ズレて、ズラして、ズラされて――時代と価値観からのスピン・オフ (古本の読み方1)

ズレて、ズラして、ズラされて――時代と価値観からのスピン・オフ (古本の読み方1)

書物蔵

■古本の買い方ならぬ読み方
 古本読書術というお題は成立するだろうか。古本の「買い方」本には意外と「読み方」が書かれていない。それらは、買い方+自分がオモシロいと思った古本の紹介、というパターンがほとんどで、「なんで自分がその本をオモシロいと思えたか」「どうしてその本がユニークだと気づけたか」といったメタな記述、つまり、購書術ならぬ読書術はあまり見当たらないのだ。気づいた結果は書いてあるのに、なぜ気づけたのか、プロセスがないのは、無意識的な動作だからだろう。
 そこで改めて考えてみた。

■古本とは、時代のズレを楽しむ本のこと
 購書術の中の「掘り出し」をする説明に、手がかりが少し示されている。例えば、唐沢俊一は『古本マニア雑学ノート 2冊目』(ダイヤモンド社, 1998)でこういう。
 たまたま行った地方の古本屋で名著の初版本を見つける、なんてことは「絶対にない」から、逆に「今から将来を見越した本集めを」(p.44)せよ、という。というのも「時代と共に、価値のある本が変わっていく」からと。これを敷衍すると、未来にせよ過去にせよ、時間的ズレ、正確には、それに伴う価値観のズレを楽しむのが古本だと思えてくる。
 それは秋山正美が『古本術。』(夏目書房, 1994)でいうような「〔自分の〕少年時代にそろえることのできなかったあこがれの本」(p.190)をはるかに超えて、自分の生まれる前まで拡張していくべきで。岡崎武志も『古本道入門』(中央公論新社, 2011)で「その人の古本人生を考える時、たぶん一つの分水嶺となるのが自分の生まれる前に出た本を買うことだ」(p.65)と指摘する。
 古本にはセカンドハンド(セコハン本)であるという意味と、古い本であるという2つの意味がある。初心者は安く買えるという値段から古本趣味に入門するが(ブックオフが典型だろう)、古本固有の楽しさとは、時代のズレを楽しむ点にあるのではなかろうか。

■ズレとは、読み手がつくるズラシのことでもある
 「あなたの紹介文を読んでとても面白かったので、原文が読みたくなり、手に入れて読んでみましたが、さっぱり面白くありませんでした」という手紙を唐沢俊一はもらうことがあったという(『古本マニア雑学ノート』ダイヤモンド社, 1996, p.178)。
 実は私も早稲田の古書現世さんに同じことを言われた。「書物蔵さんのブログで紹介された本を自分で見たら、そう面白く感じられないのは、紹介の仕方が面白いからでは」と。
 自分では素直にオモシロがっていただけなので、現世さんに言われて「あゝそうか」と気づいた。楽譜が同じでも演奏家によって演奏が異なるように、本が同じでも読み手によって読み取りが(実は)異なってくるのだ。
 唐沢は「(その古本の)価値は自分で作り出す」ものだと要約しているけれど、私が思うに、時間的ズレから生じる価値観のズレにつけこんで、つまりは自分の現在ただいまの興味から出発しながらも、ズラシた読みを積極的にやることが、その古本の価値を自分なりに作り出すことになる。
 などと、抽象的に言ってもわからないと思うので、事例に即して説明してみよう。

■(事例)日本は図書分類法でさきの大戦に勝利した……のか!?
 学生時代、絶版文庫や図書館情報学の本を蒐集していたのだが、古本趣味を復活させた2005年に、西部古書会館(高円寺)でこんな本を買った。ズラさずに紹介すると、この本はとある染織化学者の、研究一般論である。
 ・稲村耕雄『研究と動員(日本評論叢刊 ; 5)』日本評論社, 1944
 なぜ拾ったのかというと、もともと愛書家の司書に稲村徹元という人がいて――斎藤昌三の弟子――親戚かと思われたから(結果、違かった)。本をひらいたら、2章ほど図書の十進分類法について書いてあったので驚いた。
「研究の組織化にはカードが、あまりバカにできない役割をもつてゐる。カードを生かさうとすると問題になるのは分類である。現在わたくしが直接戦力増強のために全力を注いでゐるのも実はこの分類法の完成である」(p.81)
 昭和19年は大日本帝国いまだ聖戦完遂中にて、なにもかもが勝利のために総動員されていたわけであり、稲村さんも染織を通じて勝利に向かっていたわけだが、この人、たまたまフランスへ留学中に、研究方法論などに触れ、当時最先端の国際十進分類法(UDC)の知識を仕入れたのだった。UDCは単行本だけでなく、論文や著者(の専門)ですら厳密に分類可能な精緻なものであり、そこで稲村さんは科学文献、科学者の軍事動員にUDCが使えることに気づいたのだった。まさに、「直接戦力増強のため」である。日本のマンハッタン計画か?
 稲村さんのUDC普及は結局、上手くいったのだろうか? って上手くいかなかったから負けちゃったのか……*。
 戦後の我々は、図書館が栄えると平和が達成されるかのようなイメージに生きている。現に、昭和23年にできた図書館の親玉、国立国会図書館は「日本の民主化と世界平和」が使命だと法定されてもいる。しかし、その4年前、昭和19年の稲村さんは、戦争遂行、戦力増強にこそ、図書館事業が役立つと言っている。まるで逆さでオモシロい。
 稲村著を拾った後わたしは、読みようによっては図書館学書にも読めるものを「仮性図書館本」と呼んで、蒐集領域が広げ、大いに集めることになった。

■(読み方)体制変換をまたぐとオモシロい
 これは戦前と戦後に生じた(政治的)価値観の大転換を利用して古本を楽しんでいる例である。最近はすっかり戦前モノに集中してしまったのは、価値観の大転換があった敗戦前のものだと、大抵、オモシロいことが体得されたからである。
 もちろん日本なら1945年以前にも、1868年に変換があり、それ以前の本はさらにオモシロいだろうが、しかし江戸期和本は、くずし字を読めないといけないのと、古書会館の週末古書展でも陳列される会は限られるので、ちょっとやりづらい。しかし、旧漢字旧仮名の活字なら、慣れればわりとすぐ読めるようになるはず。

■(読み方)拡張概念で、自分の読みたい本を過去の方向へ殖やす
 1945年の体制変換は国家レベルの話だけれども、こちら、つまり読書者側の問題として、その事物をどれだけ知っているか、という問題もある。自分の仕事、自分の趣味の事柄であれば、現在の通説、当たり前を――言語化はできずとも――わりと広く知っているし、細かいことや、からくりもある程度わかるはずだ。旧漢字旧仮名への「慣れ」も、自分がすでに知っている事柄――それは『坊っちゃん』といった小説でもよい――を読んで慣れるのが、いちばんの近道でもある。
 ここで重要なのは、既存の興味を拡散させずに、むしろ貫きつつ、体制変換前や、周辺的な雑著をどう視野に入れて読むか、ということである。
 私の場合、すでに一通りの知識と本を持っていた図書館学ジャンルを、さらに「仮性図書館本」という言葉で拡張して集め出したことで、正統的な学史ではフォローされない周辺現象や在野活動が視野入るようになった。
 それはちょうど横田順彌が、英語のSF新作が読めない自分が作家仲間に自慢するために「古典SF」なる言葉を造語し、『炭素太閤記』など、普通なら珍奇、「その他」としか言えない雑著を発掘できたことに通じる。「古典SF」という概念の発明で、SF概念がない時代の本をSFとして拾えるようになったわけである。
 「仮性〇〇本」とか「古典〇〇」といった、ちょっとした言葉のアヤで、自分の興味を貫きつつ、一見、関係ない本を拾えるようになるのだ。

*書物蔵「カードと分類で大東亜戦争大勝利!:もうひとりの稲村さん、国際十進分類に挺身す(あったかもしれない大東亜図書館学; 6)」『文献継承』(22) p.11-16 (2013.4)

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本格的古本歴は15年ほど。興味は日本図書館史から近代出版史へ移行し、今は読書史。
共書に『本のリストの本』(創元社、2020)がある。

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『近代出版史探索外伝』について

『近代出版史探索外伝』

小田光雄

 今回の拙著はこれまでの『近代出版史探索』五冊の短編連作と異なり、「ゾラからハードボイルドへ」「謎の作者 佐藤吉郎と『黒流』」「ブルーコミックス論」からなる三本立てである。映画を見始めた1960年代は雑多な三本立て上映が主流であって、それを模してみようと思った。
 これは日本の古本屋メールマガジンの配信なので、ここでは「謎の作者 佐藤吉郎と『黒流』」にふれてみたい。この論考は十年以上前に書いているのだが、その後何ら新しい情報も得られず、さらなる知見を加えることができていない。ただひとつの進展はこの『黒流』という小説が国会図書館の蔵書デジタル化によって、誰でも読めることになったという事実であろう。

 だが依然として古書市場にはまったく見出せず、私が書いた時の状況と変わっていない。その私にしても、ずっと『黒流』を探していて、ようやく入手したわけではなく、古本屋の棚に置かれていたのを偶然に購入しただけである。確か古書価は千円であった。この四六判並製、函入六四六ページの長篇小説は佐藤吉郎という作者も含め、『日本近代文学大事典』を始めとするアーカイブにもまったく見当たらず、それは東北書房なる版元も同様だった。

 出版されたのは大正十四年十月であるので、大正文学に位置づけられようが、そちらの方面をたどってみても、その痕跡はどこにも残されていなかった。それゆえに、『黒流』という一冊と物語自体に謎を求めるしかなかった。確かに著者の写真は掲げられ、「自序」も示され、「今日地球上に於いて、最も重大な問題は、階級戦と人種戦である」と始まっている。そして次のような言葉も見られる。

  ” 私は一箇の放浪者だ。十九の秋から八年の間は、殆ど南洋に、メキシコに、キユーバに、北米にと云ふ様に放浪の旅を続けて居た。それも他の漫遊者の様に旅費を持つての放浪ではなかつた。だから冒険的な放浪であつた。一寸日本に居る人達の想像の出来ない様な経験もして居るのは云ふ迄もない。”

 この「自序」によって、『黒流』が長きにわたる南北アメリカの「冒険的な放浪」にベースを置き、「階級戦と人種戦」を描いていることが示唆される。しかもこの長篇小説『黒流』は当初千五百枚だったが、それを八百五十枚に縮めたので、「筋はそれ丈面白い処のみを取つて来た」とも述べられている。

 つまり現在の言葉に置き換えれば、エンターテインメント、もしくは冒険小説のようにして提出されたことになろう。そのために、『黒流』は大正文学にあって、まったく異形の小説、戦後の大藪春彦の小説に先駆けるようなかたちで出現している。
 それらの『黒流』をめぐる謎に関して、まずは『黒流』の書影、佐藤の写真、奥付記載を示した後で、出版と印刷の事象から始めている。本郷区駒込千駄木町に住所を置く東北書房と発行者の唐橋重政、大売捌所(取次)としての日本力行会、印刷所としての浜松市元城町の開明堂をたどっていくと、そこに現われてくるのは、キリスト教と日本力行会、浜松バンドと聖隷福祉事業団の関係である。そして『黒流』の全体の五パーセントに及ぶ伏字処理のプロセスも浮かんでくる。

 その一方で、黄禍論と排日の歴史もたどり、『黒流』の物語を分析し、石川達三の『蒼氓』に近代日本の南米移民史を追っている。また久生十蘭の『紀ノ上一族』に、『黒流』とは異なるかたちでの、アメリカにおける「階級戦と人種戦」を検証してもいる。
 大風呂敷を広げたばかりで、長篇小説『黒流』の物語そのものにふれてこなかったが、こればかりは拙稿を読んでもらうしかない。だが少部数のため高定価であるので、図書館にリクエストして頂ければありがたい。著者自らがいうのも何だが、一冊で三冊分が楽しめることを保証しよう。

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『近代出版史探索外伝』 小田光雄著
論創社刊 6000円+税 好評発売中!
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『東京の古本屋』

『東京の古本屋』

橋本倫史

 きっかけは、ふとした一言だった。
 大学4年生を迎えた春、単位がまだ足りなくてどの授業を履修しようかと頭を悩ませていたところに、同郷の友人がアパートを訪ねてきた。ちょうどそのとき、テーブルの上に『SPA!』を広げてあった。毎週購読していたわけではなく、その週はたまたま買い求めて、テーブルに置いてあった。開いていたページには、福田和也さんと坪内祐三さんによる対談連載「これでいいのだ!」が掲載されていた。それを目にした友人が、「この人、早稲田で授業やってるよ」と教えてくれた。「レポートさえ出せば誰でも単位もらえる授業らしいけど」と。

 ぼくが通っていたのは早稲田大学ではなく、学習院大学だったけれど、単位交換システムがあり、その授業はぼくでも履修できるようだった。最初はただ「単位がもらえるなら」と申し込んだのが、坪内さんの「編集・ジャーナリズム論」という授業だった。そんなよこしまな気持ちで履修したものの、内容に引き込まれ、大学4年間で唯一欠席しなかった授業になった。
 授業は水曜日の5限だった。少し早めにアパートを出て、当時早稲田通りと明治通りの交差点にあった「すがきや」で腹を満たしたり、早稲田の古本屋街をのぞいたりしながらキャンパスまで歩いた。上京してからずっと高田馬場に暮らしていたけれど、古本屋に立ち寄るようになったのは、坪内さんの授業を受けてからだった。

 それからほどなくして、「わめぞ」というグループが立ち上がった。早稲田と目白と雑司ヶ谷で、本にまつわる仕事をしている人たちが集まり、「古書往来座」では外市という古本市が定期的に開催されるようになった。ぼくは買い物客として立ち寄りながら、「古書現世」の向井透史さんに誘ってもらって、打ち上げの席に混ぜてもらったり、飲み会があるときには声をかけてもらったりするようになった。そうして少しずつ古本屋の人たちと遊ぶようになり、楽器もできないのに、古書店主たちとボエーズというバンドまで組んでいた。ぼくは「記録係」ということになっていたけれど、ライター仕事で使うICレコーダーを持ち出し、演奏を録音しながらビールを飲んでいただけだった。大塚にあったオレンジスタジオで練習したあとは、サービスデイには焼酎の一升瓶が1300円で入れられる居酒屋「江戸村」でしこたま飲んで、酔っ払いながら都電脇を雑司ヶ谷に向けて歩いた。ぼくは古本屋で働いたこともなければ、頻繁に古本屋で買い物をするよいお客さんでもないけれど、そうしてお酒を飲んでいるうちに、古本屋の生活に少しだけ触れたような心地がした。そして、それをいつか言葉にしたいと、ずっと思っていた。

 ボエーズのボーカルを務めるのは、イラストレーターの武藤良子さんだ。その武藤良子さんが金沢の龜鳴屋から『銭湯断片日記』という本を出版する運びとなり、目白のブックギャラリーポポタム」で刊行記念トークイベントが二夜連続で開催された。その一夜目のゲストは「石神井書林」の内堀弘さんだった。
 トークイベントの冒頭で、内堀さんは、「この本を読んでいると、武藤さんが羨ましくなる」と切り出した。「銭湯と古本屋がある町に暮らしたい」なんて語られることも多いけれど、内堀さんは古本屋を始めた20代の頃、朝日も入らない風呂なしの物件に暮らしていて、当時の夢は「風呂つきの物件に住むこと」だった、と。銭湯の記憶はお金がなかった20代の記憶と結びついていて、ほっこりしたイメージとは程遠く、古本屋は「命懸けの場所だった」と内堀さんは言った。命懸けという言葉が、耳にこびりついた。

 武藤良子さんの『銭湯断片日記』は、本にまとめるつもりで書かれた文章ではなく、銭湯を訪れたときのことを日記としてつらつらと綴り、ブログに掲載されていたものだ。ただ、それがブログに綴られたままのテキストではなく、一冊の本にまとまったことで見えてくるものがあると、内堀さんは言った。
 そこまで話したところで、内堀さんは山口昌男さんの話をした。かつて山口昌男さんを中心に、「東京外骨語大学」という小さな集まりがあり、学長が山口昌男さんで助教授が坪内さん、学生が「なないろ文庫」の田村治芳さん、「月の輪書林」の髙橋徹さん、そして内堀さんだったという。

「山口先生にはすごくお世話になって、いろんなことを教わったんですけど、そのひとつが『コレクションというのは、集めることで初めて見えてくるものがあるんだ』ということで。たとえば本草学も、いろんな葉っぱをとってきて、これはあれに効く、これに効くと、コレクションから見えてくるものがあったと言うんですね。明治以前の日本にはコレクションの思想があって、その最たるものが日記だ、と。日記というのは日々のコレクションで、それだけを抜き出すと大したことは書いてないんだけど、それがまとまることで見えてくるものがある。その話を聞いてから、日記って面白いんだなと思うようになったんですよね」

 ぼくは以前から日記を書いたり読んだりするのが好きだったけれど、この夜のトークイベントを聞いているうちに、日記の面白さをあたらめて感じたような気がした。古本屋のことを書くのであれば、日記として綴ろう。ビールを飲みながらふたりの話を聞いているうちに、そう決めたのだった。

tokyohuruhon

『東京の古本屋』 橋本倫史
本の雑誌社刊 本体2000円+税 好評発売中!
https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114620.html

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2021年10月8日号 第332号

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 古書市&古本まつり 第105号
      。.☆.:* 通巻332・10月8日号 *:.☆. 。
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メールマガジンは、毎月2回(10日号と25日号)配信しています。

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━━━━━━━━━━【シリーズ 古書の世界】━━━━━━━━

コロナ禍古本屋生活1

                  火星の庭 前野久美子

 新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが発生し、非日常
が日常になって久しい。かつて、わたしの店ではトークイベントや
ライブを開催し、店内は多くの人で賑わっていました。それも遠い
昔のようです。今は、静かになった店内でお客様から買った本をき
れいに拭いた後、値付けをして棚に並べるといった古本屋の仕事を
続けられることに感謝の日々を過ごしています。

続きはこちら
/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=7288

火星の庭ホームページ https://kaseinoniwa.com/

Twitter https://twitter.com/kaseinoniwa

『仙台本屋時間』
https://kasei003.stores.jp/items/605b5f5dd263f03059a1a9b2

━━━━━━━━━【シリーズ 古本マニア採集帖】━━━━━━

第33回 退屈男さん ちょっとずつ「本の世界」に関わるひと

                      南陀楼綾繁

 この連載は、古本や古本屋と自分なりに付き合ってきた人に話を
聞くことを目的としている。インタビューの場では、その人の話を
引き出すために、私自身の体験を話すこともあるが、文章にまとめ
る際には極力カットしている。
 しかし、以前からの知り合いだとそれがやりにくい。つい、自分
の思い出を通して、その人を描いてしまう。相手と私を切り離して
書きにくいのだ。だから、数人の例外を除き、旧知の人はなるべく
外している。

続きはこちら
/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=7270

南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)

1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一
文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、
図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年
から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」
の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ
・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人を
つなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に
『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市
の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、
『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』
(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。

ツイッター

『蒐める人 情熱と執着のゆくえ』 南陀楼綾繁 著
皓星社刊 価格:1,600円(+税) 好評発売中!
http://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/atsumeruhito/

※ご好評いただきました『シリーズ古本マニア採集帖』は、今回を
持ちまして終了します。連載のご愛読ありがとうございました。
なお、11月に皓星社から刊行予定です。ご期待ください。

━━━━━━━━━【東京古書組合からお知らせ】━━━━━━

「コショなひと」始めました

東京古書組合広報部では「コショなひと」というタイトルで動画
配信をスタート。
古書はもちろん面白いものがいっぱいですが、それを探し出して
売っている古書店主の面々も面白い!
こんなご時世だからお店で直接話が出来ない。だから動画で古書
店主たちの声を届けられればとの思いで始めました。
お店を閉めてやりきったという店主、売り上げに一喜一憂しない
店主、古本屋が使っている道具等々、普段店主同士でも話さない
ことも・・・
古書店の最強のコンテンツは古書店主だった!
是非、肩の力を入れ、覚悟の上ご覧ください(笑)

杉野書店 杉野 基
BOOKS 青いカバ

YouTube 東京古書組合
https://www.youtube.com/channel/UCDxjayto922YYOe5VdOKu9w

━━━━━【10月8日~11月15日までの全国即売展情報】━━━━━

⇒ https://www.kosho.or.jp/event/list.php?mode=init

※現在、新型コロナウイルスの影響により、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

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城南古書展【会場販売します】

期間:2021/10/08~2021/10/09
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

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第21回 四天王寺 秋の大古本祭り(大阪府)

期間:2021/10/08~2021/10/12
場所:大阪 四天王寺 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

http://kankoken.main.jp/

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MARUZENギャラリー「秋の古本まつり」(福岡県)

期間:2021/10/13~2021/10/26
場所:ジュンク堂書店福岡店 2階 MARUZENギャラリー特設会場

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ア・モール古本市(北海道)

期間:2021/10/14~2021/10/19
場所:アモールショッピングセンター1階センターコート
旭川市豊岡3 条2丁目2‐19

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ぐろりや会【会場販売します】

期間:2021/10/15~2021/10/16
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

http://www.gloriakai.jp/

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本の散歩展

期間:2021/10/15~2021/10/16
場所:南部古書会館 品川区東五反田1-4-4

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第24回 天神さんの古本まつり(大阪府)

期間:2021/10/15~2021/10/19
場所:大阪天満宮 大阪府大阪市北区天神橋2丁目1-8

http://osaka-koshoken.com

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港北古書フェア(神奈川県)

期間:2021/10/20~2021/10/29
場所:横浜市営地下鉄 センター南駅
(市営地下鉄センター南駅の改札を出て直進、右前方 ※駅構内)

http://www.yurindo.co.jp/store/center/

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秋の阪神古書フェア(大阪府)

期間:2021/10/20~2021/10/25
場所:阪神百貨店梅田本店 8階催場  大阪市北区梅田1丁目13-13

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秋の古本掘り出し市(岡山県)

期間:2021/10/20~2021/10/25
場所:岡山シンフォニービル1F  自由空間ガレリア

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特選古書即売展【会場販売します】※10/4WEBページ更新予定

期間:2021/10/22~2021/10/24
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
TEL:03-5280-2288(会期中のみ会場直通)

https://tokusen-kosho.jp/

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好書会

期間:2021/10/23~2021/10/24
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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第24回紙屋町シャレオ古本まつり(広島県)

期間:2021/10/25~2021/10/31
場所:シャレオ中央広場  広島市中区基町地下街100号

https://twitter.com/koshohiroshima

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浦和宿古本いち(埼玉県)

期間:2021/10/28~2021/10/31
場所:JR浦和駅西口 さくら草通り徒歩5分 マツモトキヨシ前

https://twitter.com/urawajuku

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洋書まつり

期間:2021/10/29~2021/10/30
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

http://blog.livedoor.jp/yoshomatsuri/

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名古屋古書会館古書展示即売会(愛知県)

期間:2021/10/29~2021/10/31
場所:名古屋古書会館 名古屋市中区千代田5-1-12
電話:052-241-6232
※JR「鶴舞駅」名大病院口より徒歩5分/※地下鉄「鶴舞駅」1番出口より徒歩6分

https://hon-ya.net/

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杉並書友会

期間:2021/10/30~2021/10/31
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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東京愛書会

期間:2021/11/05~2021/11/06
場所:東京古書会館 千代田区神田小川町3-22

http://aisyokai.blog.fc2.com/

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古書愛好会※中止になりました

期間:2021/11/06~2021/11/07
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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11月反町古書会館(神奈川県)

期間:2021/11/06~2021/11/07
場所:神奈川古書会館1階特設会場

http://kosho.saloon.jp/spot_sale/index.htm

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BOOK & A(ブック&エー)

期間:2021/11/11~2021/11/14
場所:西部古書会館  杉並区高円寺北2-19-9

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日本の古本屋メールマガジンその330 2021.9.10

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋事業部」
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部:志賀浩二
 編集長:藤原栄志郎

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2021年9月25日号 第331号

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☆INDEX☆
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1.『ブックセラーズ・ダイアリー
       ―スコットランド最大の古書店の一年』 矢倉尚子
2.「敗れし者の静かなる闘い」について    茅原健

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

━━━━━━━━━━━━【自著を語る(277)】━━━━━━━━

『ブックセラーズ・ダイアリー
           ―スコットランド最大の古書店の一年』

                     矢倉尚子

 翻訳は――人によって違うのだろうが少なくとも私の場合は―
―どこかの時点で憑依というか、原著者に乗り移ってもらって語
り出すことができなければ、満足な仕事にはならない。そこで著
者のことばに重なりそうな材料を探し求めて、まず最初に古本を
買いまくる。どの資料がいつ必要になるかわからないので、図書
館は役に立たない。あちこち歩きまわっている時間はないから、
とりあえずはネットで買う。慣れてくると鼻が利いて、これは使
えそう、というのがかなりの勝率で当たるようになる。

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『ブックセラーズ・ダイアリー』 ショーン・バイセル 著
矢倉尚子 訳 
白水社 定価3,300円(本体3,000円+税)好評発売中!
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b584634.html

━━━━━━━━━━━【自著を語る(278)】━━━━━━━━━

「敗れし者の静かなる闘い」について

                      茅原健

 我が家の家系を辿ると、曽祖父から流れている旧幕臣という素性
意識がわだかまっている。これは、時代錯誤といわれるかも知れな
い。しかし、戊辰戦争に敗れて虱だらけになって帰還した曽祖父の
無念を継いだ祖父は、旧幕臣の系譜にこだわり、薩長の栗は喰まな
いという気概を秘めて東北に流れて、その地方新聞に筆を執り、
「東北に平民政治を」という論調を掲げた。

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『敗れし者の静かなる闘い』 茅原健
日本古書通信社刊 定価:2000円+税 好評発売中!
https://www.kosho.co.jp/kotsu/

━━━━━━━━━━━━━【次回予告】━━━━━━━━━━━

『近代出版史探索外伝』 小田光雄著
論創社刊 6000円+税 9月下旬刊行予定
https://ronso.co.jp/

『東京の古本屋』 橋本倫史
本の雑誌社刊 本体2000円+税 好評発売中!
https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114620.html

吉増剛造 詩集 『Voix(ヴォワ)』
思潮社 2800円+税 10月20日頃発売
http://www.shichosha.co.jp/

━━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━

9月~10月の即売展情報

※新型コロナウイルスの影響により、今後、各地で予定されている
即売展も、中止になる可能性がございます。ご確認ください。
お客様のご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

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日本の古本屋メールマガジンその331 2021.9.27

【発行】
 東京都古書籍商業協同組合:広報部・「日本の古本屋事業部」
 東京都千代田区神田小川町3-22 東京古書会館
 URL  http://www.kosho.or.jp/

【発行者】
 広報部:志賀浩二
編集長:藤原栄志郎

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コロナ禍古本屋生活1

コロナ禍古本屋生活1

火星の庭 前野久美子

 新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが発生し、非日常が日常になって久しい。かつて、わたしの店ではトークイベントやライブを開催し、店内は多くの人で賑わっていました。それも遠い昔のようです。今は、静かになった店内でお客様から買った本をきれいに拭いた後、値付けをして棚に並べるといった古本屋の仕事を続けられることに感謝の日々を過ごしています。
そうした中、違和感を感じるときがあります。コロナの自宅療養者は全国で60,532人に上り(厚労省サイト2021年9月17日現在)、こうしている間にも誰にも看取られずに亡くなる人、必要な医療を受けることができずにいる人のことをふと思い浮かべるときです。「もし瓦礫の下に6万人が生き埋めになっていたとしたら、すぐにも救助するだろうね」と友人が言っていました。自宅療養者という言葉の陰でリアルなイメージが描けないからなのか、多くの人が自分たちが過ごしている日常とパンデミックの深刻さのギャップを埋めるのが難しいと感じています。この感覚は東日本大震災のときに感じたものとどこか似ている気がします。あの頃もいつも通り店に立ち、古本を売りながら、10数キロ先で起きた大津波、80キロ先で起きている原発事故が、現実のものと思えずにいました。

 わたしが住む仙台市は東北では新型コロナウイルスの感染者数が最も多く、昨年の流行が始まると、県外はもとより市外の人からも「仙台に行くのはちょっと」という声が聞こえるようになりました。コロナ以前、店には週末になると県外から多くの方が訪れていました。岩手、山形、福島などに加え、首都圏をはじめ関西や沖縄からも来店がありました。ときには台湾、韓国、中国、欧米など外国からのお客様もいらしていました。
お客様と一緒にさまざまな情報も運ばれて来ます。見知らぬ街の古本屋の様子、買った本のことなど。話してくれたことに、こちらからも思いを伝える。短い時間であっても「本」を介して、心が通う濃密な時間があり、まさに顔と顔を合わせたふれあいがありました。

 中には、後日再び立ち寄ってくれる人もいて、「友人に火星の庭の話をしたら」などと後日談を聞かせてくれたりもします。そのおかげでこの狭い古本屋は思いがけないほど、広い世界と接することができました。それらはすべてお客様との出会いを通して作られた世界だったのだと今になって気がつきます。
そういった世界が、今は消えてなくなったようです。以前とやっていることは同じなのに、触れられる世界が小さくなっていく。このまま世界はどんどん小さくなっていくのではないかと不安にかられます。

 しかし、悪いことばかりではありません。2020年の春、宮城県にも緊急事態宣言が発令されて、古本は不要不急ということになり、古本屋に休業要請が出され3週間店を休業することになったときのことです。休業する前日、常連のお客様がやってきました。お会計のときに、「明日から休むことになりました」と伝えると、さっと顔色が変わったのです。いつもじっくり本棚を見られて、だまって本を買っていかれる方です。その日、帰り際にドアまで近づいたところで急に立ち止まり、こちらに背中を向けたまま、「困るんだよ、古本屋に休まれると。行くところがなくなるから!」と叫んだのです。一瞬のことでした。そして、足早に去って行かれました。予想外の出来事に茫然としつつも「辛いのは店主だけじゃないんだ。いや店主は休業中も店に来れるじゃないか。ドアの鍵を閉めてしまったらお客様は入ることはできない。その方が辛いのかもしれない」、そんな思いが頭に浮かびました。お客様の「困るんだよ!」という声がいつまでも店内に反響しているようでした。

 昨年4月の休業要請以降は、定休日以外は休まずに営業しています。売り上げは戻りませんが、閉店後にその日いらしたお客様の顔を思い浮かべて、以前より地域の古本屋であることを実感する日々です。そうした中でもときに県外からのお客様が立ち寄ってくれることがあります。お客様すべてと会話するわけではありませんが、中には声を潜めて「実は◯◯県から来たんです」とこっそり語ってくれる人もいます。

 見方によれば、コロナ禍の今は店を閉めオンライン販売だけにした方が、感染防止の上でも経営的にも正しいのだと思う。でも、古本屋がなくてはならない場所になっている人もいます。そういう人のためにもお店を続けようと思います。お店を開けるかどうかは、自分だけの問題ではない。あのお客様の叫び声を聞いてから思うようになったからです。小さくなった世界で何ができるだろうか。あらためて考えているこの頃です。



火星の庭ホームページ https://kaseinoniwa.com/
Twitter https://twitter.com/kaseinoniwa

sendai
『仙台本屋時間』
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Voix

詩集の芯に、イ(i)の樹木(き)の君が立って来ていた

詩集の芯に、イ(i)の樹木(き)の君が立って来ていた

吉増剛造

 “メズラシキゴイライニセッシ、コヽロオドリジャクヤクシオリソロ(稀らしき御依頼に接し、心躍り雀躍し居候)”と、何処かへと“ウナ電(至急電報)”を打ってみたい気持が湧いて来ていた。
 これは、旧知の吉成秀夫さんからの書状での御依頼に接した折のemotion=エモーション、“感情”と綴ろうとして、しばらく途惑っていて、“emotion=エモーション”といたしましたのには、理由があって、…というのよりも、ここで、その“理由”が芽生(めば)えて来ていて、それに誘われて、こう、綴っていたのだった。このこと、後述、……。

 さて、心躍りの一端、……うーん、“一端”というのよりも端緒(たんしょ)は、“古ということ”にあったのであって、“どうしてかしら、=I don’t know why”ぼくは「古書」というものがすきなのだ。と、こうして、はっきりと云ってはみたのだけども、その、そう“古書がすきだ”という、“emotion=エモーション”の正体というのか心の芯は判らないまゝなのだ。“一計を案じて”……というのよりも、ある心景が脳裡にひかるようにして、通り掛って、これは「書肆吉成」の吉成さんに話し掛けるようにして綴ってみたい。札幌なのか神田なのかパリかニューヨークなのか判らないのだが、どこかの古書肆の狭い本棚に挟まるようにして、俯(うつむ)き様(ざま)の山口昌男がいて、紙の皺(しわ)を指先で撫(な)でる音(おと)だけがしている。みたこともないのに、はっきりと心に浮かんで来る、景色(けいしょく)がわたくしはすきなのだ。古書に、埋まるでもない、ただ読んでその鋭利な頭脳に刻み込むだけではない、このぼくの“古書というものがすきなのだ”という、少し襤褸(ぼろ)の何処かの馬の骨のような座敷童子(ざしきわらし)の小声をも聞きとって、そう古景色(コケイショク)の姿そのものになっているような山口昌男がすきなのだ。

 これで、そう「落(おと)し咄(ばなし)」の枕(まくら)にはなったのでしょうか。もう、この「落(おと)し咄(ばなし)」の枕(まくら)」にも、終始をしたい位なのだけれども、ご依頼の「自著を語る」、十月の中旬頃には、思潮社(ご担当髙木真史氏、装本中島浩氏)より上梓の予定の、……わたくしの最後の詩集、……流石にこう書くと、心が奥の方で、なにか“キー”と鳴る気がしていて、少しフデがとまるのだけれども、この“最後の、…”のことを、少しだけ語ることにする。たった今、無意識に繰り返した、この“少し”という小声の聞こえるところに、“古(フ)ル”ということの根(ネ)のようなものがあるのであって、思い掛けないことに、“古(フ)ル”で、論旨の筋道は、一息に途・切・ら・れ・ていた。(傍点のところ、これも、後述をいたします。)あるいは、こ・れ・も・、無意識の神木(き)の不意の言葉であったのかも知れなかった。途・切・ら・れ・た論旨が辿ろうとしていたのは、わたくしたちの古典の「古(ふ)る」、「古(いにし)え」には、微弱でもいい、未来への胎動のようなものがないのが、寂(さび)しいことだが、……であったのだが、おそらく、無意識の繰り返しと、次の光の糸がルビの“フ”と、“古(フ)ル”を、綴らせていたらしい。この“らし、…”が、直観といわれるものなのだ。

 新著—最後の詩集『Voix(ヴォワ)』(思潮社、二〇二一年十月刊)は、二〇一九年夏の第二回Reborn Art Festivalへのご招待を契機に、誕生をすることになりました。石巻市鮎川地区の「詩人の家」(島袋道浩、青葉市子、松田朕佳、志村春海さんら)のほかに、島周(しまめぐり)の宿(やど)さか井の遠藤社長のお志によって、金華山を眼前にする二〇六号室が創作とみなさまのお声と記憶の溜るあるいは沈むあるいは白い煙のようにして立つ場所、部屋、つまり結界となって来ていた。大津浪や災厄のもたらしました空気がさまざまに姿を変え形を変えて立ち現れて来る、ある種の、霊の部屋となって来ていたのだった。このことは、アートフェスティバルの会期が終了をしてからも、ほゞ毎月のようにして、三日か四日、そこに戻って行こうとする旅人(わたしくのことですが)の心の挙措(きょそ)、……なんでしょう、みえない運命に導かれるようにしてそこに戻って行こうとしているらしいこと、その“らし、…”によって確実に察知することが出来るものだ。「霊の部屋」とは、フランスの詩人Charles Baudelaire(1821-1867)の作品で、詩人の社会における孤獨を、ほゞ完璧に表現した傑作だったのだけれども、ここでは、このホテル「さか井」の二〇六号が、街角とも往来ともいえない、みなさんの吐息、溜息、言葉になりにくい、白い雲か煙が、棚引く、そうした「霊の部屋」となって行った。そこで絶えず、お客様をお迎えする人の心持ちの推移、変幻は察していたゞけることだろうと思います。たゞでさえ、孤獨がちで幻想的な「詩人の家」が、こうして、共同の、……“共同”という言葉を使いたくないと思いつつ、……そう、“まったくことなったそれぞれのともに、……”という言葉というのよりも、“口舌(くぜつ)”が、口を衝(つ)く。そうすると、夢見も、無意識も、白い煙の姿のようになって参ります。これはもう、この六月の最終校正に近いときでしたのですが、詩集『<Voix>』とともに、心血を注ぐようにしておりました新書(講談社、現代新書『詩とは何か』二〇二一年十一月刊予定)の「序」の何度かの手入れのときに、このときも、このホテルさか井の二〇六号室だったのですが、こんな言葉の湧き方あるいは言葉の小さな噴水に、書き手も、驚いてしまっていたのです。こうでした。

(以下、校正原稿より引用)

「詩」は、思いがけないところで、煙か白雲のように、不図、その姿のようなものをあらわすことがあります。ごく最近の経験を申し上げてみたいと思いますが、三年程をかけまして、石巻のホテルの一室に籠もって綴りました詩を、詩集(Voix<ヴォワ>)として、上梓をしようとして最終校正をいたしておりました。二〇二一年の六月のある日のことでしたが、どうもここは、イメージになっていないし、弱いな、消そうかしらという内心の囁きが聞こえてしまったのかも知れません。女川(おながわ)で大津波に逢われた方のお心が、ホテル(ニューさか井二〇六号室)の一室の通気口から入ってこられる一夜、……というところで、そうだ、思いのようなものが、白い煙か白雲のようにこの部屋に入ってきたというところで、詩人(作者)」の心にもまた、白い煙か白雲の一筋のような詩の姿形が入って来ていました、……この弱く、儚(はかな)い、白雲か煙のようなものこそが「詩」の姿形の一端であると気がついたことがありました。「純粋言語」とか「根源」とか、ひち面倒ないい方から漏れていってしまいますもの、漏れていってします、弱いもの儚いもののすぐ傍(そば)にこそ、詩の出入口があるようなのです。そしてこの「漏れる」ということからは、「音楽」にも「絵」にも、あるいは思考にもとどくような小径が、ふと、現れて来るのかも知れません。
……
先程、石巻のホテルの一室での最終校正について触れましたのですが、その折に、白い煙の一筋のような詩の姿形と申し上げましたが、それが気が付きますと「イ(i)の樹木(き)の君(きみ)が立って来ていた」という一行に変わって現れて来ていたのです。ああ、この一行の出現を待って、三年、十年、あるいはわたくしは生涯をすごして来ていたのだという、感慨がございましたことを、「詩」の現れの一例として、ご報告をしておきたいと思います。

(引用、ここまで)

 こうして、おそらく、白い雲か煙の筋か精のようなものの姿に添うようにして、詩集に喩が、未知の心の芯のようなものが登場をして来ていたのです。

 イ(i)の樹木(き)の君が立って来ていた

 「イ(i)」は、アイヌの方々のとても大切にされている髭箆(イクパスイ)からの信号か知らせのようなものであったのかも知れません。北の親友(とも)たち(中森敏夫氏、中川潤氏、木ノ内洋二氏)に感謝の心のこめて、ご報告をし、なければならない。ホッカイドーを“根(ね)の邦(くに)”と呼んだことがあった。知里真志保さんを先頭に、この未知未聞の深い魂の在りどころからの、この一行、

 イ(i)の樹木(き)の君が立って来ていた

 が、不意に、襲なり合う、白い雲か煙の下(シタ)や傍(ソバ)から、…何か「位置」や「空間」が判然とはしないのだが、そして、「声音(こわね)」といっても、あるいは英語の“gh”(無音=サイレント)の小脇の吐声のようなものであったのかも知れなかった。その背後に隠れている、小さな妖精のような“i”からの信号(“しるし”のようなもの)であったのかも知れなかった。判らないのです。ある程度までは、作者(詩人)にも説明は叶います。しかし、芯(シン)は朧(オボ)ろだ、…。

 もしかしたら、いま綴ったばかりの“芯(シン)は、朧(オボ)ろだ、…”は、いつも手にしている鉛筆や“ball-point pen=小鋼球ペン”の小声、あるいはさらに「絵筆」領域を拡げていうことが叶うならば、左手に支えるようにしている“video camera=ビデオの眼と耳”の呟いている声なのだといえるのかも知れない。わたくしたちの内部言語野は、確実にそこにもとどいているのであって、その“手の触手”の囁きをも聞いているのかも知れないのであって、たとえばこれは燃(も)え滾(たぎ)るようなヴァン・ゴッホについて書かれた論文に引かれていたのだが、“線からじかに読み取れるような生の方向にむかってすすんで”といいながら、Jean-Clet Martin=ジャン=クレ・マルタンはヘーゲルの次の言葉を引用していた。これは「書」に親しんでいる東洋の人の心にとどくような考えの刹那なのではなかったのだろうか。ヘーゲル曰く「いわば全精神が手の中に移行するといった奇跡」と。(『物のまなざし』大村書店、二〇〇一年刊、一一四頁)このことを、若き日の吉本隆明氏にもみて、一心に綴ったのが『根源乃手』(響文社、二〇一六年刊)と『怪物君』(みすず書房、二〇一六年刊)であったといえるのだ。そしていま、こんなこれも奇跡のようなときの到来に接して考えていると、“芯(シン)は、朧(オボ)ろだ、…”の何処から聞こえて来るのかは判然としない、この囁き声は、思い切って、これは“万物が触れること=touch or touching”あるいは“万物が触れるとき=the time of touching”といってみたいという心のうごくところ、働くところにまで、小文はたどり着いたものらしい。そしてこの“芯=core”は、W・B・イェイツの“心の芯=heart core”の掠れたような小声からとどいているものでもあったのだ。

 「技術」「作法」「様式」それらの古きことから、あたうるかぎり、遠く離れたところに「創る」場所を、創ること、それをこの”芯(シン)は、朧(オボ)ろだ、…”が伝えて来ている、そうして、これは、そう、…“誕生しつつ、誕生していること=be borning and already arrived”なのかも知れないのであって、ここまで、こうして綴ってみると、もう、“途上にあるもの=the things on the road”“未完成=unfinished”ということも出来ないのだ。

 小文の冒頭に“後述します”と申しました“emotion=エモーション)について。このことは、吉成秀夫氏、コトニ社の後藤亨真氏によるU-Tube配信の最近作で気がつかれた方もいらっしゃることでしょうが、わたくしは所謂コンピュータ難民なのですが、あらためて、あるいは初めて“/”=“slash=スラッシュ”を、激しく、ほとんど無意識が怒りこめて発語をしていたのでしょうか、その“slash=スラッシュ)”=“さっと切る”力の深さの顕現に驚き、そして、次の刹那、五十年もの昔、若年のわたくしは“.ᐟ”=“exclamation=絶叫をする”を、連発をして、識者の顰蹙(ひんしゅく)を買っておりましたことに、その刹那のようなところに、戻って来ていたのです。




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「敗れし者の静かなる闘い」について

「敗れし者の静かなる闘い」について

茅原健

 我が家の家系を辿ると、曽祖父から流れている旧幕臣という素性意識がわだかまっている。これは、時代錯誤といわれるかも知れない。しかし、戊辰戦争に敗れて虱だらけになって帰還した曽祖父の無念を継いだ祖父は、旧幕臣の系譜にこだわり、薩長の栗は喰まないという気概を秘めて東北に流れて、その地方新聞に筆を執り、「東北に平民政治を」という論調を掲げた。
 
 その末裔に連なる者としてやはり曽祖父、祖父の衣鉢を継がねばならない。それに、時代は変転し、その有り様は違うが、昭和ヒトケタ生まれの者が経験した日本の敗戦は、まさに敗者であった。いくさが終った訳ではない。いくさに敗けたのであるあとがきに添えた拙句の「疎開地や米食へぬ日々敗戦忌」は、疎開地での東京者の生活は惨憺たるものであったことを伝えるとともに、その敗者の心理を戊辰戦争で敗者となった旧幕臣の心情に重ねて詠んだつもりである。
 その戊辰敗者が、覇権奪還という大掛かりな企みではなく、敗者の精神的復活を期するために官学教育ではない、私塾教育による人間像を形成するという永劫不変なテーマに取り組んだ。本書は、そこに着目したのである。
 静岡学問所や沼津兵学校は旧幕臣の学び舎として典型的な例だが、戊辰敗者の大鳥圭介、榎本武揚など「逆賊」が私塾に掛けた思いは強いものがあった。

 とくに「この輩を養成する経費なし」と体よく文部省の役人に断られて官許が得られず、私立学校として設立された商法講習所(現・一橋大学)や工手学校(現・工学院大学)の設立については、渋沢栄一の惜しみない援助があった。 
 また、福沢諭吉の慶應義塾、中村正直の同人社、津田仙の学農社農学校、尺振八の共立学舎などは、旧幕臣の意気地が通底した私塾である。これら旧幕臣の学び舎は、旧幕臣のネットワークを形成して、その紐帯を強固なものとし、掲げる教育方針は、自主独立を基本としたのである。その顕著な例が、新島襄の同志社などのキリスト教による自由、博愛の教育である。ここにも本書の眼目を置いた。
B6判、二五八頁  定価二二〇〇円(送料一八〇円)日本古書通信社発売
ISBN978-4-88914-068-2

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『ブックセラーズ・ダイアリー―スコットランド最大の古書店の一年』

『ブックセラーズ・ダイアリー―スコットランド最大の古書店の一年』

矢倉尚子

 翻訳は――人によって違うのだろうが少なくとも私の場合は――どこかの時点で憑依というか、原著者に乗り移ってもらって語り出すことができなければ、満足な仕事にはならない。そこで著者のことばに重なりそうな材料を探し求めて、まず最初に古本を買いまくる。どの資料がいつ必要になるかわからないので、図書館は役に立たない。あちこち歩きまわっている時間はないから、とりあえずはネットで買う。慣れてくると鼻が利いて、これは使えそう、というのがかなりの勝率で当たるようになる。

 だから私の周囲に積み上げられた本は、本来の趣味嗜好とはあまり関係がない。4年ほど前に訳した小説に実験用のチンパンジーが登場したときは、机のまわりに霊長類研究の本が散乱し、どちらを向いても表紙のチンパンジーと目が合った。その前はイランの現代史や古典が並んだ。今回はいみじくも古書店主の日記を訳すことになったため、手始めに日本の古本屋さんが書いた古本を買い漁った。
 『ブックセラーズ・ダイアリー―スコットランド最大の古書店の一年』は、素人が書いたやや癖のある文章なので、当初はなかなか勝手が掴めず、著者が語り出してくれなくて苦労した。ショーン・バイセル氏がようやく饒舌になったのは、日本の古書店主さんたちの声が重なってくれたおかげだと思う。

 バイセルの店、その名も「ザ・ブックショップ」は、スコットランド南部の海岸に面したウィグタウンという美しい小さな町にある。ここは1999年に厳正な審査を経て選ばれた、スコットランド政府指定の「ブックタウン(古書の町)」である。人口1000人足らずの町に古本屋が少なくとも16軒、他に書籍や美術関係のさまざまなビジネスがあるそうだ。
 生まれ故郷がブックタウンに指定されてから2年後、帰省中に町の古本屋にふらりと入ったバイセルは、やりたい仕事が見つからない、人に使われるのは性に合わないんだとこぼしているうちに、年配の店主から、それならローンを組んでこの店を買い取らないかと言われて即決してしまう。その日から、彼のサバイバルゲームが始まった。

 日記はいかにもインテリ英国人らしいひねくれたユーモアで、客やアマゾンとの駆け引きが面白おかしく書かれているのだが、このバイセル氏、本の町ウィグタウンの発展を支えてきた中心人物でもあるらしい。ちょうどこの原稿がウェブに載るころにはウィグタウン・ブックフェスティバルが開催されているはずだ。これをヨーロッパでも指折りの魅力的なイベントに育て上げたのも、彼の力が大きいという。

 今回私が訳した日記にはほとんど触れられていないけれども、さまざまなブックタウン構想の中でも大成功を収めているユニークな企画が、Airbnbの「オープンブック」である。キッチン付きの洒落たワンベッドルームのアパートに最短1週間から最長2週間まで、2人で1泊約1万円で滞在できるのだが、じつはこの部屋には1階に自由に使える本屋がついている。つまり1~2週間の古書店主体験ができるわけだ。条件は、週に35時間以上店を開けること。もともと寄贈された本がたくさん置いてあるが、もちろん自分で持ち込んだ本を売ることもできる。作家やアーティストが自分の作品を売ることも多いという。ただし報酬はなく、利益は運営団体への寄付となり、維持費に使われる。

 タイムズ紙などの記事によると、ヨーロッパやアメリカ、カナダなどで大型書店を経営している人が昔の小さな店を懐かしんでやってきたり、逆に新しく書店の開業を考えている人が、体験学習の場として訪れることもあるらしい。もちろん、一生に一度でいいから本屋をやってみたかったという人も多い。地元の人たちはみな親切で好奇心旺盛で、つぎつぎに店を覗きにきたり食事に誘ってくれたりするようだ。あちこちのメディアに取り上げられたおかげで、ヨーロッパ全土どころか南北アメリカ、アジアからも、本屋になりたい滞在希望者が殺到して、現在は3年先まで予約が埋まってしまい、ウェイティングリストに登録するようになっている。

 じつはAirbnbのサイトでオープンブックを検索してみたとき、最初に現れた口コミ(もちろん体験者の)が日本人女性だったのには驚かされた。韓国や中国からは、ビジネスモデルを教えてほしいという問い合わせが相次いでいるそうだ。このアイデアを日本でも試みれば、町おこしの絶好の目玉アイテムになるのではないだろうか。体験してみようと思う方は、今すぐにもウェイティングリストに登録することをお勧めする。
 『ブックセラーズ・ダイアリー』は欧米で出版早々ベストセラーになり、すでに続編も出ている。それを読むとショーン・バイセルはオープンブックの滞在客をたびたび自宅に誘っている。面白い企画を持ち込めば、いつの日か彼の日記の続々続編あたりに登場できるかもしれない。

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『ブックセラーズ・ダイアリー』 ショーン・バイセル 著 矢倉尚子 訳 
白水社 定価3,300円(本体3,000円+税)好評発売中!
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第33回 退屈男さん ちょっとずつ「本の世界」に関わるひと

第33回 退屈男さん ちょっとずつ「本の世界」に関わるひと

南陀楼綾繁

 この連載は、古本や古本屋と自分なりに付き合ってきた人に話を聞くことを目的としている。インタビューの場では、その人の話を引き出すために、私自身の体験を話すこともあるが、文章にまとめる際には極力カットしている。
 しかし、以前からの知り合いだとそれがやりにくい。つい、自分の思い出を通して、その人を描いてしまう。相手と私を切り離して書きにくいのだ。だから、数人の例外を除き、旧知の人はなるべく外している。
 最終回に退屈男さんに出てもらったのは、最後にプライベートな友人の話を聞いてみたかったからだ。その話の中には当然、私も出てくる。友人と云っても、一回り以上年下で、ふだんは「退屈くん」と呼んでいるので、ここでもそう書かせてもらう。

 2004年6月にはじまったブログ「退屈男と本と街」は、新刊書店や古本屋をめぐって買った本の話を書くという点では、ほかの本好きによるブログと変わらない。しかし、取り上げる本の雑多さと、それにまつわる情報の豊富さでは突出していた。
 一冊の本から、出版社のサイトに飛んで裏話を見つけ、書店でやっているフェアに触れ、その本に言及している個人のブログを紹介する。ひとつの記事は短いが、貼ってあるリンクをたどると、読むテキストは2倍にも3倍にもなる。
 圧巻だったのは、2005年4月にはじめて開催された「不忍ブックストリートの一箱古本市」の2日後にアップされた「一箱古本市まとめリンク集」だった。主催者、店主さん、お客さんのブログの記事が70本近く取り上げられている。これによって、一箱古本市に対するネットの反応が目の前にドンと投げ出されたような気がした。

 この第1回一箱古本市で、退屈くんは自転車で走る私を目撃しているが、会話は交わさなかったように思う。はじめて話をしたのは、この年9月、私が谷中で開催した「一部屋古本市に、退屈くんが参加したことだった。「こんなに若いのか!」とびっくりしたことを覚えている。日は違ったが、このイベントには当時は「書物奉行」と名乗っていた書物蔵さんも参加している。
 その後、退屈くんは毎回、「一箱古本市まとめリンク集」をアップしてくれた。また、「わめぞ」(早稲田・目白・雑司ヶ谷で本のイベントを開催するグループ)にも加わり、さまざまなイベントを手伝う。本周りの楽しいことには、いつも顔を出している青年というイメージがある。
 前置きが長くなったが、彼が「退屈男」になる過程をたどってみよう。

 1982年、新潟県小千谷市に生まれる。当時は祖父母、父母、2つ下の妹の6人家族。父は市役所に勤めていたので、家の本棚には行政の実務書ばかり。文学全集は屋根裏に眠っていた。
「絵本で覚えているのは、いわむらかずおの『14ひきの』シリーズや、『あしにょきにょき』(深見春夫)など。もう少し大きくなると、車や建物、昆虫などの図鑑を読みました。図解されているものが好きだったんです」
 両親は本をよく買ってくれた。小学生になると、学習マンガのシリーズを買ってもらった。市内に書店がいくつかあった。自宅の斜め向かいに〈ブックス平沢〉という県内のチェーン店が本、ビデオ、CDの複合店を出店すると、しょっちゅう通う。
「父が仕事に関する雑誌、母は『暮しの手帖』や『主婦と生活』、僕は少年マンガ誌や小学館の学年雑誌を購読していました。父がプロ野球好きだったのに影響されて、『週刊ベースボール』と『ファミコン通信』も購読しました。投稿が初めて掲載されたのも『ファミ通』です」
 ナイター中継からラジオ好きになり、小学校低学年から深夜ラジオを聴くようになる。ラジオとの付き合いは、その後ずっと続く。

 小学生では宗田理の「ぼくら」シリーズやスニーカー文庫などのライトノベル、中学生になると夏目漱石や太宰治、藤沢周平や山田風太郎などの時代小説も読んだ。しかし、小説よりはノンフィクションの方が好きで、中公新書や講談社現代新書の歴史ものを読んだり、山際淳司や近藤唯之のスポーツもの、現代教養文庫で佐高信が監修して復刊したノンフィクションの名作を読む。
「一方で、新潮文庫で泉麻人のエッセイを読み、そこから小林信彦、橋本治、大瀧詠一などのサブカル系に入っていきました。中野翠、山本夏彦、えのきどいちろうなど、コラムニストと呼ばれる人が好きだった。ブックス平沢にはちくま文庫の棚があり、そこで荒俣宏や赤瀬川原平、虫明亜呂無などを買って読みました」
 文庫について、退屈くんは「当時は単行本から文庫化するまで、いまよりも時間がかかっていましたよね。だから、ちょっと古い本という感覚がありました」という。たしかに、この数年間のタイムラグが不思議だったり面白かったりしたのだ。先走って云えば、古本についても退屈くんは「ちょっと古い本」を好んで買っている。
「ブックス平沢には毎日通い、『広告批評』『ダカーポ』『ナンバー』『別冊宝島』などを立ち読みしました。買っていたのは、『レコードコレクターズ』やゲーム雑誌、『モノマガジン』など。新発売の商品のスケジュールをマーカーでチェックしたりしていました(笑)。データを見ること自体が好きだったんです」

 2000年、法政大学二部(夜間)に入学する。父が公務員であることや、高校のとき岩波文庫で『石橋湛山評論集』を読んだことから、政治学科を選ぶ。昼間はゴルフ練習場やコンビニでアルバイトして、夕方から授業に出た。
 実家にいた頃、リサイクル系の古本屋で文庫を買ったことがあるが、神保町の古本屋に行ったのは、受験で上京したときが最初だった。大学に入ってからはときどき神保町に行ったが、店頭の均一台を覗くだけで、中に入ることはなかった。
 小竹向原に住んでいたので、西武池袋線沿線の古本屋によく行った。江古田では〈落穂舎〉〈根元書房〉、ブックオフなど。東武東上線の大山には〈ぶっくめいと〉があり、狭かったがちょっと珍しい文庫が買えた。
「ラジオを聴きながら散歩して、古本屋に寄り、公園で本を読むという生活でした。片岡義男や坪内祐三など読むものの範囲が広がりました」
 やりたい仕事もなく、就職活動もしないまま留年し、5年で卒業したのは2005年3月だった。

 在学中、先に書いたようにブログ「退屈男と本と街」を開始した。
「この頃、なにかの記事でブログというものがあることを知って、自分でもやってみることにしました。もともと日記を読むのが好きで、植草甚一のエッセイにどの本屋で何の本を買ったか書いてあるのが楽しかった。大瀧詠一の『ロックンロール退屈男』から『退屈男』をいただき、書評よりも本をめぐる動きの方が面白いと思って『本と街』と付けました」
 そうして生まれた「退屈男と本と街」は、最初は自分の買った本や読んだ本についての日記だが、次第に、本好きのブログやサイトを紹介することに主力が置かれるようになる。
「あまり知られていないけど、面白いと思うブログを紹介したかったんです。それで自分の行動の記録とリンクを一緒に載せました。あるブログと別のブログを紹介することで、こういう動きが起きていると伝えるようにしました」
 ブログを通じて、古本好きとやりとりをするようになり、イベントで顔を合わせたりした。早稲田〈古書現世〉の向井透史さんら古本屋と知り合いになり、古書会館での即売会にも行くようになった。
「第1回の一箱古本市には、先日亡くなった作家の小沢信男さんが出店されていて、ご本人から『あほうどりの唄』を買ったのが思い出深いです。小沢さんや小関智弘さんが描く東京が好きなんです」

 卒業後の退屈くんは、神保町の〈三省堂書店〉でアルバイトをする。知らない本が見られるのが面白く、古本屋に近いのもよかった。その頃、若き日の母親が、神保町のすぐ隣の神田三崎町にあった製本工場で10年間働いていたことを知った。「(近くにあった喫茶店の)〈エリカ〉はまだあるの?」などと聞かれ、驚いた。近代映画社の『スクリーン』などを製本する会社だったという。
その後、複数の出版社や図書館、古本屋で働いてきた。しばらく会わないと、もう別のところにいるという印象だ。これだけ本に詳しいのだから、どこかに落ち着いたらいい仕事をするはずなのにと、私は勝手に心配していたが、本人は「本のいろんな面に関わることができて面白い。僕にはこういうのが合っているみたいです。わめぞのイベントでもそうですが、雑用とか補佐が好きなんです」と話す。
 現在はある出版社で営業の仕事をしながら、二つの古本屋でアルバイトをしている。ほとんど休みもないようだが、いろいろなところにちょっとずつ関わるというスタイルが彼には向いているのかもしれない。
 ブログは2008年頃から更新が減り、その後はツイッターに移行する。「もともと僕には文章を書きたい気持ちはあんまりないんです」。ブログをはじめたことで、好きだった書き手に会うことができた。
「亡くなったノンフィクション作家の黒岩比佐子さんとも、ブログを通じて知り合いになれました。自然に知り合いが増えていくのがよかったです」

 本好きではあるけれど、モノとしての本にはそれほど興味がなく、電子書籍で読むことも多い。以前は部屋が本だらけだったが、引っ越しをするたびに処分して、いまは本棚に収まるだけしかない。
「古本屋の仕事で宅買い(出張買取り)していると、人のコレクションに触れるのが面白くなって、自分の本へのこだわりが薄くなっていきました」
 最近買った古本を見せてもらうと、『僕等の生活絵物語』という冊子を見せてくれた。スケッチブックに手書きされたもので、戦前の寮生活を描いている。バイトしている古本屋で買ったものだという。
 もうひとつは、文藝春秋のPR誌『本の話』。90年代のものを30冊ぐらいまとめて買った。「この時代の特集がいいんですよね。PR誌は前から好きで、本屋でもらって風呂で読んでいました」
 自分の読書は「雑食性」だと云うとおり、そのときの興味がおもむくままに、古本屋で見つけた本を買ってきた。何かにとらわれることがなく、とても自由だ。
「今後は、地方の本屋に行ってみたいですね。あと、ずっとラジオが好きなので、ラジオと本に関することに、なにか関われたらと思います」

 この文章を書くために、久しぶりに「退屈男と本と街」を開いてみたら、まだ本人と会う前の2005月1月に「二〇〇四年の五冊」という記事が見つかった。私の最初の単行本『ナンダロウアヤシゲな日々 本の海で溺れて』(無明舎出版)について書いている部分を、気恥ずかしいが引用する。
「『本の海で溺れて』とあるが、ただひとり溺れるだけでない。南陀楼さんはその海の泳ぎ方がじつによいのだ。そして、おなじように本の海を泳いでいるひとたちを見つけ、接し、また外にそれを伝えていく。そのことによって、読者は、本の海のまだ知らぬ領域まで泳ぎすすむことができる。
 ぼくのすきな『ふらふら』感を、けっこう感じられるところもいい」
 この一文を読んで、退屈くんの雑食性とちょっとずつ関わるスタイルは、自分にも共通していると気づいた。だから、たまにしか会わなくても、彼のことがなんだか気にかかるのだ。
 退屈男くんは、古本を通じて出会った大切な友人である。これからも。

 

 

南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。

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※ご好評いただきました『シリーズ古本マニア採集帖』は、今回を持ちまして終了します。連載のご愛読ありがとうございました。
なお、11月に皓星社から刊行予定です。ご期待ください。

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