皇を奉じて海上へ逃れて志度に立て籠もったが、そこも義経軍に追われ、瀬戸内海を転々としたのち彦島に拠った。
    一方、範頼軍は兵糧と兵船の調達に成功して九州に渡り、同地の平氏方を葦屋浦の戦いで破り、平氏軍の背後の遮断に成功。平氏軍は彦島に孤立してしまった。

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