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「桂川甫周」の検索結果
108件

林子平

入江書店
 福岡県福岡市中央区大名
1,200
永田衡吉 編、大日本雄弁会講談社、昭和18、304p、19cm
裸本・B6判・古書・経年並
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林子平

1,200
永田衡吉 編 、大日本雄弁会講談社 、昭和18 、304p 、19cm
裸本・B6判・古書・経年並

『蘭学の家桂川の人々』の部文原稿と校正資料等 今泉源吉 甫周

名雲書店
 群馬県高崎市八千代町
165,000
画像有り、一括
■商品詳細

【書名】 『蘭学の家桂川の人々』の部文原稿と校正資料等の一括
【巻冊】 
【著者】 今泉源吉 大久保利謙 精工社 篠崎書林
【成立】 昭和30年代

★ 本邦蘭学史の名著として名高い今泉源吉が昭和40年に著した『蘭学の家桂川の人々』正編の「はしがき」と「目次」(今泉源吉)と「桂川年表」の全原稿と大久保利謙の序文の初校。
★ 更には今村亮が明治17年に著した『洋方醫傳』の桂川甫周・杉田玄白・宇田川玄随・吉田長叔・宇田川玄眞・鈴木春山の項を抜萃して写した原稿と「和蘭字彙拾遺」の原稿。
★ この原稿類は印刷を行った精興社印刷所から版元の篠崎書林に宛てられたものであります。その封筒つきです。
★ 今泉源吉ー以下ウィキペディアより抜萃
今泉源吉(いまいずみげんきち、1891年- 1969年)は、日本の法律家、キリスト教伝道者。福音同志会の中央委員・日本基督教団中渋谷教会(日本基督教会)長老牧師を務めた。母の今泉みねは蘭学の家として知られる桂川家出身。母に回想録『名ごりの夢』口述を勧め、自らも『蘭学の家桂川の人々』を著した。佐賀藩出身の検事今泉利春と今泉みねの三男として生まれる。東京帝国大学法学部を卒業。植村正久の後継者高倉徳太郎の神学を受け入れ、その協力者となり、「福音と現代」の発行を助けた。1935年に月刊誌『みくに』を発行し、みくに運動を展開。第二次世界大戦においては戦争協力の姿勢を示し、「キリストにより日本の国体を明らかにする」「皇国の使命を認識して、之をたすけることが最も神のみこころにかなうのである。」「大東亜戦争はユダヤ禍から世界を救う聖戦」と主張して、賀川豊彦を批判。1943年に『みくに』を廃刊。
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165,000
画像有り 、一括
■商品詳細 【書名】 『蘭学の家桂川の人々』の部文原稿と校正資料等の一括 【巻冊】  【著者】 今泉源吉 大久保利謙 精工社 篠崎書林 【成立】 昭和30年代 ★ 本邦蘭学史の名著として名高い今泉源吉が昭和40年に著した『蘭学の家桂川の人々』正編の「はしがき」と「目次」(今泉源吉)と「桂川年表」の全原稿と大久保利謙の序文の初校。 ★ 更には今村亮が明治17年に著した『洋方醫傳』の桂川甫周・杉田玄白・宇田川玄随・吉田長叔・宇田川玄眞・鈴木春山の項を抜萃して写した原稿と「和蘭字彙拾遺」の原稿。 ★ この原稿類は印刷を行った精興社印刷所から版元の篠崎書林に宛てられたものであります。その封筒つきです。 ★ 今泉源吉ー以下ウィキペディアより抜萃 今泉源吉(いまいずみげんきち、1891年- 1969年)は、日本の法律家、キリスト教伝道者。福音同志会の中央委員・日本基督教団中渋谷教会(日本基督教会)長老牧師を務めた。母の今泉みねは蘭学の家として知られる桂川家出身。母に回想録『名ごりの夢』口述を勧め、自らも『蘭学の家桂川の人々』を著した。佐賀藩出身の検事今泉利春と今泉みねの三男として生まれる。東京帝国大学法学部を卒業。植村正久の後継者高倉徳太郎の神学を受け入れ、その協力者となり、「福音と現代」の発行を助けた。1935年に月刊誌『みくに』を発行し、みくに運動を展開。第二次世界大戦においては戦争協力の姿勢を示し、「キリストにより日本の国体を明らかにする」「皇国の使命を認識して、之をたすけることが最も神のみこころにかなうのである。」「大東亜戦争はユダヤ禍から世界を救う聖戦」と主張して、賀川豊彦を批判。1943年に『みくに』を廃刊。

杉田玄白の「蘭学事始」 <ラヂオ新書>

西海洞書店
 佐賀県唐津市弓鷹町
400
板沢武雄 著、日本放送出版協会、198p、18cm
郵送、厚み三センチ以内、重さ一キロ以内であれば クリックポスト、185円使用、 厚み重さに応じまして、出来るだけ安価を考えて、 レターパック、ライト、プラス、ゆうぱっくなども使用しています。
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400
板沢武雄 著 、日本放送出版協会 、198p 、18cm

蘭学事始

不死鳥BOOKS
 岡山県総社市駅前
630 (送料:¥300~)
杉田玄白 著 ; 緒方富雄 訳、好学社、219p 図版、19cm
改訂増補。昭和44年3版。来店ありがとうございました。全体にかなり強めのヤケシミ汚れがあります。
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蘭学事始

630 (送料:¥300~)
杉田玄白 著 ; 緒方富雄 訳 、好学社 、219p 図版 、19cm
改訂増補。昭和44年3版。来店ありがとうございました。全体にかなり強めのヤケシミ汚れがあります。
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大日本海 : 日本地理学史の研究

西海洞書店
 佐賀県唐津市弓鷹町
700
鮎沢信太郎 著、京成社出版部、327p 図版5枚、19cm
郵送、厚み三センチ以内、重さ一キロ以内であれば クリックポスト、185円使用、 厚み重さに応じまして、出来るだけ安価を考えて、 レターパック、ライト、プラス、ゆうぱっくなども使用しています。
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クレジットカード使用可 銀行振込可 代引き不可 公費不可 海外発送不可
700
鮎沢信太郎 著 、京成社出版部 、327p 図版5枚 、19cm

近世日本の科学者達

弘南堂書店
 北海道札幌市北区北12条西4丁目
1,320 (送料:¥200~)
森銑三 著、青雲書院、1948、302, 22p 図版、19cm、1冊
本冊背を中心にヤケ・経年シミあり。その他本冊は経年状態良好です。本文にも問題ありません。
公費にてご購入の場合は、必要書類・必要事項を[お客様コメント]欄にお書き添え下さい。(後払い公費でのお取引は1点2,200円以上)*ネコポス200円(3㎝・1㎏まで)・日本郵便レターパックライト420円/プラス600円・佐川(小型)陸便610円~・ゆうパック/ヤマト宅配便1,300円(東北)~2,000円(九州・沖縄)*「日本の古本屋」サイトを通してお申込みください。それ以外でのご注文は代金引換(手数料250円~660円)でのお送りとなります。
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近世日本の科学者達

1,320 (送料:¥200~)
森銑三 著 、青雲書院 、1948 、302, 22p 図版 、19cm 、1冊
本冊背を中心にヤケ・経年シミあり。その他本冊は経年状態良好です。本文にも問題ありません。
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林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。

暢気堂書房
 東京都東久留米市滝山
1,500
S棚58箱
『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。林子平の墓は仙台市青葉区の龍雲院にあるが、その龍雲院の所在地は1967年(昭和42年)の住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町と改称されている。明治15年(1882年)、正五位を追贈された。
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林子平傳 日本国防の先覚者 著者 松原晃 出版社 奥川書房 刊行年 昭17年初版 林子平(はやし しへい)元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。諱は友直。のちに六無斎主人と号した。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。元文3年(1738年)、幕臣岡村良通の次男として江戸に生まれる。父の岡村良通は御書物奉行(620石)として仕えていたが、子平が3歳の頃、故あって浪人の身となり、家族を弟の林従吾(林道明)に預け諸国放浪の旅に出た。子平らは、大名家に往診にも行く開業医であった叔父の従吾のもとで養われる。まもなく、長姉と次姉は仙台藩の江戸屋敷に奉公するようになり、仙台藩5代藩主伊達吉村の侍女として仕えた。次姉のなお(きよ)はその容姿と心ばえが吉村に愛され、やがて6代藩主となる宗村の側室に抜擢され、お清の方と呼ばれるようになった。お清の方は1男1女をもうけた。男子はのちに三河国刈谷藩主土井利信の養嗣子となる土井利置、女子は出雲松江藩主松平治郷の正妻となる方子(青楽院)である。お清の方の縁で、養父の従吾は仙台藩の禄を受けるようになった。従吾の没後、子平の兄の林友諒が封を継ぎ、宝暦6年(1756年)に正式に仙台藩士として150石が下された。同年5月に宗村が死去すると、友諒は家族を引き連れ、仙台川内に移住した。子平は部屋住みの身で妻子は持たなかったが、仙台藩士として生活するようになった。子平はみずからの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し、「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、当時の人びとを驚かせた。『海国兵談』の序を書いたのは、仙台藩医工藤平助であった。また『富国策』では藩の家老佐藤伊賀にあて藩政について説いたが、採用はされなかった。

1,500
S棚58箱 『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。最終的に、仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。林子平の墓は仙台市青葉区の龍雲院にあるが、その龍雲院の所在地は1967年(昭和42年)の住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町と改称されている。明治15年(1882年)、正五位を追贈された。

おらんだ正月 : 日本の科学者たち <角川文庫 ; 第571> 再版

言ノ葉堂
 愛知県名古屋市熱田区神宮
690
森銑三 著、角川書店、303p、16cm
1955年再版 白帯にシミあり 裸本 背の上部にヨレあり 本文ヤケシミ、経年相応の使用感あり 頁下部にオレあり
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おらんだ正月 : 日本の科学者たち <角川文庫 ; 第571> 再版

690
森銑三 著 、角川書店 、303p 、16cm
1955年再版 白帯にシミあり 裸本 背の上部にヨレあり 本文ヤケシミ、経年相応の使用感あり 頁下部にオレあり

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