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3件

新台湾の人々

BOOKS 青いカバ
 東京都文京区本駒込
45,000
宮川次郎 著、拓殖通信社、522p、20cm
再版 函
ヤケシミ 函傷み少
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45,000
宮川次郎 著 、拓殖通信社 、522p 、20cm
再版 函 ヤケシミ 函傷み少

小野鍾山書簡  <和紙3枚・毛筆18行 封筒入>

港や書店
 東京都文京区大塚
5,500
上海・菅沼寛蔵宛、戦前、1通
書家・小野鍾山(鷹男)毛筆書簡。上海フランス租界の菅沼寛蔵宛て。入退院等に関する通信。

諸文献の情報を総合すると菅沼寛蔵は山形県出身、法政大学明治37年卒の弁護士兼金融業者。大正中期の台湾林本源製糖買収事件に鈴木商店側弁護士として関与。宮川次郎著『新台湾の人々』(大15・拓殖通信社)では「辯護士と、實業家と、黒幕師との間を行く(略)林糖事件で産を成し、今は東京で脂下て居る」と評されている。大正10年度の『荘内館報告・第25回』に「今回事務所を上海に設け専ら同地に於て事業を経営することにせられたり」とあり、此の時期に上海へ進出したと思われる。世田谷区に居を構えて事業を継続し、「花園都市」を謳った別府観海寺土地株式会社の内紛~清算時には同社監査役を務めている。戦後の動静についても週刊誌報道等が見つかるが割愛。
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5,500
上海・菅沼寛蔵宛 、戦前 、1通
書家・小野鍾山(鷹男)毛筆書簡。上海フランス租界の菅沼寛蔵宛て。入退院等に関する通信。 諸文献の情報を総合すると菅沼寛蔵は山形県出身、法政大学明治37年卒の弁護士兼金融業者。大正中期の台湾林本源製糖買収事件に鈴木商店側弁護士として関与。宮川次郎著『新台湾の人々』(大15・拓殖通信社)では「辯護士と、實業家と、黒幕師との間を行く(略)林糖事件で産を成し、今は東京で脂下て居る」と評されている。大正10年度の『荘内館報告・第25回』に「今回事務所を上海に設け専ら同地に於て事業を経営することにせられたり」とあり、此の時期に上海へ進出したと思われる。世田谷区に居を構えて事業を継続し、「花園都市」を謳った別府観海寺土地株式会社の内紛~清算時には同社監査役を務めている。戦後の動静についても週刊誌報道等が見つかるが割愛。

[仮題] 別府観海寺土地株式会社監査役・菅沼寛蔵旧蔵資料 

港や書店
 東京都文京区大塚
198,000
昭3~9頃、積み上げると厚さ約25cm、1組
「花園都市観海寺」を開発する別府観海寺土地株式会社の内紛~精算時に監査役を務めた弁護士兼実業家・菅沼寛蔵旧蔵資料群。

諸文献の情報を総合すると菅沼寛蔵は山形県出身、法政大学明治37年卒の弁護士兼金融業者。大正中期の台湾林本源製糖買収事件に鈴木商店側弁護士として関与。宮川次郎著『新台湾の人々』(大15・拓殖通信社)では「辯護士と、實業家と、黒幕師との間を行く(略)林糖事件で産を成し、今は東京で脂下て居る」と評されている。大正10年度の『荘内館報告・第25回』に「今回事務所を上海に設け専ら同地に於て事業を経営することにせられたり」とあり、此の時期に上海へ進出したと思われる。世田谷区に居を構えて事業を継続し、別府観海寺土地株式会社の内紛~清算時に監査役を務めている。戦後の動静についても週刊誌報道等が見つかるが割愛。

大正9年から開発が始まった温泉付邸宅地「観海寺」は、経営難と創業者多田次平の死去により久留米絣王・国武金太郎の手に移る。その後国武と役員間の内紛と訴訟が起こる中で昭和3年12月に菅沼寛蔵が監査役就任(昭和4年3月19日官報記載)、昭和8年に会社は解散する。

今回の資料群は以下の通り。なお書簡類は世田谷自邸や上海フランス租界の住所宛。
●監査役就任以前からの別府石垣村・朝日村土地売買、鉄輪温泉等の掘削・鉱泉名義変更等に関する資料群。/多田次平を始めとする売買関係者書簡、電報、土地売買契約書類、実測図、登記簿謄本、計算書、鉱泉地海地獄土地調及び平面図、温泉穿堀契約書類、鉱泉名義変更書類、海水浴場設置申請書類等々。
●昭和5年頃から開始された「別府観海寺土地株式会社清算事務所」による清算事業資料群。/国武金太郎や清算事務所を始めとする関係者書簡、電報、国武金太郎自筆覚書、営業報告書、清算事務所報告、株主名簿、臨時株主総会決議録、負債内訳表、貸借対照表及び財産目録、競売物件目録、土地競売関係書類、観海寺地帯連絡図(競売地等を図示)、清算人解任請求書類、告発状、告訴状、上申書、陳述書等々。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求
198,000
、昭3~9頃 、積み上げると厚さ約25cm 、1組
「花園都市観海寺」を開発する別府観海寺土地株式会社の内紛~精算時に監査役を務めた弁護士兼実業家・菅沼寛蔵旧蔵資料群。 諸文献の情報を総合すると菅沼寛蔵は山形県出身、法政大学明治37年卒の弁護士兼金融業者。大正中期の台湾林本源製糖買収事件に鈴木商店側弁護士として関与。宮川次郎著『新台湾の人々』(大15・拓殖通信社)では「辯護士と、實業家と、黒幕師との間を行く(略)林糖事件で産を成し、今は東京で脂下て居る」と評されている。大正10年度の『荘内館報告・第25回』に「今回事務所を上海に設け専ら同地に於て事業を経営することにせられたり」とあり、此の時期に上海へ進出したと思われる。世田谷区に居を構えて事業を継続し、別府観海寺土地株式会社の内紛~清算時に監査役を務めている。戦後の動静についても週刊誌報道等が見つかるが割愛。 大正9年から開発が始まった温泉付邸宅地「観海寺」は、経営難と創業者多田次平の死去により久留米絣王・国武金太郎の手に移る。その後国武と役員間の内紛と訴訟が起こる中で昭和3年12月に菅沼寛蔵が監査役就任(昭和4年3月19日官報記載)、昭和8年に会社は解散する。 今回の資料群は以下の通り。なお書簡類は世田谷自邸や上海フランス租界の住所宛。 ●監査役就任以前からの別府石垣村・朝日村土地売買、鉄輪温泉等の掘削・鉱泉名義変更等に関する資料群。/多田次平を始めとする売買関係者書簡、電報、土地売買契約書類、実測図、登記簿謄本、計算書、鉱泉地海地獄土地調及び平面図、温泉穿堀契約書類、鉱泉名義変更書類、海水浴場設置申請書類等々。 ●昭和5年頃から開始された「別府観海寺土地株式会社清算事務所」による清算事業資料群。/国武金太郎や清算事務所を始めとする関係者書簡、電報、国武金太郎自筆覚書、営業報告書、清算事務所報告、株主名簿、臨時株主総会決議録、負債内訳表、貸借対照表及び財産目録、競売物件目録、土地競売関係書類、観海寺地帯連絡図(競売地等を図示)、清算人解任請求書類、告発状、告訴状、上申書、陳述書等々。

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