この連載は、古本や古本屋と自分なりに付き合ってきた人に話を聞くことを目的としている。インタビューの場では、その人の話を引き出すために、私自身の体験を話すこともあるが、文章にまとめる際には極力カットしている。
しかし、以前からの知り合いだとそれがやりにくい。つい、自分の思い出を通して、その人を描いてしまう。相手と私を切り離して書きにくいのだ。だから、数人の例外を除き、旧知の人はなるべく外している。
最終回に退屈男さんに出てもらったのは、最後にプライベートな友人の話を聞いてみたかったからだ。その話の中には当然、私も出てくる。友人と云っても、一回り以上年下で、ふだんは「退屈くん」と呼んでいるので、ここでもそう書かせてもらう。
2004年6月にはじまったブログ「退屈男と本と街」は、新刊書店や古本屋をめぐって買った本の話を書くという点では、ほかの本好きによるブログと変わらない。しかし、取り上げる本の雑多さと、それにまつわる情報の豊富さでは突出していた。
一冊の本から、出版社のサイトに飛んで裏話を見つけ、書店でやっているフェアに触れ、その本に言及している個人のブログを紹介する。ひとつの記事は短いが、貼ってあるリンクをたどると、読むテキストは2倍にも3倍にもなる。
圧巻だったのは、2005年4月にはじめて開催された「不忍ブックストリートの一箱古本市」の2日後にアップされた「一箱古本市まとめリンク集」だった。主催者、店主さん、お客さんのブログの記事が70本近く取り上げられている。これによって、一箱古本市に対するネットの反応が目の前にドンと投げ出されたような気がした。
この第1回一箱古本市で、退屈くんは自転車で走る私を目撃しているが、会話は交わさなかったように思う。はじめて話をしたのは、この年9月、私が谷中で開催した「一部屋古本市に、退屈くんが参加したことだった。「こんなに若いのか!」とびっくりしたことを覚えている。日は違ったが、このイベントには当時は「書物奉行」と名乗っていた書物蔵さんも参加している。
その後、退屈くんは毎回、「一箱古本市まとめリンク集」をアップしてくれた。また、「わめぞ」(早稲田・目白・雑司ヶ谷で本のイベントを開催するグループ)にも加わり、さまざまなイベントを手伝う。本周りの楽しいことには、いつも顔を出している青年というイメージがある。
前置きが長くなったが、彼が「退屈男」になる過程をたどってみよう。
1982年、新潟県小千谷市に生まれる。当時は祖父母、父母、2つ下の妹の6人家族。父は市役所に勤めていたので、家の本棚には行政の実務書ばかり。文学全集は屋根裏に眠っていた。
「絵本で覚えているのは、いわむらかずおの『14ひきの』シリーズや、『あしにょきにょき』(深見春夫)など。もう少し大きくなると、車や建物、昆虫などの図鑑を読みました。図解されているものが好きだったんです」
両親は本をよく買ってくれた。小学生になると、学習マンガのシリーズを買ってもらった。市内に書店がいくつかあった。自宅の斜め向かいに〈ブックス平沢〉という県内のチェーン店が本、ビデオ、CDの複合店を出店すると、しょっちゅう通う。
「父が仕事に関する雑誌、母は『暮しの手帖』や『主婦と生活』、僕は少年マンガ誌や小学館の学年雑誌を購読していました。父がプロ野球好きだったのに影響されて、『週刊ベースボール』と『ファミコン通信』も購読しました。投稿が初めて掲載されたのも『ファミ通』です」
ナイター中継からラジオ好きになり、小学校低学年から深夜ラジオを聴くようになる。ラジオとの付き合いは、その後ずっと続く。
小学生では宗田理の「ぼくら」シリーズやスニーカー文庫などのライトノベル、中学生になると夏目漱石や太宰治、藤沢周平や山田風太郎などの時代小説も読んだ。しかし、小説よりはノンフィクションの方が好きで、中公新書や講談社現代新書の歴史ものを読んだり、山際淳司や近藤唯之のスポーツもの、現代教養文庫で佐高信が監修して復刊したノンフィクションの名作を読む。
「一方で、新潮文庫で泉麻人のエッセイを読み、そこから小林信彦、橋本治、大瀧詠一などのサブカル系に入っていきました。中野翠、山本夏彦、えのきどいちろうなど、コラムニストと呼ばれる人が好きだった。ブックス平沢にはちくま文庫の棚があり、そこで荒俣宏や赤瀬川原平、虫明亜呂無などを買って読みました」
文庫について、退屈くんは「当時は単行本から文庫化するまで、いまよりも時間がかかっていましたよね。だから、ちょっと古い本という感覚がありました」という。たしかに、この数年間のタイムラグが不思議だったり面白かったりしたのだ。先走って云えば、古本についても退屈くんは「ちょっと古い本」を好んで買っている。
「ブックス平沢には毎日通い、『広告批評』『ダカーポ』『ナンバー』『別冊宝島』などを立ち読みしました。買っていたのは、『レコードコレクターズ』やゲーム雑誌、『モノマガジン』など。新発売の商品のスケジュールをマーカーでチェックしたりしていました(笑)。データを見ること自体が好きだったんです」
2000年、法政大学二部(夜間)に入学する。父が公務員であることや、高校のとき岩波文庫で『石橋湛山評論集』を読んだことから、政治学科を選ぶ。昼間はゴルフ練習場やコンビニでアルバイトして、夕方から授業に出た。
実家にいた頃、リサイクル系の古本屋で文庫を買ったことがあるが、神保町の古本屋に行ったのは、受験で上京したときが最初だった。大学に入ってからはときどき神保町に行ったが、店頭の均一台を覗くだけで、中に入ることはなかった。
小竹向原に住んでいたので、西武池袋線沿線の古本屋によく行った。江古田では〈落穂舎〉〈根元書房〉、ブックオフなど。東武東上線の大山には〈ぶっくめいと〉があり、狭かったがちょっと珍しい文庫が買えた。
「ラジオを聴きながら散歩して、古本屋に寄り、公園で本を読むという生活でした。片岡義男や坪内祐三など読むものの範囲が広がりました」
やりたい仕事もなく、就職活動もしないまま留年し、5年で卒業したのは2005年3月だった。
在学中、先に書いたようにブログ「退屈男と本と街」を開始した。
「この頃、なにかの記事でブログというものがあることを知って、自分でもやってみることにしました。もともと日記を読むのが好きで、植草甚一のエッセイにどの本屋で何の本を買ったか書いてあるのが楽しかった。大瀧詠一の『ロックンロール退屈男』から『退屈男』をいただき、書評よりも本をめぐる動きの方が面白いと思って『本と街』と付けました」
そうして生まれた「退屈男と本と街」は、最初は自分の買った本や読んだ本についての日記だが、次第に、本好きのブログやサイトを紹介することに主力が置かれるようになる。
「あまり知られていないけど、面白いと思うブログを紹介したかったんです。それで自分の行動の記録とリンクを一緒に載せました。あるブログと別のブログを紹介することで、こういう動きが起きていると伝えるようにしました」
ブログを通じて、古本好きとやりとりをするようになり、イベントで顔を合わせたりした。早稲田〈古書現世〉の向井透史さんら古本屋と知り合いになり、古書会館での即売会にも行くようになった。
「第1回の一箱古本市には、先日亡くなった作家の小沢信男さんが出店されていて、ご本人から『あほうどりの唄』を買ったのが思い出深いです。小沢さんや小関智弘さんが描く東京が好きなんです」
卒業後の退屈くんは、神保町の〈三省堂書店〉でアルバイトをする。知らない本が見られるのが面白く、古本屋に近いのもよかった。その頃、若き日の母親が、神保町のすぐ隣の神田三崎町にあった製本工場で10年間働いていたことを知った。「(近くにあった喫茶店の)〈エリカ〉はまだあるの?」などと聞かれ、驚いた。近代映画社の『スクリーン』などを製本する会社だったという。
その後、複数の出版社や図書館、古本屋で働いてきた。しばらく会わないと、もう別のところにいるという印象だ。これだけ本に詳しいのだから、どこかに落ち着いたらいい仕事をするはずなのにと、私は勝手に心配していたが、本人は「本のいろんな面に関わることができて面白い。僕にはこういうのが合っているみたいです。わめぞのイベントでもそうですが、雑用とか補佐が好きなんです」と話す。
現在はある出版社で営業の仕事をしながら、二つの古本屋でアルバイトをしている。ほとんど休みもないようだが、いろいろなところにちょっとずつ関わるというスタイルが彼には向いているのかもしれない。
ブログは2008年頃から更新が減り、その後はツイッターに移行する。「もともと僕には文章を書きたい気持ちはあんまりないんです」。ブログをはじめたことで、好きだった書き手に会うことができた。
「亡くなったノンフィクション作家の黒岩比佐子さんとも、ブログを通じて知り合いになれました。自然に知り合いが増えていくのがよかったです」
本好きではあるけれど、モノとしての本にはそれほど興味がなく、電子書籍で読むことも多い。以前は部屋が本だらけだったが、引っ越しをするたびに処分して、いまは本棚に収まるだけしかない。
「古本屋の仕事で宅買い(出張買取り)していると、人のコレクションに触れるのが面白くなって、自分の本へのこだわりが薄くなっていきました」
最近買った古本を見せてもらうと、『僕等の生活絵物語』という冊子を見せてくれた。スケッチブックに手書きされたもので、戦前の寮生活を描いている。バイトしている古本屋で買ったものだという。
もうひとつは、文藝春秋のPR誌『本の話』。90年代のものを30冊ぐらいまとめて買った。「この時代の特集がいいんですよね。PR誌は前から好きで、本屋でもらって風呂で読んでいました」
自分の読書は「雑食性」だと云うとおり、そのときの興味がおもむくままに、古本屋で見つけた本を買ってきた。何かにとらわれることがなく、とても自由だ。
「今後は、地方の本屋に行ってみたいですね。あと、ずっとラジオが好きなので、ラジオと本に関することに、なにか関われたらと思います」
この文章を書くために、久しぶりに「退屈男と本と街」を開いてみたら、まだ本人と会う前の2005月1月に「二〇〇四年の五冊」という記事が見つかった。私の最初の単行本『ナンダロウアヤシゲな日々 本の海で溺れて』(無明舎出版)について書いている部分を、気恥ずかしいが引用する。
「『本の海で溺れて』とあるが、ただひとり溺れるだけでない。南陀楼さんはその海の泳ぎ方がじつによいのだ。そして、おなじように本の海を泳いでいるひとたちを見つけ、接し、また外にそれを伝えていく。そのことによって、読者は、本の海のまだ知らぬ領域まで泳ぎすすむことができる。
ぼくのすきな『ふらふら』感を、けっこう感じられるところもいい」
この一文を読んで、退屈くんの雑食性とちょっとずつ関わるスタイルは、自分にも共通していると気づいた。だから、たまにしか会わなくても、彼のことがなんだか気にかかるのだ。
退屈男くんは、古本を通じて出会った大切な友人である。これからも。
南陀楼綾繁
1967年、島根県出雲市生まれ。ライター・編集者。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院修士課程修了。出版、古本、ミニコミ、図書館など、本に関することならなんでも追いかける。2005年から谷中・根津・千駄木で活動している「不忍ブックストリート」の代表。各地で開催される多くのブックイベントにも関わる。
「一箱本送り隊」呼びかけ人として、石巻市で本のコミュニティ・スペース「石巻まちの本棚」の運営にも携わる。本と町と人をつなぐ雑誌『ヒトハコ』(書肆ヒトハコ)編集発行人。著書に『ナンダロウアヤシゲな日々』(無明舎出版)、『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)、『町を歩いて本のなかへ』(原書房)、『編む人』(ビレッジプレス)、『本好き女子のお悩み相談室』(ちくま文庫)、共著『本のリストの本』(創元社)などがある。
ツイッター
https://twitter.com/kawasusu

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※ご好評いただきました『シリーズ古本マニア採集帖』は、今回を持ちまして終了します。連載のご愛読ありがとうございました。
なお、11月に皓星社から刊行予定です。ご期待ください。
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