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10インチLP 山下洋治とファイブ・サウンズ/スチール ギターは招く 第5集/VICTOR LV328 第1面 ハワイアン・パラダイス ザ・フキラウ・ソング 南海の魅惑の島 ホエ・ホエ マイ・ハワイアン・スーヴェニール 第2面 ハワイのわらぶき小屋 アロマ バリ・ハイ マイターネ ナ・レイ・オ・ハワイ アロハ・オへ 盤質良好。
梓みちよ『こんにちは赤ちゃん/梓みちよ第2集』東京キング/SKG-5010インチレコード/梓みちよ「こんにちは赤ちゃん / 梓みちよ第2集 (1964年・SKG-50・東海林修・中村八大編曲)第1面 こんにちは赤ちゃん 月光価千金 プリンセスプリンセス ブルーヴェルヴェット第2面 ダンケ・シェーン 恋はロマンチック 永遠に愛して 悲しみがいっぱい 盤質良好です。梓みちよ(1943年6月4日[1] - 2020年1月29日)、日本の歌手、女優。本名は林 美千代。血液型はO型。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。日本統治下の朝鮮釜山市生まれ。福岡県福岡市博多区出身。福岡女学院中学校・高等学校2年中退。宝塚音楽学校中退。1960年代から1970年代を中心にヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。1960年、福岡女学院高校を2年で中退して宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する。約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。芸名の名付け親は渡辺プロダクション創業者の渡辺晋。「梓弓のようにしなやかで強くなって欲しい」の意味で名付けられたという。1963年7月、『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。また同曲は翌1964年3月の第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に採用された。更には1964年5月に東京都文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待されて、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。
dumont foto 5. Die japanische Photographie. Geschichte, Themen, Strukturen 日本の写真史ドイツ語版 Heinz Spielmann (編集) 出版社 : DuMont Reise Vlg., Koeln 発行 : 1984年言語 : ドイツ語 254ページ
三浦ひろみ作品集『筆蕾墨華 Hitsurai-Bokka』日本画家 三浦ひろみ 画家三浦ひろみの芸術性の探究と変遷を一冊にまとめた作品集「筆蕾墨華」で、初期の裸婦から水墨の花まで、エッチング(銅版画)を含む百余点の作品 筆蕾墨華 三浦ひろみ作品集著者 三浦ひろみ 出版社 六藝書房 刊行年 2022.10 ページ数 149.9p サイズ 26cm 収録:絵画96点、銅版画34点、文:木下長宏、島尾新、加山奈美子、小林挌史、三浦ひろみ。回想的略年譜。149p、英文9p
銅鑼 複刻版 全16冊出版社 日本近代文学館 刊行年 S53 ページ数 16冊 サイズ 24-25cm 冊数 16 解説 紙帙経年感 解説冊子付草野心平が上海で創刊。16冊の内7冊がガリ版刷。黄瀛、原理充雄、宮沢賢治、尾形亀之助、佐藤八郎他。
印籠・根付出版社 印籠美術館 刊行年 1992 目次極小の芸術 印籠・根付 辻惟雄こんなに面白い、印籠 小松大秀印籠図版根付図版掲載作品一覧印籠根付サイズ:19.8×22.4cm ハードカバー 211ページ
海・山・のんびりアート 田島征三・谷川晃一・宮迫千鶴三人展図録 函入り3冊著者名:土方明司, 高橋優実編集他の作品を見る出版社:練馬区立美術館発売日:c20053冊 26cm 2005.04.09(土)~ 2005.06.12(日)田島征三・谷川晃一・宮迫千鶴はともに、海と山に囲まれた伊豆高原に住み、スローライフを実践しています。本展では、3人の初期から現在の作品をはじめ、さまざまな資料を展示し、さらに作家たちによるワークショップを行いました。
松本竣介を支えつづけた友人 畑山昇麓コレクション展出版社 萬鉄五郎記念美術館・町立久万美術館 解説 展覧会図録 ソフトカバー119頁日本の近代を代表する画家・松本竣介は、今日、多くの人に愛されその人気はますます高まりをみせています。それは取りも直さず彼の作品に通底する静謐な詩情に惹かれるのと同時に、純粋で清らかな彼の人柄がそこに裏打ちされているからにほかなりません。そんな彼を慕い、支えた、同郷の学友については、これまで一般に知られることがありませんでした。この度その一人であり、いわば竣介によって美に開眼し、その後、細々ながらも独自のコレクションを形成するにいたった人物とそのコレクションに秘めた物語を紹介します。畑山昇麓は、松本竣介の中学時代からの友人で、画家となった竣介を慕い、支え続けた人物です。彼は、竣介の作品はもとより、日本近代美術を中心に、独自の鑑識眼により収集しつづけたコレクターでもありました。その一部は、神奈川県立近代美術館の松本竣介展示コーナー開設に伴い、1967年に竣介作品を寄贈。その後1975年には、岩手県に収蔵され現在、岩手県立美術館の松本竣介コレクションの重要な作品群の一つとして加えられています。そして、1986年には岩手県の萬鉄五郎記念美術館に、竣介はじめ多くの個性派の美術作品が寄託されました。このように、単に美術愛好家に留まらず、竣介亡きあとも彼の顕彰のために惜しまない助力を重ねてきました。このたび、萬鉄五郎記念美術館所蔵作品に、各美術館に収蔵されている旧所蔵作品を加え、松本竣介との交友から始まった畑山昇麓のコレクションを紹介すると同時に、独自の眼で収集されたコレクションに一貫して流れる彼の美術に対する視線をあらためて見つめ直したいと思います。