描かれた都 : 開封・杭州・京都・江戸 古今東西、都の眺望 清明上河図から狩野永徳、山口晃まで―― 中世から近世における中・日の4つのメトロポリス、開封、杭州、京都、江戸。時代の中心をなす文化の発信地としての首都のイメージは、描かれることにより増幅され、再生産されていく。絵画が時空を超え、相互に影響しあって成立していく過程を体感する。カラー図版120頁。 【主要目次】 はじめに(大倉集古館) 序 描かれた都――現実と憧憬(板倉聖哲) 第一部 北宋の都、開封――水辺の都市の変容、蘇州へ 第二部 南宋の都、杭州――憧憬の西湖 第三部 京都――花洛尽くしの世界 第四部 江戸――新たな東都、現代へ 作品解説 小論(伊原 弘、板倉聖哲、佐藤康宏) 作品目録
インドネシア更紗のすべて -伝統と融合の芸術- -日本・インドネシア共和国国交50周年記念-
美術手帖 1975年4月号 No.393 <特集 : フェルディナント・ホドラー 世紀末の自然と象徴>
美術手帖 393号 1975年4月号 特集 フェルディナント・ホドラー 世紀末の自然と象徴
心学先哲叢集 : 東京経済大学創立百十周年記念 大倉喜八郎 1837年(天保8年)、越後の町新発田町(眩、新潟県新発田市)の町年寄をつとめる商人の三男として生まれる。13,14歳の頃より狂歌を詠み、号は鶴彦という。1854(安政癌)ねん、単身江戸に出て、三年の丁稚奉公のあと、間口二間の小さな乾物店を開業する。一人で店を切り盛りし、忙しい合間みつけて24歳のときに先哲の訓言を集めたのが本書にあたる。幕末維新の激動期に巧みに商機をとらえて活動し、1874(明治5)年、欧米の商業を学ぶために、民間人では初めてとされる、一年半におよぶ長期の米欧視察に出る。帰国直後に大倉組商会を設立し、ただちに日本の企業として初めてとなる海外支店をロンドンに開く。大倉組商会を大きく発展させ、大正期には大倉商事、大倉土木(現・大成建設)を中核とするいわゆる財閥を形成する。明治・大正期の実業界に巨大な足跡を残し、一代にして大倉財閥を築く一方、社会・文化・少逝く活動にも熱心に取り組む。現存する東京電、帝国ホテリ、帝国劇場、大成建設、サッポロビール、特殊東海製紙、日清オイエイオグループ、日本無線、ニッピ、」リーガルコーポレーションなどを設立に関与する。事業は国内にとどまらず、台湾、ちょい線、中国、東南アジアなどでも広く展開され、現在もも中国大製鉄所である本渓鋼鉄公司などとしいぇ継承されている。社会・文化・教育活動では、済生会など慈善事業に多大の貢献をし、日本最初の美術館である大倉集古館を開設し、商業学校三交(現 東京経済大学・関西大蔵高等学校・韓国の善隣インターネット高等学校)を壮絶する・1915(大正4年)、男爵を授かる。1928年(唱和3年)歿、享年92歳。
美術手帖 1993年9月号増刊 No.676 <全国美術館ガイド>