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古いトラック 日産ディーゼルPT81 トラックパーツカタログ 。昭和44年。全102ページ

暢気堂書房

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TANGO NOSTALGIA タンゴの郷愁 志賀清 CD 1928年 - ヴァイオリニストの父のものとに生まれる。7歳のころより、ヴァイオリンを始める。 1945年 - 武蔵野音楽学校に入学する。 1946年 - 進駐軍将校クラブでの仕事で、ヴァイオリンを弾く。東京ニュークラシック楽団の団員に入る。ジャズやタンゴでのヴァイオリン演奏にたずさわる。 1949年 - 「志賀清とスィンギングストリングス」を結成する。 1960年 - 「志賀清とミリオンサウンズオーケストラ」を編成する。1961年には、タンゴ楽団「志賀清とオルケスタ・ティピカ・モデルナ」を立ち上げる。 1964年 - 志賀清が「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」のメンバーとして、アルゼンチンその他の国での演奏旅行に参加する。その後、日本のタンゴヴァイオリニスト第一人者として、活躍する。 1972年 - 「オルケスタ・ティピカ東京」が活動休止状態となる。志賀清は、「志賀清とアルテリーベストリングス」や「志賀清とオルケスタモデルナ」を編成する。NHKの「名曲アルバム」のアルゼンチン編(「志賀清とモデルノス」名義でエル・チョクロとカミニートをメドレーで伴奏)の録音に参加する。 1998年 - 「志賀清とオルケスタ・ティピカ東京」という名称で、「オルケスタ・ティピカ東京」を再開させる。 ¥2,500

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CD3枚組 台湾情台湾歌4 江蕙 Kang Hūi(カン・フイ)江蕙(台湾語白話字:Kang Hūi(カン・フイ)、中国語ピンイン:Jiāng Huì(チァン・フエイ)、1961年9月1日- )は台湾の女性歌手。専ら台湾語(台湾ホーロー語)で唱っており、「台語天后」(意訳:台湾語歌謡の女王)と称されている。2015年6月27日の第26回金曲賞で「特別貢献賞」を受賞した。同年9月13日の高雄コンサートをもって芸能界を引退した。 江蕙と彼女が活躍する台湾語歌謡界について理解する為には、台湾語の歴史的事情に注意を払う必要がある。台湾は、日本が第二次世界大戦敗戦後中華民国に返還され、内戦に敗れた中華民国政権が中央政府を1949年に台湾に移し、1990年代まで戒厳令で独裁強権政治が行われて来た。この間、台湾人には北京語が強要され、彼等の母語である台湾語(ホーロー語、客家語、原住民諸語)は抑圧され、蔑ろにされて来た。こうした事情から、当時の恐怖政治下では、中国語は現代的で洒落たもの、台湾語は古臭くて格好悪いもの、と言う暗黙裏の位置付けがあった。従って、現代的な欧米のポップスや日本のニューミュージックの影響が及んだのは、先ず中国語の歌謡曲であり(校園民歌など)、台湾語の歌は昔ながらの民謡や日本の歌謡曲の翻訳にほぼ限られていた。この様な状況に対して、欧米日のポップスと比べて遜色のない現代的なメロディーを台湾語で歌う、と言う変革をもたらした代表選手が江蕙である。その様な現代台湾語ポップスの萌芽としては潘越雲の「情字這条路」(1988年)などが先行したが、決定打は江蕙が1992年に出した「酒後的心聲」と言える。日本人の耳には1980年代に流行したポップス演歌に似ているが、同曲はそれ以前のド演歌とは一線を画すもので、台湾全土の老若男女に受け入れられ、伝説的な大ヒットとなった。台湾では既に中国語世代が主流となってはいるが、今日では、台湾語の曲を聞いたりカラオケで歌うことに恥ずかしさや抵抗感はないし、中華人民共和国に於てさえ一部では江蕙を始めとする台湾語曲が人気を得ている。
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