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白石和紙紙布紙衣
白石城 図録解説とも 全2冊
奥州白石産紙布織 再版
白石城
奥州白石産紙布織
白石城 図録解説共全2冊 第2版.
明治100年白石風物誌 後編のみ
白石和紙沿革及技法 <白石市文化財保護委員会調査報告 第5号>
明治100年白石風物誌 前編
白石和紙 紙布 紙衣
失われた記録写真集 明治100年白石風物誌
奥州白石産紙布織 東北印刷 見本2枚貼付 1冊
百万塔 44(昭和52年12月25日)上島有、毛利泰一郎、禿氏祐祥、関義城、片倉信光、町田誠之、松原浩、青木千代麿、鈴木梅四郎 他
白石紙 附・白石紙見本帖 限定300部内第61号
仙台郷土研究 第9巻第5号 (通巻 105号) 「宮城野信夫」三百年祭特輯号
仙台郷土研究 第13巻第1号
仙台郷土研究 第11巻第10号
季刊 仙台郷土研究 第21巻第2号
季刊 仙台郷土研究 第18巻第1号
季刊 仙台郷土研究 第17巻第2号
蔵王東の木ぼこ 版画と解説
手漉和紙考
白石城著者 片倉信光 出版社 白石市文化財愛護友の会 刊行年 昭57「図録解読」欠 白石で片倉といえば、仙台藩祖伊達政宗の忠臣、小十郎景綱。片倉信光(1909~85)は、白石城主片倉家の15代目に当たる。天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衙門郷成は、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で斤陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ9メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓・巽櫓・坤櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。元和の一国一城令以後も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。白石城主「片倉氏」初代片倉小十郎景綱は、伊達輝宗(政宗の父)に見出され、梵天丸(後の政宗)の傅役となり、終生政宗につかえました。小田原参陣の時、時期の遅れを説いて秀吉との対決も辞さずとした成実と和平を説いて参陣を主張した景綱の話は有名。
仙台郷土研究 137冊 (戦前版98冊、戦後版39冊)
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