古本が繋がる時2樽見博(日本古書通信社) |
新興俳句誌『句と評論』昭和8年の記事から、僅か三十歳あまりで亡くなった俳人・田中青牛を知り、その足跡を追うことになった。青牛は昭和7年、前年夏から転地療養していた湘南片瀬より郷里である茨城県笠間に帰郷、そこで従来の俳句会に新風を吹き込んだが、翌8年4月、同じ俳人である妻みぐさと、幼子二人を残し早世してしまった。『句と評論』昭和8年9月の追悼号に掲載された妻みぐさの「臨終記」が帰郷から死までの青牛の様子を詳細に記している。「新涼や追はるゝ如きわが命」という青牛の句を引用しているが、恢復の困難なことを自覚し我儘になっていく青牛と見守る家族や句会の人々の様子を描いて哀切極まる内容である。
『句と評論』の追悼記事だけでは分からなかったことが、捨てる前に確認した細谷源二主宰の俳句誌『氷原帯』1967年7月号の特集「句と評論・広場」掲載の松原地蔵尊の回想「『句と評論』創刊より九年迄の展開」で知ることが出来た。青牛は『句と評論』創刊者の一人藤田初巳と同じ保善商業の国語教師で雑詠欄でも常に上位にあった。さらに地蔵尊は「当時茨城県笠間に病気のため帰郷静養していた田中青牛が「笠間新興句会」という名の旗印の句会をおこし、毎月続けていたことである。句会に新興の名を冠して毎月開催していたことは、全国全く聞かないことであったといえよう。」と書いている。私が『句と評論』昭和8年1月号の6号記事「新興句会小会 常陸笠間田中青牛報」を見て驚愕させられたのも道理があったのである。 青牛の生涯が大略つかめた時に、改めて「日本の古本屋」の「著者」欄に「田中青牛」と入れて検索してみた。未知の掲載雑誌がヒットするのではないかと思ったのである。ところが雑誌はないが、過去の販売データとして『田中青牛遺句集』(三元社・昭和61)が記されていた。三元社は新興俳句人であった幡谷東吾さん経営の出版社。没後50数年を経ているが笠間の青牛に違いないと思った。『日本古書通信』の購読者で俳句史資料の収集家でもあった幡谷さんは茨城出身、前回書いた『茨城俳句』の編纂者の一人である。入手は難しいだろうが、茨城県下の公共図書館にあるだろうと調べると笠間市立岩間図書館にあることが分かった。次の休日に尋ねることにして、これまでの経過を長野県の若き友人にメールすると、翌日、「日本の古本屋」に一冊在庫があると知らせくれた。友人は発行者「三元社」を検索、出てきた三百数十点の中から見つけてくれたのである。データの著者欄が田中青牛でなく、編者原直子であったのだ。木曜日の深夜に注文すると、何と日曜に届いた。『田中青牛遺句集』は非売品、『句と評論』追悼号記事を中心に、青牛が執筆した評論、随筆、俳句作品が収められ、青牛を俳句に導いた俳人で法政大学の恩師勝峯晋風の「温和な顔にある微笑」(『黄橙』昭和8年6月号)他、みぐさの二篇の思い出、そして成人して俳句と関係している長女伊東みちえ、次女階ゑみの父の思い出、発行者で青牛の妹で俳人でもある原直子の「あとがき」などが収められていた。直子の句集『雪』の出版記念会の折、青牛の友人であった幡谷さんから刊行を勧められたようだ。また略年譜により、保善商業教師時代に、小学館編集部にも関係していたことも分かった。国語教師として学年誌を担当したのだろうか。笠間への帰郷で最初に住んだのは石寺ではなく田中町、そこの環境が悪いと桂町に移ったことも新たに分かった。 ただ、この『田中青牛遺句集』を最初に入手していたら、私が青牛の足跡を調べることはなかったろうと思う。彼の俳人としての作品や随筆類はこの本で読めるが、昭和7年、田舎町笠間で新興俳句の会を起こしたという事実が、この遺稿集からは「驚愕」として迫ってはこないからだ。やはり時代を映すものとしての「雑誌」の存在は大きいのである。青牛の句から十句選んでおこう。 蜩や森の空なる星一つ 妻みぐさは、青牛没後に幼子二人を連れて東京に帰り、俳句を続ける。『句と評論』誌上では、むしろ青牛より頻繁に登場し、昭和9年3月号では就職の苦労を「求職巡礼」と題して悲惨さなど出さずサラッと描き、「冬木立」の課題句選者も務めている。さらに同年7月号は、みぐさ特集号の様相を呈し、藤田初巳と松原地蔵尊のみぐさ論、小西兼尾と小澤青柚子連名の句評が掲載されている。地蔵尊の文により、みぐさが「むさしの女」の筆名で毎月の俳句批評欄を執筆していたことも分かった。藤田が「不幸の鉄槌が一つの魂を掘り下げ、苦難の鞭がかれの精神をうちきたへた」と書くように、青牛没後のみぐさの覚悟の強さと心境の深まりが俳句の上達をも招いたようである。最後にみぐさの句を二句紹介する。 寒がりの墓も木碑も日向ぼこ 春の彼岸にまた、青牛の故郷・笠間市石寺に行ってみた。やはり墓所は見つけることが出来なかった。当時と余り風景が変わってはいないだろう山間の村である。車一台がようやく通れる道がくねくねと続く。このような山村に生まれ大望を持って上京、俳句への強い思いを抱き、才能の芽を出しながら早世、今は忘れられてしまった田中青牛、もう少し命長らえていたら、どんな活躍をされたのだろうと改めて思ったことだった。 「古本が繋がる時」の二例目は、偶然だが『歌集青牛集』(改造社・昭和8)のある歌人古泉千樫に関する資料探求の話である。これも田中青牛同様に不思議な体験だった。少し前の東京古書会館の即売会で、千樫の『随縁抄』(改造社・昭和5)が目に入った。何故か惹かれるものがあり、手に取りやや擦れのある箱から本を取り出し開いてみると、収録の「長塚節氏の赤光評」に非常に綿密な書き込みがあった。タイトル前には、○朱筆は「アララギ」により校合、○青インクは『赤光』初版とあり、またこの千樫の連載が茂吉の長崎時代であることを書いている。筆記者は達筆、几帳面な方であり、何か目的があっての書き込みであることは明らかである。千樫に特別な興味を持っていたわけではないが、求めることにした。長塚節は私の母校下妻一高と縁の深い歌人であり、日本古書通信社からは自筆原稿の影印版『佐渡が島』を刊行している。遺歌集『鍼の如く』(春陽堂・昭和4)は私の愛読書であるし、『土』も日本の誇る名作だと思っている。だが、節が批評を書き込んだ『赤光』が存在したことを全く知らなかった。 斎藤茂吉は大正2年10月『赤光』刊行後、長塚節による批評を強く望んでいたが、節は躊躇し、また健康もそれを許さなかった。ただ、一首ごとに感想を書き込んだ『赤光』が、旅先の福岡の死の枕辺に遺されており、遺骨と共に東京の令弟小布施氏宅に帰ってきた。大正4年2月のことだ。当時「アララギ」の編集を担当していた千樫は、小布施氏から示された遺品の中に、『赤光』があるのを発見、願って持ち帰った。茂吉も遺骨が戻った当夜弔問に来ているが、病院の関係で一時間ほどいて帰宅した。青山病院の焼失後、松原に移った病院の復興に茂吉は忙殺されていた。普通に考えれば、節の書き入れのある『赤光』はまず茂吉に示されるべきであったろう。 千樫が、この節書き入れ『赤光』の内容を詳しく公表したのは、5年後の『アララギ』大正9年1月号から4月号であった。千樫は「すぐに世に紹介するつもりであつたが、例の疎懶のために、今まで遂にのびのびになつた」「今になつて、これを公にするのは、『赤光』の著者にすまないやうにも思はれる」と、「長塚節氏の赤光評」に書いている。 |
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年報『近代出版研究』を創刊しました。在野研究者による書物論集です。
年報『近代出版研究』を創刊しました。在野研究者による書物論集です。小林昌樹(近代出版研究所) |
・東京堂で週間ベスト「1位」になったこと
4月はじめのことなのですが、東京堂書店(神保町すずらん通り)で恒例の、週間ベスト総合の1位に、私が出した『近代出版研究 2022』(皓星社発売)が躍り出て【図1】、出した自分が一番びっくりしました。本屋大賞を受けた『同士少女よ、敵を撃て』などを抑えての1位で、ネット民も「東京堂、こえーよ」と驚いていましたが(おそらく褒め言葉)、ちょっと考えてみると、ここはむしろ「読書人の東京堂」というフレーズが予言として成就している気がします。読書人は万巻の書だけでなく本を読むこと自体にも興味があるようです。 ・掲載記事――明治以降、本のこといろいろ ・書いた人たち――古本つながり ・使命――近代出版史というか、近代書誌学というか ・趣味人の活躍し時 ・この年報をどこで買えるか ・「明治文化研究会のようだ」 |
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県立長野図書館(後編) 奇人が図書館に託したものは 【書庫拝見2】

東京都書店商業組合YouTubeチャンネル「東京の本屋さん ~街に本屋があるということ~」開設
東京都書店商業組合YouTubeチャンネル「東京の本屋さん ~街に本屋があるということ~」開設柴崎王陽(東京都書店商業組合) |
東京都書店商業組合は、街なかに本屋がある大切さを伝えるために、YouTube(ユーチューブ)チャンネルを開設しました。チャンネル名は「東京の本屋さん~街に本屋があるということ~」(https://www.youtube.com/c/tokyo-shoten)。
チャンネルでは、東京都内の72店の新刊書店を動画で紹介しています。 その他、本屋好きの著名人の方々に、読書の楽しさや紙の本の良さ、本屋の魅力を語っていただいています。 更に、映画監督の篠原哲雄氏が手掛ける、今注目の俳優永池奈津子さん主演の独自制作のウェブドラマ「本を贈る」(全9話)も配信しています。わかないづみさんによる主題歌は、本ドラマのための書下ろしです。 是非、ご視聴とチャンネル登録をお願いします。 ~~~~~ ~~~~~ ~~~~~ 東京都書店商業組合 |
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2022年4月11日号 第344号
。*..*.:☆.:*・日本の古本屋メールマガジン・*:.☆.:*..*。
古書市&古本まつり 第111号
。.☆.:* 通巻344・4月11日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。
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━━━━━━━━━━【シリーズ 古書の世界】━━━━━━━━
古本屋四十年(Ⅳ)
古書りぶる・りべろ 川口秀彦
今までに二度『街の古本屋入門』の名を出したのは、私が著者を
意識し続けてきたからである。著者の志田三郎は本名石田友三、私
が神奈川古書組合に加入した直後の84年に神奈川組合の理事長になっ
た人である。その年から『神奈川古書組合三十五年史』が出た92年
秋までの8年半で、神奈川組合の新規加入者は約20人いる。組合や市
場の仕事の関係で私はその全員から古本屋になった動機を聞いている
が、10名がはっきりと石田の本の影響が最大の要因だと答えていた。
そうでない人も石田の本を読んでいる人が多かった。石田の次の理事
会の理事となった私が、石田の存在と影響力を意識したのはこの頃で
ある。
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9111
━━━━━━━━━【シリーズ 古書の世界】━━━━━━━━━
古本が繋がる時1
樽見博(日本古書通信社)
古本の世界は不思議だなと改めて痛感させられたことが、このとこ
ろ二つ続いたので紹介したい。ある雑誌の記事や、本への書き込み
が、知らないでいた事実を教えてくれた。調べ始めたら次の部屋へ
の扉を開くように、ある古本が別の古本へ繋がっていったのである。
語呂合わせではなく、古書趣味とは考証趣味だと私は考えているが、
古書探求の面白さを実感した。インターネットの普及で古書の売買
の在りようは確かに変化したが、この面白さは何も変わっていない。
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9071
━━━━━━━━━【シリーズ 書庫拝見1】━━━━━━━━━
県立長野図書館(前編) 書庫の「中」と「外」をつなげる
南陀楼綾繁
大学に入った直後に、高校の同級生と一緒に国立国会図書館に行った。
日本で一番大きい図書館ってどんなところだろうと興味津々、とにかく
書棚の本を手に取ってみたいと思っていた。しかし、入館してすぐその期
待は打ち砕かれる。手続きをして中に入ってみると、どこにも本棚はなく、
中央に大きなカードケースが置いてあるだけだったからだ。
手持無沙汰にケースを開けて中のカードをめくってみたものの、それ以
上どうすればいいか判らずに、友人と顔を見合せ、そのまま帰ってしまっ
た。何でもいいから1冊選んで請求してみるという頭がそのときは働かな
かったのだ。それが閉架式の図書館との出会いだ。
その後、図書館や文学館、博物館などに通うようになって、開架として
表に出ている本はごく一部であり、貴重な本は奥にある閉架書庫に収まっ
ていることが判ってくる。
取材などで書庫を見せてもらえる機会があると興奮した。案内する館の
人もどこか誇らしげだ。書庫には、その館の歴史を伝える資料も所蔵され
ている。
開架の書棚はその図書館のいわばよそ行きの顔であり、本質はむしろ書
庫にこそあるのではないか。そう思うようになった。
この連載では、普段は一般利用者が入ることができない閉架書庫に足を
踏み入れ、そこで見つけた本や資料を紹介する。それとともに、書庫内を
知り尽くす館員に、資料の管理や活用について話を聞く。
書庫という奥の院を拝見することで、私なりにその図書館や文学館の新
たな表情を描ければと思う。
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9149
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。「一箱本送り隊」呼びかけ人として、「石巻まちの本棚」
の運営にも携わる。著書に『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、『古本マニア採集帖』(皓星社)、
編著『中央線小説傑作選』(中公文庫)などがある。
ツイッター
https://twitter.com/kawasusu
県立長野図書館
https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/index.html
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「コショなひと」始めました
東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)
コショなひと 古書ニイロク
コショなひと 古本遊戯 流浪堂
春の神田古本まつり2
コショなひと その時 股旅堂 仕事の岐路
コショなひと 古本うさぎ書林 神田古本まつり密着篇
コショなひと ノースブックセンターOP編
YouTube 東京古書組合
https://www.youtube.com/channel/UCDxjayto922YYOe5VdOKu9w
━━━━━【4月11日~5月15日までの全国即売展情報】━━━━━
⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init
※現在、新型コロナウイルスの影響により、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
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光が丘 春の古本市
期間:2022/03/16~2022/04/15
場所:リブロ光が丘店 リヴィン光が丘5階 東京都練馬区光が丘5-1-1
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横浜ハンズの古本市(神奈川県)
期間:2022/03/26~2022/04/27
場所:東急ハンズ横浜店 イベントスペース(横浜モアーズ6階)
横浜市西区南幸1-3-1横浜モアーズ
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古書ノ市OLD BOOK&CULTURE FAIR」@阪急MEN’S OSAKA(大阪府)
期間:2022/03/30~2022/04/19
場所:阪急メンズ大阪5Fプロモーションスペース51
大阪府大阪市北区角田町7番10号
https://www.hankyu-dept.co.jp/mens/event/00954890/?catCode=501002&subCode=502007
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西武本川越PePeのペペ古本まつり(埼玉県)
期間:2022/03/31~2022/04/12
場所:西武鉄道新宿線 本川越駅前ペペ広場
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オールデイズクラブ古書即売会(愛知県)
期間:2022/04/08~2022/04/10
場所:名古屋古書会館 名古屋市中区千代田5-1-12
https://hon-ya.net/
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第3回南大沢古本まつり
期間:2022/04/08~2022/04/14
場所:京王相模原線南大沢駅前~ペデストリアンデッキ~三井アウトレット前特設テント
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書窓展(マド展)
期間:2022/04/08~2022/04/09
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
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平井のはみだし古本市
期間:2022/04/09~2022/04/17
場所:平井の本棚 2階 江戸川区平井5-15-10
(JR総武線・平井駅北口改札より徒歩30秒)
https://kosho-hanautadou.peatix.com/
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横浜めっけもん古書展(神奈川県)
期間:2022/04/09~2022/04/10
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10
http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm
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大均一祭
期間:2022/04/09~2022/04/11
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
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アクロスモール新鎌ヶ谷古本市(千葉県)
期間:2022/04/12~2022/04/20
場所:アクロスモール新鎌ヶ谷 1F 中央エレベーター前・中央エスカレーター前
千葉県鎌ケ谷市新鎌ヶ谷2-12-1
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春の古本掘り出し市(岡山県)
期間:2022/04/20~2022/04/25
場所:岡山シンフォニービル1F 自由空間ガレリア
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ぐろりや会
期間:2022/04/22~2022/04/23
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
http://www.gloriakai.jp/
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本の散歩展
期間:2022/04/22~2022/04/23
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4
JR山手線、東急池上線、都営浅草線五反田駅より徒歩5分
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好書会
期間:2022/04/23~2022/04/24
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
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港北古書フェア(神奈川県)
期間:2022/04/27~2022/05/08
場所:有隣堂センター南駅店店頭ワゴン販売
市営地下鉄センター南駅の改札を出て直進、右前方。※駅構内
http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm
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浦和宿古本いち(埼玉県)
期間:2022/04/28~2022/05/01
場所:さくら草通り(JR浦和駅西口 徒歩5分 マツモトキヨシ前)
https://twitter.com/urawajuku
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第19回 四天王寺 春の大古本祭り(大阪府)
期間:2022/04/29~2022/05/05
場所:大阪 四天王寺 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
http://kankoken.main.jp/
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名鯱会(愛知県)
期間:2022/04/29~2022/05/01
場所:名古屋古書会館 2階 名古屋市中区千代田5-1-12
https://hon-ya.net/
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城北古書展
期間:2022/04/29~2022/04/30
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
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西部古書展書心会
期間:2022/04/29~2022/05/01
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
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第26回八王子古本まつり
期間:2022/05/01~2022/05/05
場所:JR八王子駅北口ユーロード特設テント
http://hachiojiusedbookfestival.jp/
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春の古書大即売会(京都府)
期間:2022/05/01~2022/05/05
場所:京都市勧業館「みやこめっせ」 京都市左京区岡崎成勝寺町9-1
http://koshoken.seesaa.net/
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東京愛書会
期間:2022/05/06~2022/05/07
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
http://aisyokai.blog.fc2.com/
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反町古書会館展(神奈川県)
期間:2022/05/07~2022/05/08
場所:神奈川古書会館1階 横浜市神奈川区反町2-16-10
http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm
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杉並書友会
期間:2022/05/07~2022/05/08
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
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第45回 古本浪漫洲 Part1
期間:2022/05/09~2022/05/11
場所:新宿サブナード2丁目催事場 新宿区歌舞伎町1-2-2
https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/
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第45回 古本浪漫洲 Part2
期間:2022/05/12~2022/05/14
場所:新宿サブナード2丁目催事場 新宿区歌舞伎町1-2-2
https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/
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BOOK & A(ブック&エー)
期間:2022/05/12~2022/05/15
場所:西部古書会館 杉並区高円寺北2-19-9
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フリーダム展
期間:2022/05/13~2022/05/14
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
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第45回 古本浪漫洲 Part3
期間:2022/05/15~2022/05/17
場所:新宿サブナード2丁目催事場 新宿区歌舞伎町1-2-2
https://kosho.co.jp/furuhon_romansu/
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【発行者】
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編集長:藤原栄志郎
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県立長野図書館(前編) 書庫の「中」と「外」をつなげる 【書庫拝見1】
県立長野図書館(前編) 書庫の「中」と「外」をつなげる 【書庫拝見1】南陀楼綾繁 |
大学に入った直後に、高校の同級生と一緒に国立国会図書館に行った。
日本で一番大きい図書館ってどんなところだろうと興味津々、とにかく書棚の本を手に取ってみたいと思っていた。しかし、入館してすぐその期待は打ち砕かれる。手続きをして中に入ってみると、どこにも本棚はなく、中央に大きなカードケースが置いてあるだけだったからだ。 手持無沙汰にケースを開けて中のカードをめくってみたものの、それ以上どうすればいいか判らずに、友人と顔を見合せ、そのまま帰ってしまった。何でもいいから1冊選んで請求してみるという頭がそのときは働かなかったのだ。それが閉架式の図書館との出会いだ。 その後、図書館や文学館、博物館などに通うようになって、開架として表に出ている本はごく一部であり、貴重な本は奥にある閉架書庫に収まっていることが判ってくる。 取材などで書庫を見せてもらえる機会があると興奮した。案内する館の人もどこか誇らしげだ。書庫には、その館の歴史を伝える資料も所蔵されている。 開架の書棚はその図書館のいわばよそ行きの顔であり、本質はむしろ書庫にこそあるのではないか。そう思うようになった。 この連載では、普段は一般利用者が入ることができない閉架書庫に足を踏み入れ、そこで見つけた本や資料を紹介する。それとともに、書庫内を知り尽くす館員に、資料の管理や活用について話を聞く。 書庫という奥の院を拝見することで、私なりにその図書館や文学館の新たな表情を描ければと思う。 いざ、県立長野図書館へ! 最初に訪問したのは、長野県長野市にある県立長野図書館だ。 今日の長野市はいい天気だ。5分ほど走ると、県立長野図書館に到着した。いかにも図書館らしい重厚な建物だ。若里公園に面しており、隣にはコンサートなどを開催する県民文化会館がある。 地下書庫に潜入 ここでまず見せてもらったのは、「PTA母親文庫」をはじめとして団体貸出などで使用していた図書の棚だ。PTA母親文庫は1950年に開設されたもので、県内の何か所かに「配本所」を設置し、そこを通じて学校のPTA会員向けに図書を貸し出した。当時、婦人層が本に接する機会は少なかったため、母親文庫の活動は大きな支持を集めたという。同じ本を複数冊購入して貸し出していたが、現在は1冊ずつ所蔵している。 館内には未整理の業務資料も多い。箱の一つを槌賀さんが開けると、そこには同館の歴史を語る資料が詰まっていた。手書きのものが中心で、経年により古びてはいるが、この世に1冊しかない貴重な資料ばかりだ。
クロっぽい本が次々に…… 階段で1階に上がる。ここには児童書、信濃図書館時代の本、戦前の本などがあり、いわゆるクロっぽい本が目に付く。 別の棚には、「出版物差押通知接受簿」が収まっていた。1933年(昭和8)5月から1944年(昭和19)2月までの期間に差押対象となった図書、雑誌、新聞の内容、問題になった個所が詳細に記録されている。
また、同年12月には「GIFT 子どもの世界が変わった時―進駐軍とともにやってきた児童書と戦前・戦中・戦後―」展を開催。館員が書庫を整理中に、児童書に押された「GIFT」のスタンプを見つけたことから生まれた企画だ。連合国軍最高司令官総司令部の民間情報教育局が全国23か所に設置した図書館であるCIE図書館と、そこから移行したアメリカ文化センターについての展示だった。 書庫の資料を企画展という形で書庫の「外」に出した根底には「県立図書館は何のためにあるのか」という平賀館長の問題意識があった。 (次回に続く) 1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一 |
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古本屋四十年(Ⅳ)
古本屋四十年(Ⅳ)古書りぶる・りべろ 川口秀彦 |
今までに二度『街の古本屋入門』の名を出したのは、私が著者を意識し続けてきたからである。著者の志田三郎は本名石田友三、私が神奈川古書組合に加入した直後の84年に神奈川組合の理事長になった人である。その年から『神奈川古書組合三十五年史』が出た92年秋までの8年半で、神奈川組合の新規加入者は約20人いる。組合や市場の仕事の関係で私はその全員から古本屋になった動機を聞いているが、10名がはっきりと石田の本の影響が最大の要因だと答えていた。そうでない人も石田の本を読んでいる人が多かった。石田の次の理事会の理事となった私が、石田の存在と影響力を意識したのはこの頃である。
もっとも、最大の要因だと答えた10人のうち現在も組合員でいるのは2人だけで、その2人とも、とっくに店舗をやめて無店舗通販のみの古本屋になっている。『三十五年史』を出した時の組合員は169名、増減があって現在は104名、そのうち92年から続いているのは42人、店舗営業を続けているのは27人である。92年の頃には無店舗だと組合加入を原則として認めていなかったから、この30年の間に街の新刊屋がなくなった以上に街の古本屋もなくなっているといえる。小資本で始められる古本屋だから、うまく行かない時に転業を決意しやすいのかも知れない。 神奈川というのは古本屋の営業形態の新機軸が出てくる土地柄なのか、80年代に『街の古本屋入門』の影響下にあるような小資本型の古本屋、90年少し前からロードサイド型といえる「古本小屋」などのチェーン店とその系譜につらなるブックオフ、インターネット通販では今世紀初め頃からの紫式部、いずれも神奈川が発祥のようだ。 紫式部については良く知らないが、最初の頃のその事務所の住所は当時の私の自宅から30mも離れていない場所だった。そこは私と同年輩の女性が始めた古本屋で、90年代後半の創業の組合員だったが、彼女が間もなく病を得てからは会えなくなり、紫式部との関係については聞いていない。店自体も10年は続いていないで、閉店後に亡くなっている。 私が組合員になった80年代半ば、神奈川組合には他業種転入組だが古本屋商売についての理論家と思える人が2人いた。1人は石田だが、もう1人は牧野誠という、石田よりは少し年上の人である。東京町田の古本屋高原書店がその広さで話題になりだした80年頃、横浜の繁華街伊勢佐木町の商業ビルでワンフロア80坪ほどの先生堂書店という広い古本屋をやっていた。私と牧野は横浜南支部という同じ支部所属で、その頃はまだ週1回やっていた南支部の支部市や、週2回の本部市で何回か話を聞いたことがある。古本業界は外への発信力を強化すればもっと儲けられるというようなことを聞かされたと覚えている。石田とはソリが合わなかったようで、2人の口論の現場に居合わせたこともある。石田理事会の後半に先生堂を人に譲り、牧野は組合を脱けて、非組合員として「古本小屋」チェーンを始め、そこから「ぽんぽん船」という古本屋チェーンが派生した。「古本小屋」「ぽんぽん船」の成功を見ていた坂本孝が牧野にロードサイド型古本チェーン展開のノウハウを聞いて相模原にブックオフの1号店を始めた。坂本と牧野ではチェーン系古本屋をシステムとして売るところは同じでも、牧野はまだ本という商材に坂本より愛着があったと思えた。牧野先生堂から出た古本屋が2人、今も神奈川組合で活躍中である。1人は数年前に自社ビルを持つまでになった長倉屋書店長倉健之、もう1人は現在の神奈川組合理事長の藤沢湘南堂西嶋 聖光である。西嶋は今は無店舗だが、一時は100坪規模の店を複数を持つ、多店舗・大型店展開の神奈川の筆頭古本屋だった。その店員からは現在も店舗営業をしている組合員の古本屋が6、7人出ている。非組合員として古本屋を開業したのはその倍近くいると聞いたが、そちらはほとんど古本屋は廃業しているらしい。牧野も石田も坂本も亡くなってしまったし、こんな神奈川組合史外伝みたいなことはここいらで終りとしよう。 本物の『神奈川古書組合三十五年史』は、小田原の高野書店を中心として、多少の準備期間のあと、石田理事会の86年に発刊を決定し、商業協同組合発足後三十五年目の88年に発行するつもりだったのだが、実際に出たのは92年になっていた。本格的な編集執筆作業に入ってから満6年はかかってる。私も編纂委員の1人として分担執筆に参加し、編集者経験もあったことから、全体的な編集実務についても仕事を任されて「序にかえて」まで書いている。組合前史を入れたら三十五年ではなく六十五年史でもよかったのだが、戦前の神奈川の市場に2系統あって、多少の時間的なズレがあるので、誰もが異論のないところで、商業協組になってから三十五年という表題にしたのだ。 この組合史編集には石田友三も参加している。石田と私が編集委員として並んだ本がもう1冊あって、そのことも私が石田を意識する大きな原因になっている。その本のことを書く前に、私の屋号についてもう一度。「りぶる・りべろ」は“自由な本屋”の欧文訳である。なぜ自由か、60年代末から70年代にかけての時期、自由という言葉の重さを思い、自由社会主義者評議会という団体のメンバーになったりしていたからだ。その団体は準備会のまま終ったが、簡単に言うと絶対自由主義というアナキズムに憧れていたのだ。石田と私が今世紀になる前後に編集委員となり、2004年に刊行されたのは『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)という本である。 石田は95年に影書房から『ヨコ社会の理論—暮らしの思想とは何か』という本を出した。貰ったのか買わされたのか忘れたが、すぐに読んで、この元理事長は、いつもはパワハラ気味なのに根はアナキストなのかと思ったものだ。日常生活のアナキズム的な過し方を提唱している本である。この頃から非暴力をテーマとするアナキスト向井孝らとのつきあいが始まっていたのだろう。 私とアナキズムとの関係は、60年代後半の学生時代に、マルクス主義の中でも前衛主導型ではないヨーロッパ・マルクス主義に魅かれていて、同じように評議会社会主義を唱える自由社会主義、いわゆる無政府主義とは少し違う理論形成をしようとするアナキズムに展望を見つけ、そうしたアナキストとつき会い出したのが始まりである。70年になって、麦社という全国規模のアナキスト団体の実務担当の若手労働力として数年間運営委員をやっていた。生活手段としての薔薇十字社などでの編集者稼業を表とすれば、裏ではボランティアとしてアナ系団体の仕事を週1、2回やっていた。薔薇十字社というのは、澁澤や種村などの著者たちも経営陣もアナーキーといえる人たちだから、そんな二重生活もさして矛盾を感じることはなかった。その二重生活の中から、私の古本屋への道が少しずつ築かれていたのだろう。 薔薇十字社の先輩社員で営業担当の石井康夫という人が、下北沢に移る前の、確か早大正門通りにあった古本屋の幻游社でバイトをしたことがあり、店主の長沢久夫が薔薇十字社に来訪したり、こちらから下北沢へ訪ねたりして古本屋話を聞いていた。丸山たちと私が祐天寺のあるご書店の棚を作っていた頃には石井は日吉に本店のある古本屋誠文堂のできたばかりの戸塚の支店の店長をしていて、店主の内山勇夫を紹介された。内山はまだ開業して5年ほどで、古本屋開業についてのアドバイス、体験談を具体的に話してくれた。 麦社の方では、麦社パンフレットの納品先として、後から新刊屋修業をさせてもらうことになる文鳥堂四谷店や模索舎、神田ウニタだけでなく、新丸子の古書店甘露書房にもよく行った。創業店主の高橋光吉は戦前はアナキズム系の労働運動の有力な活動家だったし、戦後は46年にアナキスト連盟に加わり、60年安保の頃は秋山清、大沢正道、向井孝らと自由思想研究会を結成、自店を発売元としたアナ系の出版物を出していた。また、それ以外のアナ系のパンフも置いていた。その頃、アナキズム文献を捜すなら甘露書房という定評があった。 まったく礼を失しているのだが、私はこの東横線の古本屋2人、高橋光吉と内山勇夫の葬儀には参列していない。内山の時は組合の催事の仕事がはずせず、体調もよくなかったので不義理をした。高橋の時は意図的に行かなかった。組合に入ったばかりで古本屋に専心しよう、アナキズムから少し離れようと思っていて、アナ系の知り合いに会いたくない時期だったのだ。今はアナ系の人達とつき合っているのだから、まったく申し訳ないことをしたと思っている。誠文堂(移転した)は内山夫人が、甘露書房は子息と孫が店を継いで現在も営業を続けているがアナ系の本はないようだ。 |
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2022年3月25日号 第343号
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☆INDEX☆
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1.『「第一藝文社」をさがす旅』 早田リツ子
2.『古本スタイル創刊!』 林 哲夫
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━━━━━━━━━【自著を語る(288)】━━━━━━━━━━━
『「第一藝文社」をさがす旅』 早田 リツ子
2015年春、当時コロンビア大学の東アジア図書館で働いていた友
人から、北川冬彦の『純粋映画記』を出版した第一藝文社について
問うメールが届いた。北川が滋賀県大津市の出身であることは知っ
ていたが、彼の著作を刊行した出版社が大津にあったというのは初
耳だった。友人は詳しい情報を求めていたわけではないので、ここ
で「わからない」と返信すれば済む話だったのに、いま思えば何か
の力が働いたかのようにもう少し調べてみようと思い立ったのだ。
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9060
『第一藝文社をさがして』 早田リツ子 著
夏葉社 定価:2,750円(税込)好評発売中!
http://natsuhasha.com/news/2022119/
━━━━━━━━━【自著を語る(289)】━━━━━━━━━━━
『古本スタイル創刊!』 林 哲夫
やっぱり、雑誌がやりたくなるのです。昨年末に『古本スタイル』
という古本好きの雑誌を創刊しました。岡崎武志、山本善行らと発
行していた同人誌『sumus』が13号をもって休刊したのが2010年です
から、そろそろ何かやりたくて、雑誌の虫がウズウズしていたのは
間違いありません。
そこへもってきて世界の終末を見るような新型コロナ騒動です。
それまでは、『sumus』が休刊する直前(2009)に京都で善行堂とい
う古本屋をはじめた山本善行も、古本ソムリエと自他ともに許し、
その弁舌と同じように絶好調で古本商道まっしぐらでした。ところ
が、一転、地獄を見たのです。一時は「店を閉めようかと思う」と
悲壮な面持ちで語ることもありました。それでも〈善行堂倶楽部〉と
いう「おすすめ古本直販システム」(要するに古本おまかせ弁当です
ね)をひねり出しては、かろうじて日々を乗り切ってきたのです。
続きはこちら
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=9051
『古本スタイル 創刊1号』 書肆よろず屋刊
販売 古書善行堂 600円(税込)好評発売中!
http://zenkohdo.shop-pro.jp/?pid=165430750
━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━
近代出版研究 創刊号
発行:近代出版研究所
発売:皓星社
定価:2200円(税込)
発売日:4月上旬
判型:A5判並製288頁
https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774407623/
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東京都書店商業組合YouTubeチャンネル
『東京の本屋さん ~街に本屋があるということ~』
https://www.youtube.com/c/tokyo-shoten
内容
①著名人出演のインタビュー動画(13本)
②ドラマ『本を贈る』篠原哲雄監督(全9話)
③書店紹介(72店舗)
━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━
3月~4月の即売展情報
※新型コロナウイルスの影響により、今後、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init
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次回は2022年4月中旬頃発行です。お楽しみに!
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*☆ 本を売るときは、全古書連加盟の全国の古書店に ☆*
全古書連は全国古書籍商組合連合会(2,200店加盟)の略称です
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日本の古本屋メールマガジン その343・3月25日
【発行】
東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋事業部」
東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
URL http://www.kosho.or.jp/
【発行者】
広報部:志賀浩二
編集長:藤原栄志郎
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古本が繋がる時1
古本が繋がる時1樽見博(日本古書通信社) |
古本の世界は不思議だなと改めて痛感させられたことが、このところ二つ続いたので紹介したい。ある雑誌の記事や、本への書き込みが、知らないでいた事実を教えてくれた。調べ始めたら次の部屋への扉を開くように、ある古本が別の古本へ繋がっていったのである。語呂合わせではなく、古書趣味とは考証趣味だと私は考えているが、古書探求の面白さを実感した。インターネットの普及で古書の売買の在りようは確かに変化したが、この面白さは何も変わっていない。
私が編集している『日本古書通信』の関西の読者から、アナーキスト詩人だった向井孝と山口英の戦前の俳句誌『句と評論』での活動期間を教えてほしいという依頼があった。この二人の詩人の出発が当時台頭していた新興俳句への参加であることを『日本古書通信』や『京大俳句を読む会』会報に私が執筆したのを読まれたからであろう。早速所蔵する三年分ほどの『句と評論』を改めて調べてお知らせした。手元には昭和7年9月の創刊号と10月号、昭和8年の第二巻一号から翌年の第三巻、昭和12年の一年分(巻数表記無し)がある。見て行くと第二巻一号の6号記事に「新興句会小会 常陸笠間田中青牛報」があり、昭和7年11月26日に、茨城県笠間町の青牛邸で参会者十名の句会を開き、高点を得た九名の作品を記録していた。末尾には「午前零時散会。天地三者へ『句と評論』十一、十、九月各号を呈した」とある。陶器で知られる笠間は私の生まれ故郷で我が家の墓もある。歴史はあるが田舎町である。新興俳句始動期に既に笠間にその支部ともいうべき存在があったことに驚愕といっていいくらいの驚きを覚えた。所蔵の『句と評論』は、平成14年に刊行した拙著『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー)執筆時に求めていたが、まだ十代だった三橋敏雄や、先の向井、山口などの作品を調べたのみで、当時はこの小さな記事に全く気が付かなかったのである。 田中青牛という俳人は初めて知ったのだが、この1月号巻頭二人目で「酉の字」というエッセイも寄稿している。『句と評論』でもそれなりの位置にいた俳人と考えられるのである。勿論、この程度では俳句文学事典などに立項はない。その後も毎号「笠間新興句会報」は掲載され、他にも「近江句会」「銀座句会」「七里ガ浜句会」「白山句会」「札幌句会」が出来て行ったようだ。前年昭和7年の9月号にも「漢詩と俳句・続」というエッセイと俳句三句、10月号にもエッセイ「秋の蚊」と俳句四句を掲載している。俳句には「茨城 田中青牛」とある。また、創刊号の裏表紙裏に『合本句と評論』第一輯の広告があり、青牛は「蕪村の一面」と「『日本名勝俳句』を見て」が収録されているようだ。この二編は未所蔵の昭和7年11月、12月号に掲載されたものだろうか。 昭和8年分を見て行くと、9月号に遺影を添えた青牛の追悼特集があってまた驚いた。遺稿「眼白」と、妻田中みぐさの「臨終記」、橋本桂秋の「笠間俳壇と青牛氏」、及び松崎華外、松原地蔵尊、藤田初巳共編になる「青牛句鈔」が掲載されていた。笠間に新興俳句を呼び込みながら数カ月で亡くなってしまったのだ。「青牛句鈔」で青牛の俳句歴が、大正15年夏の『黄橙』、昭和2年秋の『境地』、昭和5年夏の『群青』、昭和5年秋の『新黄橙』、そして昭和6年夏の『句と評論』投句時代と変遷したことが分かった。昭和6年に『句と評論』が出ていたということは、第一巻一号とある昭和7年9月号で体制の変化があり仕切り直しをしたということだろうか。青牛句は百八十句あまりが収録されているが、創刊9月号掲載の句「独居のひとりを襲ふ蚊なりけり」の前に『句と評論』掲載句が十三句ある。 この追悼特集では、青牛が病を得て東京から故郷の笠間の実家に帰り、従来の笠間の俳壇に新風を注いだこと。実家の環境が病気に良くないので町場の桂町に引っ越したこと。それでも結核には勝てず4月25日に32歳で亡くなり、雨の降る翌日、光照寺の荼毘堂に運ばれたこと。戒名は「法心院雄山青牛居士」。幼い子供二人と、やはり俳人である妻みぐさがいたこと、またその「臨終記」を読むと、法政大学出身(私の同郷の先輩ということになる)で、教師をしていたらしいことは何となくわかった。しかし肝心の本名が分からない。 そこで思いついたのが『茨城俳句』(昭和54年)という枕のような近代の茨城県出身と関係俳人のアンソロジーである。所持している筈だが出て来ないので、コロナ休館を終えた地元市立図書館所蔵本を見た。先の『句と評論』追悼記事を元に作品二十句が掲載され、ごく簡単な経歴として本名田中虎雄、明治34年生まれ、教員、前記の俳歴、父悠峯(善治)、兄白甫も作家とある。その父悠峯も妻みぐさも各一頁を当てられている。ただ、これだけではどこの教師であったのか、何を教えていたのかもわからず、まだ具体的な人物像が浮かび上がって来ない。『句と評論』の中核の一人で多くの文章も書き、病を得ながらも帰郷して句会を主宰し共鳴者を集めながらあまりに早い死を迎え、しかも「臨終記」の伝える末期は胸を締め付けられるような哀切極まるものである。もっと詳しく知りたいという気持ちを消すことが出来なかった。 私は墓参りを兼ねて笠間に行き、光照寺を訪ねた。真宗大谷派の立派なお寺である。御朱印集めをしている妻に親切に対応して下さったご80歳くらいの住職の奥様に、昭和8年4月にこの寺で葬儀をされた田中青牛という俳人のことを知りませんか、お墓は石寺にあるようですがと、聞いても当然のことながら首を傾げられただけだった。無理もないことで、青牛が最期を迎えた桂町とよばれる地域だけを教えて頂いた。城址のある佐白山の麓、日動美術館や笠間小学校のすぐそばである。 カーナビで石寺の位置は分かった。市街から北に大分離れた山里である。病院に通うにも句会を開くにもあまりに不便である。しかも今を去る90年前、街に出るには数時間を要したに違いない。山の中を車でグルグル回ってみたが、墓らしいものは発見できなかった。 家に帰りグーグルマップの衛星写真で笠間市石寺を見たが、墓場らしきものは見つけられなかった。 調べもここまでかなと諦めかけた頃である。昨年末に石田波郷と石塚知二が主宰した『鶴』の未所蔵分を多く含んだ俳句雑誌の束を古書市場で落札していた。必要と思われる物だけ抜いて、捨てるものを束ねてしばらく放置していた。いよいよ処分しようと最後にチェックしたら、細谷源二が札幌で出していた俳句雑誌『氷原帯』が二部あり、片方は1967年7月号(第二十巻七号)で何と「句と評論・広場」特集を組み、松原地蔵尊、湊楊一郎、細谷源二、砂川長城子、そして田中から姓を変えた関口みぐさが文章を寄せていたのである。みぐさの文章「思い出 たぐり寄せられた綱に」には青牛に関する記載はなかったが、地蔵尊の「『句と評論』創刊より九年迄の展開」は青牛に詳しく触れていた。危うく捨ててしまうところであった。さらに驚いたことに、この号には、みぐさが江原という方に書いた手紙が挟まれていたのである。こんな偶然があるのかと身震いがした。ところが次にあらたな本との出会いが続いたのである(つづく) |
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「第一藝文社」をさがす旅
「第一藝文社」をさがす旅早田 リツ子 |
2015年春、当時コロンビア大学の東アジア図書館で働いていた友人から、北川冬彦の『純粋映画記』を出版した第一藝文社について問うメールが届いた。北川が滋賀県大津市の出身であることは知っていたが、彼の著作を刊行した出版社が大津にあったというのは初耳だった。友人は詳しい情報を求めていたわけではないので、ここで「わからない」と返信すれば済む話だったのに、いま思えば何かの力が働いたかのようにもう少し調べてみようと思い立ったのだ。
まずは図書館のレファレンスサービスを利用することにした。その結果、参考文献として紹介されていた古書店主山本善行さんの「純粋映画記 北川冬彦」(林哲夫編著『書影でたどる関西の出版100―明治・大正・昭和の珍本稀書』)に出合い、大いに驚くことになる。そこには北川だけでなく伊丹万作や今村太平、杉山平一等の名があり、天野忠、中江俊夫などの詩人の名があった。 社主中塚道祐(悌治・勝博名義もある)についての詳細は不明のまま、次は国立国会図書館の書誌検索で、第一藝文社の本をリストアップする作業を始めた。それによって刊行書に映画評論、詩集、いけばなの本が多いことがわかってきた。実はこのあたりで、くだんの友人宛に概要を伝えて終わることも考えていた。 ところでリストは当然ながら発行順につくりたいと思っていたのだが、国会図書館も各地の図書館の書誌も、ほとんど発行年までの記載なので同年内の刊行順がわからない。いま思えば、私的な小レポートが思いがけず長い記録になった直接的なきっかけは、発行日を知るために各地の図書館の蔵書を借り、さらに気になる本を全国各地の古書店さんから取り寄せた結果ともいえそうだ。 私はこれまで、おもに農山村女性の生活史を聞き書きで記録してきた。その地に結びついて営まれた暮らしの話を聞かせてもらうのは、私にとって時代と地域社会を知るための貴重な学びの機会だった。子守り奉公、女工労働、過酷な農作業、敗戦後の変化へとつづく話の底には、戦争がどっしりと居すわっていることも常に意識させられた。 第一藝文社をさがす旅をつづけた基本的な動機も、この出版社の主要な社業が敗戦までのほぼ10年だった点にある。大津で創業し、間もなく京都へ事務所を移した個人出版社が、困難な時代にどのような本を出したのか全容を知りたくなったのだ。もう一つは、その後明らかになってくる中塚道祐という人の誠実な人柄と、地主の跡取り息子である出自を嫌い、理想の社会を夢見た生き方に関心をもったからだった。さらに決定的だったのは、中塚の長男修さん(故人)との出会いと協力があったことである。 修さんから託された資料中の自伝『思い出の記』(私家版)と、中塚が編集していたいけばな流派機関誌によって、彼の個人史と、本と著者に関するエピソードが一度に目の前に現れたのだ。それからはリスト作成をつづけながら、第一藝文社の本を実際に手に取って読んだ。もちろん私にも入手可能なもの、理解できそうなものに限られ、その理解も充分とはいえなかったのだが。いけばな関係にも関心はあったが割愛した。 戦時体制下で刊行された本を手にすることには、新刊書では味わえない身の引き締まる感覚があった。刊行間もない第一藝文社の本を待ちかねていたように買い求め、傍線を引きながら熱心に読んだ読者との出会いも、古書ならではの感動だった。また「いけばな批評家」としての中塚の活動も注目に値する。「挿花は決して一部階級のものであつてはならぬ」と書いた中塚が、作庭家、いけばな・茶道の研究家として著名な重森三玲に師事し、第一藝文社の社名の相談にものってもらったという結びつきにも驚いた。最初の刊行本は重森の『挿花の観賞』である。 今回は本に導かれるままに時間をさかのぼる旅だった。第一藝文社を通して多くの出会いがあった。なかでも日本映画の向上を願って労を惜しまず尽力した杉本峻一、中塚の篤実な人柄を尊んだ今村太平や杉山平一、今村の親友日名子元雄(文化財保護の専門家)、厚木たか(『文化映画論』の訳者)、九州の詩人西山明、経済学の本を遺した友人佐久間紀彦などはとくに印象に残っている。また中塚に思想的な影響を与えつつ、自らは自由な生き方を選べないまま若くして世を去った、姉の中塚くめも忘れ難い人である。 一冊の本が世に出るまでに、さまざまな人の力が注がれていることにいつも胸が熱くなる。今回は資料をさがす段階から、図書館と「日本の古本屋」の検索サイトを通じて全国の古書店さんに助けられた。本が届くたびに「よくぞ持っていてくださった!」と心から感謝した。 最後に中塚のメッセージを記しておきたい。〈日本はいま戦争をしていないけれど、しかしいま地球上には戦争がある。この地球上の、どの地域に戦争があっても、それは、しんの平和でない〉――本書「いけばなと平和」より。 |
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