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AUTOMOBILES OF SHIN MITSUBISHI カタログ COLT1000 COLT600 MINICA COLT1000VAN MITSUBIHI360 JUPITER ROSA SILVERPIGEON

暢気堂書房

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マーシャルと歴史学派の経済思想 一橋大学経済研究叢書西沢 保【著】目次第1部 歴史・倫理学派の時代(マーシャルと歴史的・倫理的アプローチ;古典派経済学の衰退とイギリス歴史学派;アシュリーとオクスフォード・エコノミスト―イギリスの社会政策学派)第2部 経済学の専門化・制度化―マーシャル、アシュリー、福田徳三(経済学の専門化・制度化;ウェッブ、ヒュインズとLSEの創設;マーシャルと経済学トライポスの形成;アシュリーとバーミンガム大学商学部の創設;福田徳三・上田貞次郎と東京商科大学の形成)第3部 マーシャルとイギリス産業上の主導権(イギリス経済の停滞と関税改革運動―アシュリーとヒュインズ;「イギリスの産業上の主導権」と自由貿易;マーシャルの産業経済学・産業組織論)第4部 創設期の厚生経済学と福祉国家(救貧法から福祉国家へ―世紀転換期の貧困・失業問題と経済学者;マーシャルと創設期の厚生経済学;マーシャル―経済進歩と社会的厚生・福祉;福田徳三の厚生経済・社会政策思想とその国際的環境;中山伊知郎と労使関係の経済社会学)著者等紹介西沢保[ニシザワタモツ]1950年生まれ。83年一橋大学大学院博士課程単位修得、同大学社会学部助手、85年大阪市立大学経済学部専任講師、90年一橋大学経済研究所助教授、93年同教授。社会学修士(一橋大学) ¥3,000
花道家元 未生流 挿花美術之詠 広誠庵源甫 編 出版社 肥原政右衛門 刊行年 明治24年 ページ数 54丁 サイズ 26cm中古品(並) 解説 和装本 題箋いたみ未生流は、未生齋一甫によって創流されました。三世未生齋一甫は、二世廣甫の長男安之丞が継ぎます。廣甫と同様に嵯峨御所に務め、法眼の号を許されて上田越後と称しました。在世中に明治維新が起こり、明治十年(一八七七)、華道の沈滞期に逝去しました。三世逝去後は未生流家元の後継者がなく、流の衰退を防ぐために二世の高弟が助け合って、懸命に流勢を維持しました。二世在世の当時から役頭1名、役者4名が最高幹部とされていましたが、広誠斎肥原源甫は、早くからその役職を歴任し、役頭として三世家元を後見していました。明治二一年(一八八八)、流内の信望が厚かった源甫が、空位のままであった家元に推されましたが、源甫はこれを固辞しましたので、源甫の高弟で大阪超泉寺住職の黒川義甫が、四世未生齋を継ぎました。広誠斎肥原源甫は、未生流家元の衰微というよりも、華道界全体が衰退していた時期に、各地の同門の人たちの支えとなって働きました。このように困難な状況においても、『錦の幣』(一八六四)、『開華の錦』(一八六七)などのすぐれた花図書を発行しました。それらに収載された剛毅な作風に、その人柄がしのばれます。肥原源甫は明治二六年(一八九三)、八二歳で亡くなりましたが、そのときには、四世義甫も病気で家元を辞退していて、翌二七年に逝去しました。未生流にとって悲報が続きましたが、同年四月、全国の師範代が大阪に集まり、源甫に未生齋を追諡して五世家元とし、以後肥原家をもって家元世襲を定めました。これは源甫の業績に報いる意味と、家元という流儀の中心機関が安定してない混乱期の師範代には、そうせずにはいられぬものがあったからです ¥5,000

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大阪ろまん 石浜恒夫著 、全国書房 、昭42 、234p 図版 、B6初版 ビニルカバーなし 帯イタミ 石濱恒夫(1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。大阪高等学校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。また、大学在学中に学徒出陣で召集され、陸軍戦車学校に入り、戦車部隊配属となる。その部隊で一緒だったのがのちの司馬遼太郎であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。また、司馬と同様に西長堀アパートに居住していたこともある。1946年に文学同人誌『文学雑誌』に参加し、小説家としての活動を始める。1953年に発表した「らぷそでい・いん・ぶるう」が芥川賞候補となった。1957年に、同人誌『近代説話』を司馬、寺内大吉らとはじめる。歌謡曲の作詞も手がけ、地元大阪を舞台とした数々のヒット曲を世に送り出した。テレビドラマの脚本も数多く手がけた。若い頃からヨットマンとしても知られ、1977年には娘の紅子他1人と共に、ヨットで大西洋を無寄港で横断した。1985年に文楽の桐竹勘十郎とともに「大阪芸術賞」を受賞。2004年(平成16年)1月9日、肺癌のために死去。80歳没。「大阪芸術賞」の贈呈理由として、「大阪をこよなく愛し、大阪の盛り場の叙情を血肉化する数少ない作家」であり、「大阪の風俗・人情を哀感を込めて描く」作家として作品は高く評価されており、「大阪文壇の発展に寄与した功績は大きい」。
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写真集名護 : ひとびとの100年名護市史;別巻1名護市史編さん委員会 編集 名護市役所1990年初版カバー 320頁1名護市の現在 2ある風景の今昔 海と浜の風景 ヒンプンガジマルの今昔 樹のある風景 轟の滝・滝の風景 橋のある風景3戦前のあゆみ 明治大正期 名護まちの全景 名護大通り 主な機関と施設 アメリカ移民 戦前昭和期 主な機関と施設 昭和10年頃の名護まち 三中・三高女の創立 南洋と紡績へ 戦時体制下のくらし 出征と銃後のくらし 名護・山原の沖縄戦慰霊 4戦後のあゆみ 戦後の出発 収容所で 戦後復興期のくらし 1950~60年代-合併前の旧町村時代 旧町村で 名護の市場と街 バスと交通 映画館 米軍基地と辺野古 屋我地大橋 九州大会と東京オリンピック 復帰運動 1970年代-名護市誕生の頃から 名護市誕生 日本復帰と若夏国体 70年代のまちづくり 「730」 基地と市民運動 1980年代-市制10周年の頃から 市制10周年と市庁舎 80年代のまちづくり 友好と交流 海邦国体 まつりとイベント 桜まつり5風土・くらし・産業 集落と屋敷 田畑とくらし 水田と稲作 戦前の羽地大川改修 サトウキビ パイン さまざまな作物家畜 海とくらし 漁業 ハーリー 塩田とマースづくり 海を前にして ヒートゥ狩りと捕鯨 ヒートゥ狩り 捕鯨 山とくらし 川とくらし 災害と復旧 台風と水害 チリ津波 伝統の手仕事 手仕事 酒造 名護そば 新しい産業 6まち・むら・ひとびと 公民館と活動 村々の祭り 豊年踊り 人生の祝い 家族・友人・子供たち 家族・友人と 子供たち7教育・文化・スポーツ 小学校・中学校 名護地区 屋部地区 羽地地区 屋我地地区 久志地区 高校など 国頭農学校 第三中学校 第三高等女学校 名護英語学校 名護高校 北部農林高校 北部工業高校 名護商業高校 宜野座高校 農業大学校 名護養護学校 社会教育活動 名護琉米文化会館 社会教育活動 名護中央公民館 図書館 博物館 市民文化活動 展示会 音楽・芸能・舞踊・劇 あけみお展・フォトシンポ スポーツ活動 座談会:名護の写真の歴史を語る 名護市近現代史年表 索引 謝辞 写真提供・出典一 編集を終えて 事務局メモ 編集部会
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