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木版鎌倉 鎌倉版画会 鎌倉春秋社 昭和56年

暢気堂書房

木版鎌倉 鎌倉版画会 鎌倉春秋社 昭和56年

¥1,000

  • 著者 解説沢寿郎 表紙版画平嘉門
  • 刊行年 昭和56年
  • 冊数 1冊
  • 解説 B5判168頁 初版、表紙つき冊子本 版画絵による鎌倉名所案内
  • 販売条件等 1棚4段目4箱12

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〒203-0033
東京都東久留米市滝山6-2-14-103 
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308900206484
書籍商 暢気堂書房

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斉藤昌三直筆原稿(舌三昧掲載400字詰原稿3枚)+生写真2点+茅ヶ崎市立図書館名誉館長名刺斎藤昌三(1887年3月19日 - 1961年11月26日)日本の古書学、蒐集家、発禁本研究などで「書痴(英語版)」と呼ばれた人物。猥褻本の研究、編訳でも知られる。 神奈川県高座郡座間村に商人の子として生まれ、政三と名づけられるが、関東大震災後「昌三」と改名。神奈川県立第三中学校を1905年に中退、横浜の生糸商・原合名会社に勤務。銀行訪問が主な業務で、当時銀行に勤めていた小島烏水や礒萍水と知りあうきっかけとなった。1910年頃勤務をやめ職を転々とした。1915年同人誌『樹海』を創刊、この雑誌は何度かの改題を経て続いた[4]。また『明治文藝側面鈔』を密かに刊行し、発禁となった小説類を紹介する。1920年には、趣味人の先輩にあたる加山道之助と組み、趣味誌『おいら』を創刊、三田平凡寺が主宰した趣味人の集団「我楽他宗(がらくたしゅう)」にも加わった。しかし1923年、関東大震災で多くの資料財産を失い、茅ヶ崎に移住した。三田とも関係性が悪化、「我楽他宗」からも脱退した。1923年9月『おいら』をやめ、雑誌『いもづる』を発刊。梅原北明と親しくなりその企画になる「変態十二史」のうち二冊を執筆。1925年10月『愛書趣味』を創刊。柳田泉、木村毅らと明治文学の研究に手を染めた。1931年7月『書物展望』を創刊。書物展望社は単行本の刊行もはじめ、1932年には斎藤の編集した内田魯庵『紙魚繁盛記』、淡島寒月『梵雲庵雑話』などを刊行した。『書物展望』は戦時中の中断を経て復活し1951年まで続いた。晩年は茅ヶ崎の文化人として過ごし、1959年4月には茅ヶ崎市立図書館の名誉館長に就任した。 ¥15,000

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風流談義 女の抵抗 著者 水田文雄 出版社 現代思潮社 刊行年 昭和29 解説 B6、全134P、初版経歴第七高等学校造士館文科卒業。1930年東京大学文学部支那哲学科卒業、文学博士。ドイツ留学ベルリン及びミユンヘン大学留学 - 新聞研究室に在籍。朝日新聞社1930年朝日新聞入社。南京、上海、欧州主にドイツ駐在で、ロシアを含み欧州各国を取材で回る。自由言論弾圧にあい朝日新聞退社。宣伝東宝(株)入社、宣伝部長。後楽園スタヂアム支配人。中国花王石鹸入社、中国駐在となり、上海公司取締役社長、天津支社長兼工場長。1945年天津にて終戦を迎える。家族、妻と子供5人(内4女は引き揚げ船上で発病,日本上陸後死亡)で1946年に日本への最終船で引き揚げ帰国。P.R.戦後に吉田社長にスカウトされ電通入社、以後テレビ部長、PR部長等と勤め民放テレビ局の開設でCM担当、評価、マーケティング等と広範囲に携わる。日本初の英語有線テレビを創設した。 宣伝、広報、P.R.等を指導し日本のP.R.専門家として TV出演等で著名となる。同時に各広報、P.R.、マーケティング、宣伝等の評論家でもあり日本各地にてセミナー、会議、講演等を通して若者を指導した。サラリーマンのかたわら書いたベストセラーを含み著作は多数で、マルチ広報活動エッセイスト、小説家としても活躍した。
¥1,500

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