伊丹市立美術館、1991、24x25cm
1927年,第8回帝国美術院展が初めて創作版画の出品を受け入れ, 「髪」が初入選するこの作品は今回も観ることができる。「みづゑ」 で平塚運一が, 「得意の紺紙金摺りで, 好みのポーズで,スラスラと作られている。 欲を言えば氏などもっともっと素晴らしいものを見せて貰いたかった」 と評しているが,確かになにか日本画風で古風な感じをいだかせる。永瀬さんといえども,初めての帝展出品でかたくなったのだろうか。1929年にはフランスへ旅立ち、36年までの長い滞在となる。今回、この頃の作品としては,航海中に取材した「上海所見」「マレー美人」「香港夜景」、そして「ノートルダム」 「エッフェル塔」などが出品されるが,いずれも彼地での勉強の成果というよりは,日本で鍛えた技術による木版画である。孔版(ポーショワ)の技術を木版の
技術との交換でパリで習ってきたと永瀬さんはいっておられたそうだが,現在ぼくらがこの技法による作品を観られるのは戦後になってからのものだけのようである。
帰国後は43年まで大阪に住い,その間,日本版画協会から選ばれて。 恩地孝四郎, 前川千帆と陸軍嘱託として中国大陸に渡ったりしているが,その時期のものは油彩 「万里の長城」 を観ることができる。44年からは,フランスから連れ帰った妻の故郷広島に住まうことになる。 この間の仕事としては, ルドン風の油彩 「つつじ」と,ちょっと南薫造を思いおこさせる油彩 「部屋の中」 が出品される。
非常にあわただしく永瀬義郎の画業をたどってきた。 永瀬さんの多彩な生涯とお仕事を要約することは不可能に近い。先にあげた自伝 「放浪貴族」, 「NAGASE人と芸術」 (有限会社ネオアカシア)などをぜひご覧頂きたい。
とくに後者の藤本陽子氏による年譜は尊敬すべき労作である。この一文も多くをこの年譜によっているし、図録にもご了解をえてやや簡約して掲載させて頂いた。厚くお礼を申しあげたい。
(伊丹市立美術館 館長)
無綴カラー図版19枚+解説書(59頁)、紙ケース付、ほぼ良好