東アジア美術文化交流研究会編、中国書店、2009年9月、229p、B5判
寧波(ニンポー)の美術と海域交流
寧波は、近代になって上海が港町として開かれるまで、東アジアの海域交流圏の中心となる港町であった。また寧波は、天台山や普陀山、五山の禅林を揺籃する仏教文化の聖地として、また著名な科挙官僚を輩出した浙東学派の故郷としても知られていた。交易と文化とが重層化する拠点。そこに寧波独自の顔がある。地域社会の信仰のなかで祈りの対象とされた仏画や仏像であれ、海を舞台と経済活動の商品であれ、人的交流の贈答品であれ、寧波から海を渡って日本にもたらされてきた美術品は、日中間、さらには東アジア海域交流圏における重層的な文化交流の歴史を理解するための良き試金石となるだろう。2006年12月、九州国立博物館で開催された国際シンポジウム「寧波の美術から海域交流を考える」の議論を、豊富な写真と図版を付し再現する。