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仙台市青葉区 2002 <ゼンリン住宅地図 宮城県> ファイル版
仙台市青葉区 1990 <ゼンリンの住宅地図 宮城県>
仙台市青葉区 2001 <ゼンリン住宅地図 宮城県> ファイル版
絵葉書 東北福祉短大開校記念 1958年4月21日 (仙台市青葉区国見)
仙台市青葉区宮城地区 「平成風土記」
閂梧と半七 雑木林の昭和史
続・秋保虫瞰する
みやぎ書房だより 百号記念 自・1987年10月 至・1996年2月 コラム「挑龍」集
金剛宝山輪王寺五百五百拾年史
悠遊 瀬上卓男追想集
黄土に燃えて ある青年の物語
染 宮地房江 1991 見開きに著者の毛筆献呈署名入り('92..2.7の日付入り)。扉の染(富士絹 / ろう染め/草木染め[藍・芳・梔子])一葉折り込み。
あきんどの町 おおまちに至るまでの400年 (宮城県仙台市青葉区大町)
仙台の出版文化 国宝大崎八幡宮 仙台・江戸学叢書 20
川柳句集 つばさ
宮城の桜
国宝 大崎八幡宮 (宮城県仙台市青葉区八幡)
杜の散歩道 仙台市北西部散策ガイド 北山・北仙台・国見・八幡・新坂町・子平町・柏木・川内・荒巻・広瀬町・貝ヶ森
仙臺・東一番丁物語 柴田量平選集
遺句集 新仙台平野
東北電力界の功労者の一人 太田千之助の資料集
国分町 花戦争 サロン・ド・たわらや 千葉勇作見聞録
わたしのブックストア : あたらしい「小さな本屋」のかたち
民主書店十七年の歩み みやぎ書房だより 縮刷版 自・1987年月10月 至・2004年9月
丙辰会々報 東日本大震災・狩野研次郎先生追悼特集号 第八十五年 平成二十三年十二月(東北大学医学部 第一外科教室 丙辰会)
林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。
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