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マレー作戦 : 大東亜戦史
週刊朝日 1942年5月31日号 隣組常会の海軍問答 空海一如・自信と実力
1942年朝日年鑑
『週刊朝日』1942年8月2日号
美術の秋(1942年)
『アサヒグラフ』1942年4月15日号
『週刊少国民』1942年12月20日号
『週刊朝日』1942年12月13日号(雑誌)
『週刊朝日』1942年4月19日号(雑誌)
大興安嶺探検 1942年探検隊報告 朝日文庫
『週刊少国民』1942年11月8日号
現代百人一首 〈戦後50年の 名歌100首〉
『週刊朝日』1942年2月15日号
『婦人朝日』1942年3月号
朝日クロニクル 週刊20世紀 1942(昭和17年) 077
昭和17年朝日年鑑 1942年
コルチャック先生 1942年8月、子どもたちへの愛とともにガス室にきえたー 舞台公演プログラムパンフレット 監修・企画協力:アンジェイ・ワイダ 台本:いずみ凛 演出:太刀川敬一・劇団ひまわり文芸演出部 音楽:加藤登紀子 キャスト/加藤剛、榛名由梨、伊崎充則 他
政治記者後藤基夫 後藤基夫さんを偲ぶ文集刊行会 1985年 全 314ページ後藤基夫(1918年10月20日 - 1983年4月5日)日本のジャーナリスト、朝日新聞社常務取締役。大分県佐賀関町生まれ。第三高等学校を経て1941年12月東京帝国大学法学部政治学科卒業、1942年1月朝日新聞社入社、翌2月陸軍東部第62部隊入営。主計少尉として中国湖北省で終戦を迎える(ポツダム宣言受諾後に主計中尉)。1946年2月に朝日新聞社に復職。同年6月東京本社政経部員、1950年1月政治部員、1956年10月アメリカ総局員、1958年2月政治部に復帰、1960年1月政治部次長、1963年2月ロンドン支局長、1966年6月論説委員、1967年1月論説副主幹、1969年12月東京本社編集局長、1973年9月取締役・大阪本社代表、1974年6月常務取締役、1978年12月総合企画室担当(東京本社)、1981年4月東京本社代表となり、在職中に脳出血のため死去。享年66(満64歳)。東大在学中に昭和研究会の教育機関「昭和塾」に入り、三木清の影響を受けた。「室町将軍」と呼ばれた同郷の右翼の大物三浦義一(父親が元大分市長、衆議院議員)と親しく、政界の裏情報にも通じて「書かざる大記者」と呼ばれた。宮沢喜一は後藤を「一番親しい友人」と呼んでいる。「書かざる大記者」ゆえに敵対する政治家の双方から相談を持ち込まれることも多く、政治記者として読売新聞社の渡邉恒雄も一目置く存在だった。中ソ対立が社内の派閥抗争に波及していた当時の朝日においては、親中派の重鎮の一人で、東京本社編集局長時代の1971年秋に特派員団長として北朝鮮と中国を訪問し、金日成首相、周恩来首相と会見。総合企画室担当時代の1980年にも北朝鮮を訪れている。「書かざる大記者」のため、書いたものは少ないが、晩年、雑誌『世界』に連載された石川真澄、内田健三との鼎談で、戦後政治についての見聞の一部を語っている。
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