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港台語詞詞典 / 黄丽丽, 周澍民, 钱莲琴编著 gang tai yu ci ci dianLanguage: ChinesePublished: 合肥 : 黄山书社, 1990.10Description: 461p

暢気堂書房

¥3,000

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斉藤昌三直筆原稿(舌三昧掲載400字詰原稿3枚)+生写真2点+茅ヶ崎市立図書館名誉館長名刺斎藤昌三(1887年3月19日 - 1961年11月26日)日本の古書学、蒐集家、発禁本研究などで「書痴(英語版)」と呼ばれた人物。猥褻本の研究、編訳でも知られる。 神奈川県高座郡座間村に商人の子として生まれ、政三と名づけられるが、関東大震災後「昌三」と改名。神奈川県立第三中学校を1905年に中退、横浜の生糸商・原合名会社に勤務。銀行訪問が主な業務で、当時銀行に勤めていた小島烏水や礒萍水と知りあうきっかけとなった。1910年頃勤務をやめ職を転々とした。1915年同人誌『樹海』を創刊、この雑誌は何度かの改題を経て続いた[4]。また『明治文藝側面鈔』を密かに刊行し、発禁となった小説類を紹介する。1920年には、趣味人の先輩にあたる加山道之助と組み、趣味誌『おいら』を創刊、三田平凡寺が主宰した趣味人の集団「我楽他宗(がらくたしゅう)」にも加わった。しかし1923年、関東大震災で多くの資料財産を失い、茅ヶ崎に移住した。三田とも関係性が悪化、「我楽他宗」からも脱退した。1923年9月『おいら』をやめ、雑誌『いもづる』を発刊。梅原北明と親しくなりその企画になる「変態十二史」のうち二冊を執筆。1925年10月『愛書趣味』を創刊。柳田泉、木村毅らと明治文学の研究に手を染めた。1931年7月『書物展望』を創刊。書物展望社は単行本の刊行もはじめ、1932年には斎藤の編集した内田魯庵『紙魚繁盛記』、淡島寒月『梵雲庵雑話』などを刊行した。『書物展望』は戦時中の中断を経て復活し1951年まで続いた。晩年は茅ヶ崎の文化人として過ごし、1959年4月には茅ヶ崎市立図書館の名誉館長に就任した。 ¥15,000

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大きな赤い太陽(限定1000部)著者 柘植光彦 出版社 深夜叢書社 刊行年 1977年 サイズ 四六判182頁 函 柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 2011年11月15日)は、文芸評論家。専修大学名誉教授。来歴東京府出身。東京大学仏文科在学中の1960年、小説『大きな赤い太陽』を『文學界』に発表。1961年第16次『新思潮』創刊。1964年第17次『新思潮』創刊。(第17次『新思潮』同人郷正文小説集『愛の家族』(審美社刊)の<あとがき>に「郷正文作品の現代的意味 ― 解説に代えて」を書く)、東京大学大学院(国語国文学)修士課程修了。専修大学助教授、1981年教授、2009年定年退職、名誉教授。大学院博士課程在学中に東大闘争に遭遇し、ノンセクトの思想に共鳴した。以後、学問論や研究者論を展開するとともに、現代日本文学研究者として活動。主な研究対象は、埴谷雄高、安部公房、福永武彦、三島由紀夫、島尾敏雄、吉行淳之介、井上光晴、三枝和子、大江健三郎、筒井康隆、井上ひさし、村上春樹、よしもとばなな、小川洋子など多数。「四畳半襖の下張」模索舎裁判では特別弁護人として活動した。1995年に正式発足した現代文学会の世話人を、栗坪良樹、川村湊とともに務める。2011年11月15日、冠状動脈硬化症のため東京都新宿区の自宅で死去。73歳没
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