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ヒマラヤ 第二版
ヒマラヤ その探検と登山の歴史
ヒマラヤ - その探検と登山の歴史
ヒマラヤ : その探検と登山の歴史 第2版. アジア大陸を東西に走るヒマラヤは、チベットとガンジス平原の間に三つのの山脈・山塊を持っている。最南のガンジス平原との境には、平均標高900米のシワリク山脈があり、トラやヒョウ、クマの住む豊かな密林が広がっている地域だ。その北側を走るレッサー・ヒマラヤは平均4500米の標高でその下部斜面には東部では熱帯性の密林、西部では松柏類に覆われている。主脈のグレート・ヒマラヤは世界最高の山岳地帯を形成していて、これがヒマラヤ中のヒマラヤである。 その東西に延びるヒマラヤは、およそ五つの地域に分けることができる。最も東には、茶葉でも名の知られたアッサム・ヒマラヤがある。その西隣はカンチェン・ジュンガを盟主とするシッキム・ヒマラヤ。さらに世界の最高峰エベレストをはじめ、ローツェやマカルーがひしめくネパール・ヒマラヤ。続いてロジェ・デュプラが縦走を企てたナンダ・デヴィや、フランシス・スマイスが隊長として登頂を果たしたカメットが聳えるクマウン・ヒマラヤ。西端は「ドイツ運命の山」ナンガ・パルバードのあるパンジャブ・ヒマラヤ。このパンジャブ・ヒマラヤの北側には、世界第2の高峰K2やガッシャブルム山群が屹立するカラコルムがある。 著者ケニン・メイスンは、1909年から工兵中佐としてインド測量局に25年間勤務し、その間インド北部やカラコルムの測量に携わった。アルパイン・クラブへは1914年に入会し、1928年のヒマラヤン・クラブ(インド)創設にもかかわり、『ヒマラヤン・ジャーナル』の編集者としても活躍した。英国のインド植民地時代の探検と登山を体験した人物として、本書はその両面から記述されている。 <未踏の地>を踏査して地図を作るということは、個人の探究心を満たす行為であるが、国家にとっては領土の地理を把握することが最重要課題であることは、『剱岳・点の記』でも描かれていたことであった。しかしメイスンの踏査は大英帝国の軍人として、国家意志によってただけでなく、彼自身の探求精神・パイオニア精神によるところも大きかった。 登山家としてのメイスンの面目は、探検時代の後に来る登山の時代で躍如としてくる。アルパイン・クラブ(英国山岳界)の会員として、会員同士の交友をもち、そこから影響を受けたであろうことも想像できる。彼がマロリーの「どんな危険であろうと、それをよく考えもしないで冒そうと
ヒマラヤ : その探検と登山の歴史 第2版
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ヒマラヤ―その探検と登山の歴史 (1975年)
ヒマラヤ その探検と登山の歴史 初版 函
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