文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

「市川正一 述」の検索結果
8件

市川正一公判陳述 1922から29年の党活動について

まなぶ書房
 大阪府東大阪市若江南町
500
市川正一、新日本文庫、1977年、1冊
初版 カバー付 ヤケ 文庫判
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可

市川正一公判陳述 1922から29年の党活動について

500
市川正一 、新日本文庫 、1977年 、1冊
初版 カバー付 ヤケ 文庫判

獄中から 直井武夫の献呈署名

麦の秋書房
 神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜
2,500 (送料:¥200~)
市川正一 著、桐生暁書房、1947、146p、19cm
著者の友人と思われる著述業の直井武夫から木俣彰一(著述業)に宛てた献呈本。市川正一にまつわる文章が1ページ半にわたって記されています。見返しの旧蔵者印は木俣彰一のもの。
初版。本体に強いシミ・ヤケ・ヨゴレ、線引きが1行、見返しにラベルのはがし跡があります。
単品スピード注文
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可
2,500 (送料:¥200~)
市川正一 著 、桐生暁書房 、1947 、146p 、19cm
著者の友人と思われる著述業の直井武夫から木俣彰一(著述業)に宛てた献呈本。市川正一にまつわる文章が1ページ半にわたって記されています。見返しの旧蔵者印は木俣彰一のもの。 初版。本体に強いシミ・ヤケ・ヨゴレ、線引きが1行、見返しにラベルのはがし跡があります。
  • 単品スピード注文

市川正一集 論文ほか/日本金融資本発達史/公判陳述・獄中書簡(戦前日本共産党幹部著作集) 全3巻

文生書院
 東京都文京区本郷
3,300
市川 正一 著、新日本出版社、昭和60、401+341+594p、B6
印 少ヤケ 少汚 ISBN:**
【登録書籍は店頭にはございません。倉庫で在庫管理をしています。】土日祝日は休業のため、その前後のご注文につきましては確認・ご連絡・発送が遅れますことご了承下さい。海外発送はEMSのみ取り扱います。送付先は英文表記でお願いいたします。ご不便をお掛けして申し訳ございません。ご理解を賜りますと幸いでございます。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

市川正一集 論文ほか/日本金融資本発達史/公判陳述・獄中書簡(戦前日本共産党幹部著作集) 全3巻

3,300
市川 正一 著 、新日本出版社 、昭和60 、401+341+594p 、B6
印 少ヤケ 少汚 ISBN:**

市川正一公判陳述 - 1922〜29年の党活動について 新日本文庫

セカンズ
 北海道札幌市白石区栄通20丁目
500
市川正一、新日本出版社、1977・初版、209ページ、15センチ
帯なし・1977・初版。カヴァにスレ・軽ヤケ、本に軽経年ヤケ、線等はありません。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可
500
市川正一 、新日本出版社 、1977・初版 、209ページ 、15センチ
帯なし・1977・初版。カヴァにスレ・軽ヤケ、本に軽経年ヤケ、線等はありません。

日本共産黨鬪爭小史

古本倶楽部株式会社
 岐阜県瑞穂市稲里440-1
500 (送料:¥350~)
市川正一 述、桐生暁書房
ヤケ
単品スピード注文
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送可 適格請求
500 (送料:¥350~)
市川正一 述 、桐生暁書房
ヤケ
  • 単品スピード注文

戦前日本共産党幹部著作集 全7巻揃

あ〜る書房
 長崎県諫早市目代町 526-4 
11,000
新日本出版社
全7巻揃 各1985-86年刊 函付 経年おおむね良好
・市川正一集 第一巻 論文ほか
・市川正一集 第二巻 日本金融資本発達史
・市川正一集 第三巻 公判陳述・獄中書簡
・渡辺政之輔集
・国領五一郎集
・山本懸蔵集
・上田茂樹集
FAX機器不調・代引き不可 発送は国内のみ(お急ぎの場合は予めお知らせください) 郵便利用 A4厚さ2.5cmまでクリックポスト185円 3cm迄は郵便レターパックライト430円、厚さ3cmを超えるものは郵便レターパックプラス600円 レターパックに入らぬものはゆうパックで発送します
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可

戦前日本共産党幹部著作集 全7巻揃

11,000
、新日本出版社
全7巻揃 各1985-86年刊 函付 経年おおむね良好 ・市川正一集 第一巻 論文ほか ・市川正一集 第二巻 日本金融資本発達史 ・市川正一集 第三巻 公判陳述・獄中書簡 ・渡辺政之輔集 ・国領五一郎集 ・山本懸蔵集 ・上田茂樹集

市川正一著作集 上

書肆吉成
 北海道札幌市東区北二十六条東七丁目
500
日本共産堂中央委員会出版部、18cm、1
1963年2版 ビニールカバー 帯 小口少ヤケ 線引き無し
公費承ります。海外発送承ります。別途送料ゆうメール185円(梱包時34×25cm、厚3cm、1㎏以内)、430円(梱包時34×25cm、厚3cm、3㎏以内)、規格サイズを超える商品は、レターパックプラス600円か定形外郵便(規格外)かゆうパックのいずれか実費。 ※ゆうメールは曜日によって発送してからお届けまで最大5日ほどかかる場合がございます。  ※店頭にてお取引を希望の場合は必ず事前にご連絡ください。倉庫保管、在庫欠の場合がございます。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可 適格請求

市川正一著作集 上

500
、日本共産堂中央委員会出版部 、18cm 、1
1963年2版 ビニールカバー 帯 小口少ヤケ 線引き無し

獄中から 著者 市川正一 出版社 暁書房 刊行年 昭22 解説 初版市川 正一(いちかわ しょういち、1892年3月20日 - 1945年3月15日)は、戦前の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)の幹部。山口県宇部市出身。 1892年3月20日、山口県厚狭郡宇部村(現:宇部市)に生まれる。本籍は山口県光市光井鮎帰。1910年山口県立山口中学(現:山口県立山口高等学校)を卒業、広島高等師範学校(現:広島大学教育学部)に入学したが2年で中退、早稲田大学予科に入学。1916年、早稲田大学英文科を卒業、読売新聞社社会部記者となる。1918年、読売新聞社への軍部の干渉に反対し、退社。翌年、大正日日新聞に入社。1920年、大正日日新聞の保守性に失望して退社。国際通信社に入社。このころから社会主義の研究をはじめる。1922年4月、雑誌『無産階級』を発刊。翌年1月、31歳で日本共産党(第一次共産党)入党。1923年6月、日本共産党第一次弾圧により治安維持法違反で懲役8ヶ月。1924年5月、党理論雑誌『マルクス主義』編集員。1926年3月、党合法紙『無産者新聞』主筆。1926年12月、第3回党大会で再建された共産党(第二次共産党)の中央委員に選出、翌年12月、党中央常任委員に選ばれ、宣伝・扇動部長となる。1928年4月、コミンテルン第6回大会に党代表として出席。1929年4月、治安維持法違反で特別高等警察に逮捕される。約2ヶ月にわたる拷問にも屈せず、公判では代表陳述として支配階級を徹底的に糾弾し、日本共産党の党史について述べ「党と人民の正義の事業が必ず勝利するだろう」と主張した。彼の陳述内容はその後『日本共産党闘争小史』として出版された。1935年7月、在獄中のまま、コミンテルン第7回大会で執行委員に選ばれる。1945年3月15日、宮城刑務所で53歳で死去。最後まで転向はしなかった。宮城刑務所において栄養失調となり歯が抜けて噛むことができなくなった市川は硬い米と軟らかい米を一粒ずつより分けて指でつぶしながら生き抜こうとしたという話がある。網走刑務所では肺炎を悪化させて、医師から死亡宣告されたが、僧侶の読経の最中に昏睡から目覚め、僧侶は驚いて逃げ出したという[1]。

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
2,000
S棚9箱
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

獄中から 著者 市川正一 出版社 暁書房 刊行年 昭22 解説 初版市川 正一(いちかわ しょういち、1892年3月20日 - 1945年3月15日)は、戦前の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)の幹部。山口県宇部市出身。 1892年3月20日、山口県厚狭郡宇部村(現:宇部市)に生まれる。本籍は山口県光市光井鮎帰。1910年山口県立山口中学(現:山口県立山口高等学校)を卒業、広島高等師範学校(現:広島大学教育学部)に入学したが2年で中退、早稲田大学予科に入学。1916年、早稲田大学英文科を卒業、読売新聞社社会部記者となる。1918年、読売新聞社への軍部の干渉に反対し、退社。翌年、大正日日新聞に入社。1920年、大正日日新聞の保守性に失望して退社。国際通信社に入社。このころから社会主義の研究をはじめる。1922年4月、雑誌『無産階級』を発刊。翌年1月、31歳で日本共産党(第一次共産党)入党。1923年6月、日本共産党第一次弾圧により治安維持法違反で懲役8ヶ月。1924年5月、党理論雑誌『マルクス主義』編集員。1926年3月、党合法紙『無産者新聞』主筆。1926年12月、第3回党大会で再建された共産党(第二次共産党)の中央委員に選出、翌年12月、党中央常任委員に選ばれ、宣伝・扇動部長となる。1928年4月、コミンテルン第6回大会に党代表として出席。1929年4月、治安維持法違反で特別高等警察に逮捕される。約2ヶ月にわたる拷問にも屈せず、公判では代表陳述として支配階級を徹底的に糾弾し、日本共産党の党史について述べ「党と人民の正義の事業が必ず勝利するだろう」と主張した。彼の陳述内容はその後『日本共産党闘争小史』として出版された。1935年7月、在獄中のまま、コミンテルン第7回大会で執行委員に選ばれる。1945年3月15日、宮城刑務所で53歳で死去。最後まで転向はしなかった。宮城刑務所において栄養失調となり歯が抜けて噛むことができなくなった市川は硬い米と軟らかい米を一粒ずつより分けて指でつぶしながら生き抜こうとしたという話がある。網走刑務所では肺炎を悪化させて、医師から死亡宣告されたが、僧侶の読経の最中に昏睡から目覚め、僧侶は驚いて逃げ出したという[1]。

2,000
S棚9箱

お探しの古書は見つかりましたか?

在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。
お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。
書誌(カタログ)から探す

太平洋戦争終戦80年 - 戦後80年

日航ジャンボ機事故40年 - 航空機、事故、安全

墜落
墜落
¥500