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甘露寺澄子逝いて(1903年1月20日 - 1937年9月12日)甘露寺方房の夫人。旧姓岩崎。父は岩崎久弥。姉は沢田美喜。呈上甘露寺方房 装丁中村重義 昭和13年非売品1903年1月20日、三菱財閥の3代目総帥・男爵岩崎久弥の次女として東京府東京市本郷区に生まれる。後に甘露寺受長の弟・方房に嫁いだ。1937年9月12日、両親や兄、姉に先立って34歳で死亡。敬虔なクリスチャンとなった姉・美喜の影響もあり、死に際して洗礼を受けた。甘露寺家は、藤原北家高藤流の嫡流にあたる貴族・公家・華族だった家。公家としての家格は名家、華族としての家格は伯爵家。 「甘露寺方房」は、公家・華族の甘露寺家出身で、明治天皇の小姓を務めた人物。「装丁家・製本士-中村重義 」歴史小説「徳川家康」で知られる作家の『山岡荘八』さんから、製本・装丁に関わる機材を譲り受ける。現・八丁堀駅近くの東京都中央区入船で製本会社を設立。『坪内逍遥』『横光利一』『江戸川乱歩』等の装丁・製本を手がける。竹の子の皮や布、原稿を埋め込んだ装丁など数多くの作家を唸らせ、「日本一の装丁家」と言わせしめた。接着剤の不足の折りには、ムカデを使うなど工夫をしていた。戦争による強制疎開で、入船を離れ、神奈川県の平塚や茅ヶ崎、鎌倉に移り住んだ。
等身大ヌードポスター(24頁折) 浅井理恵 おとこの遊び専科1991年4月号特別付録
シークレット・ワールド・ライヴピーター・ガブリエル 2枚組CD見本盤
日本のバス1982 モータービークル臨時増刊 九段書房 1981
御大典記念 この花会 写真帖 花道 昭和3年
豆満江 6冊 李箕永著 全冊訳者献呈李殷直署名入 第2巻〜第7巻 李箕永著李殷直訳 1961年初版 朝鮮文化社 装幀金昌徳カバー帯ヤケ傷み少し破れあり、ページ内は概ね経年並 (帯付きは2〜5巻)李箕永(1896年5月 – 1984年8月9日)朝鮮の小説家。本貫は徳水。号は民村。筆名に民村生、聖居山人、聖居、陽心谷人、陽心学人、箕永生。日本統治時代はプロレタリア主義作家としてKAPFの中心メンバーとして活動、解放後は左翼陣営に加わり文壇の重鎮の座に座り続けた。貧困を極めて精巧に描き出す李の筆は南北を通じて高く評価。 李が文壇に登場するのは1924年、『開闢』に掲載された「오빠의 비밀 편지 」からである。1925年、趙明熙の勧めで『朝鮮之光』に編集記者として就職する。また、同じ年に朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF)に加わり、中央委員や出版部責任者を務めるなどして活動した。李光洙や金東仁といった文士と対立し、貧民の現実を見据えた階級意識の高い文学を目指した。その間、李は、「故郷」を『朝鮮日報』に連載し貧困をリアルに描き出している。1930年代、朝鮮文壇を席巻していたKAPFに対して、当時の朝鮮総督府は弾圧を持って対処した。第1次KAPF一斉検挙では、2か月間の拘束を受け(執行猶予で釈放)、第2次KAPE一斉検挙の際は1年6か月の間投獄される。李は第2次KAPF一斉検挙の後、自らの主題を見失い、転向作家として筆をとったり、朝鮮文人協会に参加して親日的活動に加担してもいる。それが李の意思ではなかったのか、1944年には筆を折り、江原道の鉄原に引きこもった。
FUKKI QUALIA 「復帰」と沖縄美術 復帰50年コレクション展記録集 <沖縄県立博物館・美術館 コレクション展> 岡本由希子、 大城さゆり 編 出版社 沖縄県立博物館・美術館 刊行年 2023 ページ数 159頁 サイズ A4判 「祖国復帰」「本土復帰」「日本復帰」「沖縄返還」1972年の日本への沖縄施政権返還は様々に表記されますが、沖縄の多くの人は「復帰」と呼びます。どこへ帰るのかあいまいに響く「フッキ」には、沖縄が歩んだ歴史への複雑な心情がにじむようです。ラテン語であるQUALIAとは、赤いリンゴを見て「赤いと感じる」などの、主観的な経験に基づく感覚だといわれます。「復帰」から50年が経つ現在、沖縄に住む人々の6割は「復帰」を直接には経験していません。本展では、「アメリカ統治下」、「復帰」、さらに「復帰後」の社会を見つめた作品や作家たちの動きを紹介。真喜志 勉《大日本帝国復帰記念》1972年安次嶺金正《紅い布と少女》1948年 儀間 比呂志《海上集会》1964年 金城 規克《神遊び》1972年 喜久村 宏《解放地》1980年
マイセン(Meissen) 陶板画/NO.128 ホラ吹き男爵(額付き)ハインッベルナー教授の芸術的な陶板画でミュンヒハウゼン男爵の不思議な海陸の旅および従軍奇談をモチーフにしたシリーズで、 マイセンならではの美しい色彩と繊細なハンドペイントで描かれた華麗な作品です。 サイズ:陶板画 縦18cm×横15cm