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日本人オリンピック参加110年 - スポーツ、国際大会
特集358 日本人オリンピック参加110年 - スポーツ、国際大会(2022年7月21日〜2022年8月4日 ホーム掲載)
1912(明治45)年7月14日、金栗四三らがストックホルム五輪にオリンピック日本代表として初参加。マラソンの金栗は、途中の26.7km地点で日射病で意識を失い、現地の農家で介抱され、翌日目を覚ます。レースは諦めそのまま帰国。当日は最高気温約40度という暑さで、参加者の約半分が途中棄権、ポルトガルのフランシスコ・ラザロはレース中に倒れ翌日死亡。過酷なレースであった。後の1967昭和42)年、大会開催55周年を記念する式典に招待される。実は棄権の意思が委員会に伝わっていなかったため、走り続けているとされて、記念式典でゴールさせることにしたのである。金栗は競技場を走ってゴールテープを切った。タイムは54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3で「これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた。75歳を迎えていた金栗は、ゴール後「長い道のりでした、その間に嫁をめとり、子ども6人と孫10人ができました。」と振り返った。「マラソン完走最長タイム」としてギネス世界記録にも登録されている。
書籍一覧
サンデー毎日 第2年 第22号 大正12年5月20日
やきゅうじょうにいこう かがくのとも 通巻448号 (2006年7月号)
(おかべりか)
アサヒグラフ 第十一巻第八號 昭和三年八月廿二日 特集:オリムピツク画報
札幌オリンピック 1972年2月開催
(編 : 札幌市)