ロバート・モリソン(1782~1834)はイギリスの宣教師、中国学者。伝道のため中国語を習得し、布教のかたわら英漢辞典の編集や聖書の中国語訳などをおこなった。本書はモリソンの妻Eilzaが著した回憶録《Memoirs of the life and labours of Robert Morrison》の影印版。原著は1839年に出版され、本書は1932年に香港大学図書館が漢口第一所外国人倶楽部より買い受け、所蔵していたものを撮影した。
马礼逊文集-马礼逊回忆录(1-2)(影印本)
艾莉莎·马礼逊編 張西平 彭仁賢 吳志良主編
ロバート・モリソン(1782~1834)はイギリスの宣教師、中国学者。伝道のため中国語を習得し、布教のかたわら英漢辞典の編集や聖書の中国語訳などをおこなった。本書はモリソンの妻Eilzaが著した回憶録《Memoirs of the life and labours of Robert Morrison》の影印版。原著は1839年に出版され、本書は1932年に香港大学図書館が漢口第一所外国人倶楽部より買い受け、所蔵していたものを撮影した。
2007年是马礼逊来华200周年纪念,他是近代中西文化交流的重要开拓者。马礼逊的学术著作在中国近代学术史上具有深远的影响。本书为“马礼逊文集”之《马礼逊回忆录》,是研究马礼逊的生平和事迹所必须依据的重要史料。书中收录的马礼逊的日记及信件以及间插的时人评论及背影介绍,是研究历史语言学、圣经中译、近代外语教育、近代印刷出版、近代报刊史、西方汉学史等的重要原始资料,具有极高的价值。 本书是学术价值极高、而且又非常罕见的文献资料。
马礼逊是西方派到中国大陆的第一位基督新教传教士,他在华25年,在许多方面都有首创之功。他在中国境内首次把《圣经》全译为中文并予以出版,使基督教经典得以完整地介绍到中国;编纂第一部《华英字典》,成为以后汉英字典编撰之圭臬;他创办《察世俗每月统纪传》,为第一份中文月刊,在中国报刊发展史上位居首尊;他开办“英华书院”,开传教士创办教会学校之先河;他又和东印度公司医生在澳门开设眼科医馆,首创医药传教的方式。他所开创的译经、编字典、办刊物、设学校、开医馆、印刷出版等事业,使其成为开创近代中西文化交流的先驱。
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Original blue cloth binding, vol.1: xxxi, 463pp, vol.2: 550pp, vol.3: 633pp, vol.4: 698pp, vol.5: 543pp, title lettered in gilt to spine, with original dust jacket
Original blue cloth binding, vol.1: xxxi, 463pp, vol.2: 550pp, vol.3: 633pp, vol.4: 698pp, vol.5: 543pp, title lettered in gilt to spine, with original dust jacket
First edition. 8vo, 618pp, black cloth, 3 color fold-out maps, many photos of Japanese people, library stamp on end paper
1942年2月19日に軍事地域からの立ち退き命令の権限を陸軍に与えた大統領令9066号を根拠として、西部防衛司令部及びアメリカ合衆国第四軍の司令官であったジョン L. デヴィット(John L. DeWitt)指揮下で行われたアメリカ西海岸での日系人の強制収容に関する包括的な資料です。
1943年に初版が刊行された本書は、パールハーバーの衝撃により、今回の対応が国家安全保障上の懸念やスパイ及び破壊化工作の予防を求める世論の圧力の下で、日系人一括の立ち退きに至った経緯とその根拠を、多くの統計、図表、写真資料を豊富なデータを基にして報告しています。
本書の前文において、陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、軍事的措置の為にアメリカへの忠誠心の強さや有無にかかわらず一律の対応をせざるを得なかったことを遺憾としつつ、「我が国の日系住民たちが租界命令に応じた態度には大いに称賛に値する」と述べています。
これは皮肉ではなく、実際に日系人組織が今回のアメリカ当局の方針に対して自主的に協力路線を取ったことを根拠として、アメリカ市民権を有する日系人の憲法上の権利を侵害するという非常措置でありながらも、今回の立ち退き収容が一時的滞在または非常事態での避難でありかつ人道的に行われた措置であることを示す目的があったものと思われます。
First edition. 8vo, 618pp, black cloth, 3 color fold-out maps, many photos of Japanese people, library stamp on end paper
1942年2月19日に軍事地域からの立ち退き命令の権限を陸軍に与えた大統領令9066号を根拠として、西部防衛司令部及びアメリカ合衆国第四軍の司令官であったジョン L. デヴィット(John L. DeWitt)指揮下で行われたアメリカ西海岸での日系人の強制収容に関する包括的な資料です。
1943年に初版が刊行された本書は、パールハーバーの衝撃により、今回の対応が国家安全保障上の懸念やスパイ及び破壊化工作の予防を求める世論の圧力の下で、日系人一括の立ち退きに至った経緯とその根拠を、多くの統計、図表、写真資料を豊富なデータを基にして報告しています。
本書の前文において、陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、軍事的措置の為にアメリカへの忠誠心の強さや有無にかかわらず一律の対応をせざるを得なかったことを遺憾としつつ、「我が国の日系住民たちが租界命令に応じた態度には大いに称賛に値する」と述べています。
これは皮肉ではなく、実際に日系人組織が今回のアメリカ当局の方針に対して自主的に協力路線を取ったことを根拠として、アメリカ市民権を有する日系人の憲法上の権利を侵害するという非常措置でありながらも、今回の立ち退き収容が一時的滞在または非常事態での避難でありかつ人道的に行われた措置であることを示す目的があったものと思われます。
参考文献
油井大三郎『日系アメリカ人強制収容からの<帰還>』岩波書店 2025年