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寺内大吉葉書 小曽戸弥一宛 昭和18年2枚「徴兵検査の結果」他
『近代説話』 <4~9号、11号=7冊>
暮しに生かす仏教成語辞典
ヘンな雑誌 3巻6号
『週刊実話と秘録(ラブミー画報)』昭35年12月29日創刊号
他力本願 : おのれひとりで生きて往けるか
『週刊実話と秘録』1961年3月17日号
本の本(1976年9月号)特集現代の女流。志賀直哉の未発表書簡。他
他力本願 おのれひとりで生きて往けるか
だいこく 梵妻
SSS(サンエス) 1967年4月 創刊号
艶笑秘聞 小説・すえつむ花
『別冊実話と秘録』昭35年7~9月号(創刊号~3号)、揃3冊
秘蔵版 忠臣蔵 義士銘々伝
随筆 大吉三道楽—グッとくだけた、いろ艶筆◇新書
太陽 4月 戦後百番勝負
近代説話 第5集
栄光への反逆
夜の事件第1巻第1号 100万人のよる実話別冊
『浄土』1978年6~8、1979年1~4月号、不揃7冊分(雑誌)
図解結婚科学 第五集 変わった夜と夫婦遊び全集 高橋鉄、寺内大吉、杉山吉良 他
線後を彩った女たち その30年史 性風俗縮刷版 週間大衆創刊30周年記念企画
オール読物 昭和36年4月(16巻4号)寺内大吉(不老長寿)、黒岩重吾(墓地の俳優)清張、友一郎、文雄、範夫、永井路子、新一、佐和子 他
他力本願
怪物王貞治 改訂新版 (ユアコースシリーズ)
宝石 2巻6号~9号、11号 5冊 グラビア牧伸二、高倉健他
『時』1963年4、8月2冊分
ドキュメンタリー・マガジン驚異の記録シリーズ4
ドキュメンタリー・マガジン 驚異の記録シリーズ 4 世界の異色犯罪20大秘話・リンドバーグ、阿部のお定、クレムリンの天一坊他 寺内大吉、大藪春彦、植草甚一、田中小実昌 他
念仏ひじり三国志 法然をめぐる人々 全5巻揃
別冊 実話と秘話 第1巻 第1・2・3・4号
怪物王貞治 ユア・コースシリーズ改訂新版
三国一郎・寺内大吉・北町一郎・岡田鯱彦他
特集 近・現代作家と仏教文学
100万人のよる 昭35・4月号
週刊朝日 1973年8月24日
驚異の記録シリーズ 1巻4号 昭和38年4月号 世界の異色犯罪20大秘録
大衆文学研究 創刊号~8号、10号、11号、13号、14号、16号、17号 現存14冊
歴史と旅 10巻14号特集秘剣七つの太刀
映画芸術 1965・2 NO.209 新しい戦争緊張のなかの映画/キューバ=堀田善衛,韓国=大島渚,ソ連=白坂依志夫,アフリカ=羽仁進,南ベトナム=垣内政彦 「輪舞」とわが快楽主義/小島信夫,中村真一郎,金子光晴,森茉莉,寺内大吉 他 シナリオ/輪舞ロジェ・バディム監督 原作=アルツール・シュニッツラー 脚本台詞=ジャン・アヌイ
週刊大衆 昭和42年9/14号 表紙:星由里子 グラビア:鯨浮上の強力スクリュー太洋・平松投手 カメラ・ルポ世相断面=秋は女の季節 買値1億の国際スターただいま悠々と「出世子守唄」木曽路ロケ=丹波哲郎(記事あり) 今世紀最大のグラマー''ラクェル・ウェルチ 記事:デヴィ夫人の離婚をめぐるある噂、来日危ぶまれるトウィギー娘の周辺、ここに「大衆」は生きる・いま東京が大地震に襲われたら 他
瀬戸内ミステリー傑作選 <河出文庫>
戦後の田中智学論を糾す
月刊 噂1巻4号-特集・知られざる山本周五郎
あなたが知らない奥三河の旅路 贈呈印有
大阪ろまん 石浜恒夫著 、全国書房 、昭42 、234p 図版 、B6初版 ビニルカバーなし 帯イタミ 石濱恒夫(1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。大阪高等学校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。また、大学在学中に学徒出陣で召集され、陸軍戦車学校に入り、戦車部隊配属となる。その部隊で一緒だったのがのちの司馬遼太郎であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。また、司馬と同様に西長堀アパートに居住していたこともある。1946年に文学同人誌『文学雑誌』に参加し、小説家としての活動を始める。1953年に発表した「らぷそでい・いん・ぶるう」が芥川賞候補となった。1957年に、同人誌『近代説話』を司馬、寺内大吉らとはじめる。歌謡曲の作詞も手がけ、地元大阪を舞台とした数々のヒット曲を世に送り出した。テレビドラマの脚本も数多く手がけた。若い頃からヨットマンとしても知られ、1977年には娘の紅子他1人と共に、ヨットで大西洋を無寄港で横断した。1985年に文楽の桐竹勘十郎とともに「大阪芸術賞」を受賞。2004年(平成16年)1月9日、肺癌のために死去。80歳没。「大阪芸術賞」の贈呈理由として、「大阪をこよなく愛し、大阪の盛り場の叙情を血肉化する数少ない作家」であり、「大阪の風俗・人情を哀感を込めて描く」作家として作品は高く評価されており、「大阪文壇の発展に寄与した功績は大きい」。
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