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素面 第51号 昭和49年 表画喜多村知 執筆者 服部嘉香 村松正俊 石塚友二 野尻抱影 植田敏郎 八田元夫 南江治郎 近藤真柄 山中八千代 高木護 内野三悳 緒方昇 関根弘 帆田春樹 一瀬直行 関口銀杏子 添田知道出版社 素面の会
遍路の家 創刊号 真言宗豊山派伝道協会 昭和26年初版 全92ページ鈴木信太朗表紙 執筆者 北川邦夫 大田黒元雄 水沢澄夫 秦豊吉 栗島義礼 徳川夢声 山野愛子 吉田保 草間陽子 杉村春子 川口松太郎 サトーハチロー 古今亭しん生 金親堅太郎 秩父重剛 尾崎宏次 中村八郎
戦前 大島御案内 大島地図 伊豆大島附近航海図 地勢 産物 風俗 名所旧跡 大島節 東京府伊豆大島元村 旅館三原館 サイズ 39x36cm
戦前 神田小川町 美津濃の栞17点 スポーツ用品 厚手の栞 宣材 野球用品売出し アメリカンバット宣伝週間 フットボール デッドボール売出し 海と山の展覧会 ウィンタースポーツ展覧会 山の用品売出し カレッヂシューズ売出し 通学靴売出し テニス用品売出し 全運動写真展覧会 陸上競技服装売出し 15cm-8cm前後
月よりの使者 上原謙、花柳小菊スチール キャビネサイズ2枚 15.5cm-11cm 1949年監督加戸敏の第二回作品。上原謙、花柳小菊「三十三の足跡」につぐ喜多川千鶴「天狗飛脚」につぐ相馬千恵子らが主演。1949年製作/86分/日本配給:大映劇場公開日:1949年2月1日あらすじ高原の療養所である。患者戸塚、弘田、橋田などは「月よりの使者」とあだ名されるほど美しく気高い看護婦道子の献身的な看護の中に、静かに闘病生活を送っていた。近く退院して行く弘田が、ひそかに道子を愛していることを知った戸塚は、二人の為に一計を案じて白樺の林の中に、二人だけの時間を持たせた。弘田と道子は将来を固く誓ったが、そのころ弘田の病室に意外な待ち人が来ていた。それはかつて彼の許婚者であった弓子であった。封建的な親たちの一存から、一時許婚を解消したもののひたむきに弘田の愛を求めて五年間も待ち続けたという弓子の真情も知らず、弘田は弓子の来訪を迷惑気にけって、道子に対し「今夜十二時二十分駅まで来てくれ」と約束して病院を出た。迫る汽車の時間……そのころ、病院では橋田が死期を覚って多量の睡眠剤を飲んで、道子に手を取られながら死んで行った。かけつけた道子の眼の前に弘田の汽車は去って行った。そしてそれから幾とせ……生活の過労から病床に伏した道子は、保養を兼ねて湘南の別荘の派出看護婦として出張した。行った先の病人は今弘田と結婚している弓子であった。弓子は道子を知らなかった。道子に会った弘田は、当時の彼女の真情を初めて知り、長い心のわだかまりは一挙に解決したが、病床にあって、かつて夫の秘密の愛人が、道子であると覚った弓子は、二人の居ない部屋の中で、二人の新しい出発を祝しながら睡眠剤を服用して自らの生活を絶っていた。他殺か?自殺か?殺人容疑者として道子は裁きの庭に立ったが、遂に弓子が親友に贈ったフランス人形の縫い込みから遺書が発見されて、道子の疑いは晴れて、弘田と結ばれる。
崔岩光オペラ・アリア集 夜の女王のアリア/サイ・イエングアン[崔岩光](S),ジョルジュオ・プロイェッティ(指揮),ソフィア交響楽団(so.)キングレコード(株)中国のソプラノ歌手、崔岩光のアルバム。モーツァルト、ドニゼッティ他の歌劇から女王役のアリアを集めたオペラ・アリア集。
旭川北高東京同窓会名簿 平成9年発行 全80頁北海道旭川北高等学校(Hokkaido Asahikawa Kita High School)北海道旭川市にある公立(道立)の高等学校。通称「旭北」、「北高」、「旭川北」。過去には英語科があった。野球部は過去2度の夏の甲子園出場と18度の北北海道大会出場を果たしている。
谷保村(やぼむら)村報 縮刷版 創刊号〜第20号(昭和12年〜昭和19年) 昭和53年発行 編集・発行 東京国立市役所市民政策室 全44頁
阪東妻三郎 怪傑黒頭巾ポスター 73cm-51.5cm スチール16点+無声映画観賞会 パンフレットクラシック映画ニュース(ニュース書き込みあります。) NO50,NO55 阪妻
华君武漫画 浙江人民美术出版社 华君武直筆サイン入 杉浦幸雄先生宛 Hua Junwu | COMIC 全152ページ 26cm-26cmハードカバー
ふえみな 秋号 パターンブック 昭和16年 編集兼発行者片岡よね ふえみな社 上野精養軒広告
デヴィッド・ボウイ 地球に落ちて来た男 チラシ 東劇宇宙のかなたから はかり知れない衝撃をもって ひとりの男が来た・・・
東京高裁糾弾! 14号 八鹿高校事件の真相はこうだ 仕組まれた暴行と差別教育の実態 全48頁出版 狭山差別裁判取り消し、無実の石川一雄即時釈放要求中央闘争委員会 刊行年 1974年八鹿高校事件は、1974年(昭和49年)11月22日に兵庫県立八鹿高等学校で発生した、部落解放同盟の同盟員が集団下校中の教職員約60名を学校に連れ戻し、約13時間にわたって監禁・暴行し、教師48名が負傷、内29名が重傷、1名が重体となった事件である。略称は八高事件。
2点 表現の自由をまもるために 大田立看板事件のたたかい 大田立看板事件平野夫妻守る会 日本国民救援会東京本部 全40頁、大田立看板事件勝利のために署名とカンパ用紙。 大田立看板事件、1970年代に東京都大田区で設置された看板を巡り、軽犯罪法違反に問われた事件。1981年8月の東京高裁で無罪判決が出され、立看板が「はり札」に該当するかが争点となった表現の自由に関する重要な刑事裁判
2点 原水爆禁止世界大会 1976年広島 討議資料 第22回(ノーモア・ヒロシマ・ナガサキの大義は人類の大義である)核兵器完全禁止・使用禁止 話しあいのために 全48頁 原水爆禁止日本協議会。第22回原水爆禁止世界大会報告書 ヒロシマ・ナガサキの声を全世界に 杉並原水協のあゆみ 1976年 原水爆禁止杉並協議会 全42頁。
シナリオ 若者の旗(「若者たち」)/山内久】映画「若者たち」全国上映委員会/昭和45年 山内久映画「若者たち」全国上映委員会・発行/’70年 「若者たち」「若者はゆく -続若者たち-」に続く第三作。脚本、監督、撮影も前作と同じく、山内久、森川時久、宮島義勇がそれぞれ担当。佐藤家の五人兄弟はそれぞれにさまざまな問題をかかえて生きていた。三郎は高等学校の教師をしていたが、校長と意見が合わずやめてしまい、今は昼間、出版社で働き、夜は夜間中学で教べんをとっていた。社会の底辺に置かれ少年たちも、それぞれの悪環境と戦いながら勉学に励んでいた。その中の一人、努少年は蒸発した父の借金返しに町工場でタダ働き同様に毎日を送っていた。オリエは恋人と信じていた戸坂の病気を見舞ったが、そこで将来結婚を約束したという西田和子を紹介され、がく然となった。戸坂は佐藤家を訪ねて自分の置かれている切実な状況を打ち明け、太郎や三郎に許しを乞うた。オリエは悲しみにたえ、動揺する戸坂にいつまでも平和運動を続けようと励ました。末吉は、今では会社内でも指折りの自動車セールスマンとして活躍し、所長の姪みわと恋愛中だった。独立してみわとの結婚も真剣に考え末吉の稼ぎっぷりは、ますます猛烈になっていった。同僚を裏切っても良心に恥じることさえ忘れた。そんな末吉を見て、みわは「あなたという機械の部品にされるのはいやだ」といって去ってしまいそれからの末吉の行動はますます荒み、太郎や三郎との衝突も激しさを増していった。一方、次郎は町子と口論を続けながらも桃太郎という愛児をもうけ、その生活ぶりはまずまず順調だった。末吉は三郎の激しい説得にようやく自分の「金とセックスとバクチのために生きている」という生き方に疑問を感じ始め、次郎と町子の子供、桃太郎を見たとき自分の内に芽ばえてくる新しい生命力を感じ、今までの生活を考え直して、一から出なおす決心をした。
3点 目撃者の証言 袴田問題の真実 全55頁 1978年発行 日本共産党中央委員会出版部。袴田除名の前とあと 日本共産党中央委員会幹部会委員長 宮本顕治 全64頁 1978年発行 日本共産党中央委員会出版部。袴田手記「週刊新潮」総批判 真実は一つもない 時間と空間を超えた虚言と妄想 日本共産党中央委員会出版部 全48頁 1978年発行
高橋兵治郎 木地山系 秋田川連村七十六才作 八寸 約24cm秋田県川連村久保の木地業高橋徳左衛門の二男。
田螺骨董店 自筆挿絵原稿 香山滋作 今村恒美画 全3点揃 探偵小説宝石 昭和28年 宝石編集者旧蔵品 肉筆原稿
田中芳谷 昭和二十年八月十七日 終戦2日後のガリ版刷り 教辞 大東亜戦争終結ノ聖詔シ・・・ 田中智学子息
映画パンフレット「芙蓉鎮」出版 岩波ホール 解説 1987年製作/中国 【監督】シェ・チン 【出演】リウ・シャオチン/チアン・ウェン/チョン・ツァイシー/シュイ・ソンツ【発行】1988年 岩波ホール文化大革命を背景に厳しい試練を強いられたひとりの女性と彼女を取り巻く人々の激動の時代を描くもので、87年度の中国・百花賞、金鶏賞作。監督は「天雲山物語」「牧馬人」などの謝晋。古華の原作を阿城と謝晋監督が共同で脚色、撮影は慮俊福が担当。出演は劉暁慶、姜文、鄭在石、徐松子ほか。1987年製作/中国原題または英題:Hibiscss Town 芙蓉鎮全34頁
慟哭の地平 野呂栄太郎の少年時代 伊藤兼平 北海道夕張郡長沼町 非売品 発行者北海道夕張郡長沼町長 中川清 発行所 長沼町 刊行年 昭和49年 ページ数 67p
クラヤミ電力 作・浜田征一 中電人権裁判の重み 弁護団長 安藤いわお 巻末 冒頭陳述書 ひろく国民のみなさまへ訴えます昭和50年 中部電力人権侵害・思想差別撤廃等 請求訴訟 原告団弁護団全22頁
田中智学 衆議院議員立候補宣言 立憲養正会 田中巴之助(號 智学、又巴雷)大正13年3月21日 53cm-19.5cm10歳で日蓮宗の宗門に入り智學と称した。明治5年から田中姓を称している。その後、小教院に入院した。在院中に宗学に疑問を持って還俗し、宗門改革を目指して1880年(明治13年)に横浜で蓮華会を設立。4年後の明治17年に活動拠点を東京へ移し立正安国会と改称、大正3年には諸団体を統合して国柱会を結成した。日蓮主義運動を展開し、日本国体学を創始、推進し、高山樗牛・姉崎正治らの支持を得た。大正12年11月3日、日蓮主義と国体主義による社会運動を行うことを目的として立憲養正會を創設し総裁となった。
戦前SCHARFENTIEFEN-TABELLEN ZUR KLEINBILD-PHOTOGRAPHIE ZEISS IKON 全64頁