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風流談義 女の抵抗 著者 水田文雄 出版社 現代思潮社 刊行年 昭和29 解説 B6、全134P、初版経歴第七高等学校造士館文科卒業。1930年東京大学文学部支那哲学科卒業、文学博士。ドイツ留学ベルリン及びミユンヘン大学留学 - 新聞研究室に在籍。朝日新聞社1930年朝日新聞入社。南京、上海、欧州主にドイツ駐在で、ロシアを含み欧州各国を取材で回る。自由言論弾圧にあい朝日新聞退社。宣伝東宝(株)入社、宣伝部長。後楽園スタヂアム支配人。中国花王石鹸入社、中国駐在となり、上海公司取締役社長、天津支社長兼工場長。1945年天津にて終戦を迎える。家族、妻と子供5人(内4女は引き揚げ船上で発病,日本上陸後死亡)で1946年に日本への最終船で引き揚げ帰国。P.R.戦後に吉田社長にスカウトされ電通入社、以後テレビ部長、PR部長等と勤め民放テレビ局の開設でCM担当、評価、マーケティング等と広範囲に携わる。日本初の英語有線テレビを創設した。 宣伝、広報、P.R.等を指導し日本のP.R.専門家として TV出演等で著名となる。同時に各広報、P.R.、マーケティング、宣伝等の評論家でもあり日本各地にてセミナー、会議、講演等を通して若者を指導した。サラリーマンのかたわら書いたベストセラーを含み著作は多数で、マルチ広報活動エッセイスト、小説家としても活躍した。
西谷能雄 本は志にあり 頑迷固陋の全身出版人
矢内原忠雄全集 第6巻 (聖書講義 第1)
歴史日本 特集 蒙古と満州 2(2) 初版
群像日本の作家 小林秀雄 14
矢内原忠雄全集 第5巻 (植民政策研究 第5)
井上和雄 出版・浮世絵関係著作集 附.書誌
コピー年鑑 1988年 <付録ソノシート1枚付き>
血清学の領域から 2版
樺戸集治監獄話著者 寺本界雄 出版社 樺戸行刑資料刊行会 刊行年 平成2 月形に樺戸集治監が誕生したのは、開拓使が一定の使命を果たし、全国では憲法制定や議会の設置への気運が高まっていた、こうした大きな変革の時代でした。そもそも集治監とはどんな施設なのでしょう。集治監は、今でいえば重罪犯を収容する特別な刑務所。徳川時代、重罪人は各地の藩ごとの監獄が扱い、罪によって伊豆七島や隠岐などに流されていました。藩の制度を廃止した明治の廃藩置県(1871 年)によって、受刑者は府県の監獄が収容するようになります。しかしまもなく、明治政府を主導した旧薩摩藩や長州藩のリーダーたちが進める政治への不満が募り、各地で旧士族の反乱が勃発しました。1874(明治7)年の「佐賀の乱」、76 (明治9)年の熊本の「神風連の乱」、福岡の「秋月の乱」、山口の「萩の乱」などです。そして1877(明治10)年には維新の立役者であった西郷隆盛を担ぐ、大規模な西南戦争が勃発します。立ち上がった旧士族たちはいずれもやがて政府に鎮圧されて敗北を喫し、首謀者たちは重罪人のレッテルを貼られることになりました。こうした旧士族の重罪人たちは、騒乱が起こった各県の監獄に収監される手はずになります。しかしその数があまりに多かったために、内務省が一元的に直轄する専用施設が必要になりました。これが集治監です。集治監は1878(明治11)年、まず東京(小菅集治監)と仙台(宮城集治監)に建てられ、3カ所めとして北海道が選ばれます。なにしろ当時の北海道の内陸の多くは未開の原野が広がり、本州から見ればまさに最果ての流刑地ともいえる土地でした。立地調査の段階から初代の典獄(監獄長)となるまで、北海道の集治監立ち上げに深く関わったのは、福岡藩出身で内務官僚だった月形潔(1847~1894)でした。樺戸集治監の開設には、さらに北海道の開拓という重要な目的がありました。1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美に建議書をあげます。社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い、とするものです。
私の霊界通信 第1巻 島田ゆうさん編著者 村田正雄 出版社 白光真宏会出版局 刊行年 昭和48年重版 霊界に自由に出入りできる著者が、人々を少しでも死の恐怖から救おうと、知人の島田ゆうさんを霊界に訪ね、死後の世界の消息を現界に伝える貴重な記録。普通、霊界通信といいますと、 トランス状態、無意識状態になった霊媒を通して、憑霊して来 た諸霊達が、 人間死後の世界の実在を知らしめようとして、霊達の知っている範囲の世界とその在り方をいろいろと通信して来たものを別にさにわする人があって、取捨選択し必要なものだけを一つの事柄にまとめたものが多いようです。 「私の霊界通信」という題にしましたが、 島田さんからの霊界通信というものは、今迄の概念のそれと違い、霊媒を介するのでもなく、 自動書記のような形でもなく、いわば霊界談話といった方がふさわしい形式です。 島田さんご一家とは常に往き来をしております関係か、ゆうさんが他界されてから、時折り霊界より私のところに来られるようになり、私と直接談話を重ねるうちに、談話中に展開される霊界の姿を鳥田さんから聞き、また島田さんと一緒に見聞したものをまとめて出来るだけくわしく記録したものです。この談話記録の内容が進展するにつれ、素晴しい天地が展開されてゆきますが、世界平和を祈るたくさんの同志の皆さんが住みつく天地は素晴しいものです。そこは祈りの同志が必ずゆく世界であります。そういう世界が存在するということを知ることは、どんなに同志の皆さんの慰めとなり励ましとなるでしょう。 そこで、神様はこの世界で修業中の島田ゆうさんを特にお選びになったようであります。そして同時に五井先生の霊団の大きさ高さ広さ― このような表現で書きつくせるものではありませんが、霊界で世界平和をお祈りする同志の世界から見た、霊団の輪郭の一部が説かれていきます。またそれと共に、五井先生の下で世界平和を祈り、朝な夕なみ教えを素直に行じておられる皆さんの「積善功徳」の素晴らしさを知らされてゆきます。全霊で体得して初めて“知る”ということが出来ます。その“知る”ことへの道、並びにまた”諸霊と世界平和の祈り”の様子とそのお働きも、出来るだけくわしく書かせて頂きたいものと念願しております。
百年の日本人 その3
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