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思想時報4 文部省思想局 昭11

暢気堂書房

¥3,500

  • 解説 89頁
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東京都東久留米市滝山6-2-14-103 
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308900206484
書籍商 暢気堂書房

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五十一番めのザボン 昭和27年第5版 与田準一 著 帯付き 出版社 光文社 ページ数 237p 校舎を建てるために、片がわの枝を切られた「むくやん屋敷」のザボンの木――ザボンは51個の実を結び、実には生徒の発案で「手紙」がつけられて市場から北へ南へと送られ、いくつかの返事がきた……。詩人らしい感性と斬新な手法とで、大人と子供たちとの暖かい心の交流を描いた、戦後児童文学の代表作。与田 凖一(1905年6月25日(戸籍上は8月2日生まれ)- 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。作詞家橋本淳の父。ドイツ文学翻訳の与田静(1942- )は長女。與田凖一[1]、与田準一[2]の表記もある。日本ペンクラブ会員。1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。1924年に筑後市で小学校代用教員に採用され、翌年から下妻尋常小学校訓導となる。ドルトン・プランの影響を受け、児童の作品とともに自作を『赤い鳥』などに投稿する。1926年教職を辞し、1928年北原白秋を頼って上京。『白秋全集』の校正を手伝うも体調を崩して一時帰郷する。翌年再び上京し、『乳樹』を創刊しつつ、赤い鳥社に入社する。1933年、同社を退社。1940年日本文化協会から第1回児童文化賞を受賞する。終戦後は周郷博の斡旋により、1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じた。門下には、まど・みちおをはじめ、岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこ、神沢利子らがいる。1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。1967年『与田凖一全集』でサンケイ児童出版文化賞、1973年『野ゆき山ゆき』で野間児童文芸賞を受賞した。
¥1,500

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