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西式健康法関係孔版印刷13部⚫︎西式健康法に就いて 西式健康会館長 昭和32年、⚫︎海外新刊医学図書検討批判会 東京市ヶ谷西式健康会館 昭和32年1月28日 西勝造先生訳・評、⚫︎第五回海外新刊医学図書検討批判会 昭和32年4月26日 西医学健康学院長 西勝造先生訳・評、⚫︎第9回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和32年4月26日 西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第19回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第17回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和33年5月30日西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第15回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和33年3月27日西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第14海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和32年2月27日西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第11回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和32年10月10日西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第10回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第9回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和32年8月26日西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第17回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和33年5月30日西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第8回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 西医学健康学院長 西勝造訳・評、⚫︎第7回海外新刊医学図書書及び雑誌批判会 昭和33年5月30日西医学健康学院長 西勝造訳・評

暢気堂書房

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まぼろしの薩摩切子 一瞬のきらめき[図録] 土田ルリ子, 井垣万里子, 安河内幸絵編集 出版社 サントリー美術館 ページ数 239p サイズ 27cm 江戸時代後期、日本にも虹色に輝くガラスが登場。江戸切子や薩摩切子と呼ばれるカットガラス。かつて、西洋からもたらされた無色透明のカットガラスは、その洗練された美しさから「ギヤマン」と呼ばれました。「ギヤマン」は、ポルトガル語の「ディヤマンテ」を語源とし、「ダイヤモンド」を意味します。日本で生まれたカットガラスの中でも、とりわけ鹿児島・薩摩藩が力を尽くして生み出した薩摩切子は、多様な色彩と豊富な文様とのハーモニーが最大の魅力。弘化3年、薩摩藩主・27代島津斉興が始めた薩摩のガラス産業は、息子・斉彬の代に飛躍的な成長を遂げる。イギリスの力強い直線やボヘミアの優美な曲線など、その造形にはヨーロッパの影響が多々見られます。海外輸出も視野に入れた藩の特産品として開発されたこともあって、現存する器は、将軍家や大名家などに伝来するものも少ない。しかし文久3年、薩英戦争によってガラス工場が破壊されると、その製造は衰退の一途をたどります。幕末の十数年の間に一気に興隆し、明治初期には制作されなくなり、はかない運命を遂げた薩摩切子。その成り立ちから終焉までを約160件の作品で一挙公開。さらに、これまで存在が明らかにされてここなかった「無色の薩摩」にも着目し、近年の調査の結果も踏まえつつ、その一端をご紹介。西洋への憧れと日本的な美意識とが融合した、独自の美の世界。 ¥2,500

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禅と音楽 正派邦楽会初代家元中島雅楽之都 著 昭36年初版 函 新思社 初代家元 中島雅楽之都(なかしまうたしと)正派の創始者、初代家元中島雅楽之都は1896(明治29)年3月21日京都に生まれ、6才のときから箏の道に入る。1913(大正2)年長野市において「正派生田流」の名のもとに、本格的に教授活動を始める。看板を掲げるにあたり、善光寺大本願・大宮智栄上人ほか地元の名士たちの後援をうけ、正統な生田流を修行した者であるという意味でつけられたのが 「正派」の名のおこりである。わずか17才の若さで一派をたてた雅楽之都は、7年後には東京に本拠地をうつし、日本各地はもとより旧満州国、蒙古にまで精力的に足を運んで、箏曲の普及に努めた。こうして蒔かれた正派の種は大きく育まれ、やがて全国に多くの幹部を養成する源となり、現在の組織の基盤となっている。一方、雅楽之都は自らも常に研鑚を惜しまずに芸と人格をみがくことに努め、《和歌の浦》《松籟譜》《四方の海》など優れた数々の作品を発表。三弦は熊本まで出向いて長谷幸輝師に師事。ここで同世代の宮城道雄と知り合い、二人の若き箏曲家は熱く芸を語り、生涯の楽友として新しい邦楽界を担っていった。ほか坪内逍遥、山田耕筰、町田佳聲、中尾都山、田辺尚雄などの各氏にも知遇を得、様々な面での教えをうけている。正派は、当時の箏曲界では画期的であった施策を次々と打ち出した。伝統的な口伝教授の限界を感じての公刊楽譜の発行、洋・邦楽理論をふくんだ筆記と実技を平行させた試験による准師範試験の施行、全国組織としての評議員制などであり、これらはその後、年々充実の度を増しながら現在に至り、正派の特色として高い評価をうけている。組織としては、いわゆる「家元制度」の長所を生かしながら、近代社会に対応できるようなあり方が求められるようになり、1956(昭和31)年9月、邦楽団体では初めて文部省より「財団法人正派邦楽会」の認可を受ける。総裁・理事長には初代家元が就任。また初代家元は、世界的視野に立って日本文化の積極的な担い手となる音楽家を育てるための、専門の学校が必要であると長年考えていた。この意図が周囲に理解されて、1959(昭和34)年に正派音楽院が開校され、現在までに多数の優秀な人材を世に送りだしている。 
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