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「桑都日記 正続」の検索結果
3件

桑都日記 正続

慶文堂書店
 東京都千代田区神田神保町
52,800
塩野適斎、昭48、2
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52,800
塩野適斎 、昭48 、2

桑都日記 正続2冊揃 

(有)みちくさ書店
 東京都国立市東
48,000 (送料:¥820~)
塩野適斎 著 : 山本正夫/栗山亀蔵 訳、鈴木龍二記念刊行会、1972-1973、22.5cm、2冊
正続2冊揃 函背少ヤケ 小口少ヤケ・シミ (続)17ページ段落上に少傷、1枚角折れ 本文問題なし 文政期から天保期にかけて編まれた東京多摩八王子地区の地誌書
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桑都日記 正続2冊揃 

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塩野適斎 著 : 山本正夫/栗山亀蔵 訳 、鈴木龍二記念刊行会 、1972-1973 、22.5cm 、2冊               
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鹽埜適齋書幅 八王子千人同心組頭

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
165,000
塩野轍、江戸後期寫
■商品詳細

【書名】 塩野適齋書幅 八王子千人同心組頭
【巻冊】 一幅
【著者】 鹽埜轍
【成立】 江戸後期寫

★ 軸長/178㎝
★ 紙本/107×27㎝
★ 箱
★ 落款/「鹽野/轍印」「適齋」

★ 塩野適斎=1775年- 1847年11月16日)は、八王子千人同心組頭。組頭・河西知礼の次男として生まれる。別名、河西知哲。★ 寛政3年17歳のとき、組頭・塩野光廸(鶏沢)の養子となり、通称を所左衛門といい、諱は轍、適斎と号す。
★ 1791年(寛政3年)太平真鏡流開祖・若菜豊重に入門し、拳法を塩原又太郎に、長尾某に鎌槍を学ぶ。1798年(寛政10年)に刀法免許を得ると、多くの千人同心に剣術を教えた。また1802年(享和2年)朱子学を林家の家塾へ河尻春之の紹介で入門して、学を修めている。1806年(文化3年)自宅に講武堂と読書堂を併設して武道と学問を指南する。
★ 1813年(文化10年)、八王子千人頭・原胤敦に地誌制作の幕命があると、植田孟縉らとともに武蔵国の多摩郡、高麗郡、秩父郡の地誌編纂に従事、『新編武蔵風土記稿』の一部を完成させる。さらに『新編相模国風土記稿』の編纂にも従事した。
★ 文政7年(1824年)、前年の怪文書のため不行跡との理由から、適斎を含む同僚50人が譴責処分となり、平同心に格下げとなった。
★ 文政10年(1827年)、『桑都日記』正続41巻を完成させ、幕府に献上した(「桑都」(そうと)とは織物の町・八王子のこと)。これは多年の調査と膨大な資料をもとに編まれた、八王子地域と八王子千人同心の天正10年(1582年)から文政7年(1824年)までの編年史である。その他、『適斎文稿』『適斎詩集』『筑井県行』『日光客中謾筆』などの著作がある。また恩人河尻春之の遺文集『製阪肥後公遺稿』を編纂している。
★ 弘化4年(1847年)11月16日、死去。葬儀には千人頭5名以下、500人を超える参列者があったという。享年73。墓は極楽寺(東京都八王子市大横町7-1)にあり、東京都指定文化財に指定されている。
★ 八王子市追分町に存在した塩野適斎の屋敷の建物は、現在は小金井市の江戸東京たてもの園に移築保存されている。
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165,000
塩野轍 、江戸後期寫
■商品詳細 【書名】 塩野適齋書幅 八王子千人同心組頭 【巻冊】 一幅 【著者】 鹽埜轍 【成立】 江戸後期寫 ★ 軸長/178㎝ ★ 紙本/107×27㎝ ★ 箱 ★ 落款/「鹽野/轍印」「適齋」 ★ 塩野適斎=1775年- 1847年11月16日)は、八王子千人同心組頭。組頭・河西知礼の次男として生まれる。別名、河西知哲。★ 寛政3年17歳のとき、組頭・塩野光廸(鶏沢)の養子となり、通称を所左衛門といい、諱は轍、適斎と号す。 ★ 1791年(寛政3年)太平真鏡流開祖・若菜豊重に入門し、拳法を塩原又太郎に、長尾某に鎌槍を学ぶ。1798年(寛政10年)に刀法免許を得ると、多くの千人同心に剣術を教えた。また1802年(享和2年)朱子学を林家の家塾へ河尻春之の紹介で入門して、学を修めている。1806年(文化3年)自宅に講武堂と読書堂を併設して武道と学問を指南する。 ★ 1813年(文化10年)、八王子千人頭・原胤敦に地誌制作の幕命があると、植田孟縉らとともに武蔵国の多摩郡、高麗郡、秩父郡の地誌編纂に従事、『新編武蔵風土記稿』の一部を完成させる。さらに『新編相模国風土記稿』の編纂にも従事した。 ★ 文政7年(1824年)、前年の怪文書のため不行跡との理由から、適斎を含む同僚50人が譴責処分となり、平同心に格下げとなった。 ★ 文政10年(1827年)、『桑都日記』正続41巻を完成させ、幕府に献上した(「桑都」(そうと)とは織物の町・八王子のこと)。これは多年の調査と膨大な資料をもとに編まれた、八王子地域と八王子千人同心の天正10年(1582年)から文政7年(1824年)までの編年史である。その他、『適斎文稿』『適斎詩集』『筑井県行』『日光客中謾筆』などの著作がある。また恩人河尻春之の遺文集『製阪肥後公遺稿』を編纂している。 ★ 弘化4年(1847年)11月16日、死去。葬儀には千人頭5名以下、500人を超える参列者があったという。享年73。墓は極楽寺(東京都八王子市大横町7-1)にあり、東京都指定文化財に指定されている。 ★ 八王子市追分町に存在した塩野適斎の屋敷の建物は、現在は小金井市の江戸東京たてもの園に移築保存されている。

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