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「文:海上雅臣 写真:吉岡康弘・土門拳」の検索結果
3件

定本 木内克 普及版

古書サンエー
 東京都渋谷区道玄坂
20,790
文:海上雅臣 写真:吉岡康弘・土門拳、現代彫刻センター、昭49、1冊
署名入・函欠 背少ヤケ・シール剥跡
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可 適格請求

定本 木内克 普及版

20,790
文:海上雅臣 写真:吉岡康弘・土門拳 、現代彫刻センター 、昭49 、1冊
署名入・函欠 背少ヤケ・シール剥跡

定本 木内克(普及版)

ハナ書房
 大阪府大阪市北区天神橋
4,500
木内克 [作],編・文: 海上雅臣、現代彫刻センター、1974、235p (おもに図)、37cm

序に代えて
木内克
うかつなことに60年もたってはじめて気がついた。 1971年の初夏ひとから
さそわれてふらりと渡欧した。 昔は勉強のために行ったものだが、今度は
仕事をするための旅であった。 だから昔はよく見て歩く時間が多く、今度
は見て歩くより仕事をしている時間の方が多かったのだが、その短い時間
に見ていて気のつくことは昔よりずっと多かった。
気のついたことの一つに、ギリシャ以来西欧の彫刻の歴史が男性像を主と
しており、女の表現が弱かったという点がある。もちろん女神とかビーナ
スとかはあるのだが、 そこにはぼくらの考える女っぽさはない。 神の崇高
を表現するため、 といえば通りはよいが、ルネサンスにきてドナテルロで
もミケランジェロでも傑作は男だ。 ロダンも男だと気づくに従っておど
ろいた。
ごく身近のところまで女がない。 マイヨールにきてはじめて女らしい女が
生まれた、といってよい。 それでも、まだぼくらの考える女とは違うとこ
ろがある。
考えてみると、西洋の美術は男っぽく、 東洋の美術は女っぽい。 仏像をと
ってみても、男っぽくなってよいテーマのものまで女っぽくしている。
こう気づいてみると、 自分の彫刻がつくづくむつかしい大変なところに入
りこんでいるということを知った。
今まで気づかなかった重大な発見である。
写真: 吉岡康弘, 土門拳
函欠 本文良好 献呈サイン
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4,500
木内克 [作],編・文: 海上雅臣 、現代彫刻センター 、1974 、235p (おもに図) 、37cm
序に代えて 木内克 うかつなことに60年もたってはじめて気がついた。 1971年の初夏ひとから さそわれてふらりと渡欧した。 昔は勉強のために行ったものだが、今度は 仕事をするための旅であった。 だから昔はよく見て歩く時間が多く、今度 は見て歩くより仕事をしている時間の方が多かったのだが、その短い時間 に見ていて気のつくことは昔よりずっと多かった。 気のついたことの一つに、ギリシャ以来西欧の彫刻の歴史が男性像を主と しており、女の表現が弱かったという点がある。もちろん女神とかビーナ スとかはあるのだが、 そこにはぼくらの考える女っぽさはない。 神の崇高 を表現するため、 といえば通りはよいが、ルネサンスにきてドナテルロで もミケランジェロでも傑作は男だ。 ロダンも男だと気づくに従っておど ろいた。 ごく身近のところまで女がない。 マイヨールにきてはじめて女らしい女が 生まれた、といってよい。 それでも、まだぼくらの考える女とは違うとこ ろがある。 考えてみると、西洋の美術は男っぽく、 東洋の美術は女っぽい。 仏像をと ってみても、男っぽくなってよいテーマのものまで女っぽくしている。 こう気づいてみると、 自分の彫刻がつくづくむつかしい大変なところに入 りこんでいるということを知った。 今まで気づかなかった重大な発見である。 写真: 吉岡康弘, 土門拳 函欠 本文良好 献呈サイン

定本 木内 克(普及版)

ハナ書房
 大阪府大阪市北区天神橋
12,000
木内克 [作],編・文: 海上雅臣、現代彫刻センター、1974、235p (おもに図)、37cm

序に代えて
木内克
うかつなことに60年もたってはじめて気がついた。 1971年の初夏ひとから
さそわれてふらりと渡欧した。 昔は勉強のために行ったものだが、今度は
仕事をするための旅であった。 だから昔はよく見て歩く時間が多く、今度
は見て歩くより仕事をしている時間の方が多かったのだが、その短い時間
に見ていて気のつくことは昔よりずっと多かった。
気のついたことの一つに、ギリシャ以来西欧の彫刻の歴史が男性像を主と
しており、女の表現が弱かったという点がある。もちろん女神とかビーナ
スとかはあるのだが、 そこにはぼくらの考える女っぽさはない。 神の崇高
を表現するため、 といえば通りはよいが、ルネサンスにきてドナテルロで
もミケランジェロでも傑作は男だ。 ロダンも男だと気づくに従っておど
ろいた。
ごく身近のところまで女がない。 マイヨールにきてはじめて女らしい女が
生まれた、といってよい。 それでも、まだぼくらの考える女とは違うとこ
ろがある。
考えてみると、西洋の美術は男っぽく、 東洋の美術は女っぽい。 仏像をと
ってみても、男っぽくなってよいテーマのものまで女っぽくしている。
こう気づいてみると、 自分の彫刻がつくづくむつかしい大変なところに入
りこんでいるということを知った。
今まで気づかなかった重大な発見である。
写真: 吉岡康弘, 土門拳
函(小さなヘコミ有) 本文良好
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送可
12,000
木内克 [作],編・文: 海上雅臣 、現代彫刻センター 、1974 、235p (おもに図) 、37cm
序に代えて 木内克 うかつなことに60年もたってはじめて気がついた。 1971年の初夏ひとから さそわれてふらりと渡欧した。 昔は勉強のために行ったものだが、今度は 仕事をするための旅であった。 だから昔はよく見て歩く時間が多く、今度 は見て歩くより仕事をしている時間の方が多かったのだが、その短い時間 に見ていて気のつくことは昔よりずっと多かった。 気のついたことの一つに、ギリシャ以来西欧の彫刻の歴史が男性像を主と しており、女の表現が弱かったという点がある。もちろん女神とかビーナ スとかはあるのだが、 そこにはぼくらの考える女っぽさはない。 神の崇高 を表現するため、 といえば通りはよいが、ルネサンスにきてドナテルロで もミケランジェロでも傑作は男だ。 ロダンも男だと気づくに従っておど ろいた。 ごく身近のところまで女がない。 マイヨールにきてはじめて女らしい女が 生まれた、といってよい。 それでも、まだぼくらの考える女とは違うとこ ろがある。 考えてみると、西洋の美術は男っぽく、 東洋の美術は女っぽい。 仏像をと ってみても、男っぽくなってよいテーマのものまで女っぽくしている。 こう気づいてみると、 自分の彫刻がつくづくむつかしい大変なところに入 りこんでいるということを知った。 今まで気づかなかった重大な発見である。 写真: 吉岡康弘, 土門拳 函(小さなヘコミ有) 本文良好

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