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日本文化と朝鮮 第3集
日本文化と朝鮮
日本文化と朝鮮 初版
日本文化と朝鮮 第2集 初版
新編春香伝
日本のなかの朝鮮文化 37号
韓国朝鮮の文化と社会 18
日本のなかの朝鮮文化 22号
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日本のなかの朝鮮文化 第17・22・27~30・38・40・41・43・48・50号 各冊バラ売り
日本文化と朝鮮 第2集
日本のなかの朝鮮文化 第16~18・21・22・28・30~38・40・43・44・46~48・50号 各札バラ売り
日本文化と朝鮮 朝鮮文化社編
日本のなかの朝鮮文化21号古代における但馬と朝鮮 高野山奥の院供養碑
日本のなかの朝鮮文化24号 行基とその遺跡 日本律令の成立と朝鮮三国
日本文化と朝鮮 (第1集)
日本のなかの朝鮮文化 第21号
日本のなかの朝鮮文化 第22号
日本のなかの朝鮮文化 第15号
日本のなかの朝鮮文化 第11号
日本のなかの朝鮮文化 第18号
日本の中の朝鮮文化 17号 *双円墳金山古墳、海と古代の九州、古代の文化と政治、高麗茶碗、朝鮮式山城
豆満江 6冊 李箕永著 全冊訳者献呈李殷直署名入 第2巻〜第7巻 李箕永著李殷直訳 1961年初版 朝鮮文化社 装幀金昌徳カバー帯ヤケ傷み少し破れあり、ページ内は概ね経年並 (帯付きは2〜5巻)李箕永(1896年5月 – 1984年8月9日)朝鮮の小説家。本貫は徳水。号は民村。筆名に民村生、聖居山人、聖居、陽心谷人、陽心学人、箕永生。日本統治時代はプロレタリア主義作家としてKAPFの中心メンバーとして活動、解放後は左翼陣営に加わり文壇の重鎮の座に座り続けた。貧困を極めて精巧に描き出す李の筆は南北を通じて高く評価。 李が文壇に登場するのは1924年、『開闢』に掲載された「오빠의 비밀 편지 」からである。1925年、趙明熙の勧めで『朝鮮之光』に編集記者として就職する。また、同じ年に朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF)に加わり、中央委員や出版部責任者を務めるなどして活動した。李光洙や金東仁といった文士と対立し、貧民の現実を見据えた階級意識の高い文学を目指した。その間、李は、「故郷」を『朝鮮日報』に連載し貧困をリアルに描き出している。1930年代、朝鮮文壇を席巻していたKAPFに対して、当時の朝鮮総督府は弾圧を持って対処した。第1次KAPF一斉検挙では、2か月間の拘束を受け(執行猶予で釈放)、第2次KAPE一斉検挙の際は1年6か月の間投獄される。李は第2次KAPF一斉検挙の後、自らの主題を見失い、転向作家として筆をとったり、朝鮮文人協会に参加して親日的活動に加担してもいる。それが李の意思ではなかったのか、1944年には筆を折り、江原道の鉄原に引きこもった。
日本文化と朝鮮 第3集
朝鮮文化社 編、新人物往来社、1978.3
238p 20cm
小林秀雄の流儀
宮本又次史学舘
アイ 創刊号
週刊平凡 創刊
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