文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

古書を探す

「四方の海」の検索結果
3件

戯曲 四方の海

古書 転蓬
 愛知県名古屋市緑区篠の風
12,000
渡邊麻吉、同朋舎、昭和6
初版/角当り折れ、経年シミ 発禁
ゆうパケット 1cm以内 250円、 2cm以内 310円、 3cm以内 360円(問い合わせ番号付、郵便受けへの投函) 。 厚さが3cm・重さが1kgを超えるもの、高額商品は レターパックプラス 600円(問い合わせ番号付、対面でのお渡し) 。 レターパックプラスに納まらないもの、高額商品は ゆうパック(補償付き、時間指定可) 。 代金引換は送料のほかに手数料が実費(493円)かかります。 海外への発送は手数料をいただいております。
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送可

戯曲 四方の海

12,000
渡邊麻吉 、同朋舎 、昭和6
初版/角当り折れ、経年シミ 発禁

写真で見る日めくり日米開戦・終戦 <文春新書 1136>

入江書店
 福岡県福岡市中央区大名
650
共同通信編集委員室 [著]、文芸春秋、2017、254p、18cm
新書・ カバー・定価1260+税・並美
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費可 海外発送不可

写真で見る日めくり日米開戦・終戦 <文春新書 1136>

650
共同通信編集委員室 [著] 、文芸春秋 、2017 、254p 、18cm
新書・ カバー・定価1260+税・並美

禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。 

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
5,000
S棚63箱
かごに入れる
気になる本に追加
クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き可 公費可 海外発送不可

禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。 

5,000
S棚63箱

お探しの古書は見つかりましたか?

在庫検索から見つからなかった場合は、書誌(カタログ)からも検索できます。
お探しの古書が登録されていれば、在庫が無い本や条件に合わない本についても、こちらからリクエストを行うことができます。
書誌(カタログ)から探す

卒業、新入学、新入社 - 新生活のスタート

東日本大震災15年 - 災害、防災