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ノレブ 1969年版 カタログ ミニカー

暢気堂書房

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写真集名護 : ひとびとの100年名護市史;別巻1名護市史編さん委員会 編集 名護市役所1990年初版カバー 320頁1名護市の現在 2ある風景の今昔 海と浜の風景 ヒンプンガジマルの今昔 樹のある風景 轟の滝・滝の風景 橋のある風景3戦前のあゆみ 明治大正期 名護まちの全景 名護大通り 主な機関と施設 アメリカ移民 戦前昭和期 主な機関と施設 昭和10年頃の名護まち 三中・三高女の創立 南洋と紡績へ 戦時体制下のくらし 出征と銃後のくらし 名護・山原の沖縄戦慰霊 4戦後のあゆみ 戦後の出発 収容所で 戦後復興期のくらし 1950~60年代-合併前の旧町村時代 旧町村で 名護の市場と街 バスと交通 映画館 米軍基地と辺野古 屋我地大橋 九州大会と東京オリンピック 復帰運動 1970年代-名護市誕生の頃から 名護市誕生 日本復帰と若夏国体 70年代のまちづくり 「730」 基地と市民運動 1980年代-市制10周年の頃から 市制10周年と市庁舎 80年代のまちづくり 友好と交流 海邦国体 まつりとイベント 桜まつり5風土・くらし・産業 集落と屋敷 田畑とくらし 水田と稲作 戦前の羽地大川改修 サトウキビ パイン さまざまな作物家畜 海とくらし 漁業 ハーリー 塩田とマースづくり 海を前にして ヒートゥ狩りと捕鯨 ヒートゥ狩り 捕鯨 山とくらし 川とくらし 災害と復旧 台風と水害 チリ津波 伝統の手仕事 手仕事 酒造 名護そば 新しい産業 6まち・むら・ひとびと 公民館と活動 村々の祭り 豊年踊り 人生の祝い 家族・友人・子供たち 家族・友人と 子供たち7教育・文化・スポーツ 小学校・中学校 名護地区 屋部地区 羽地地区 屋我地地区 久志地区 高校など 国頭農学校 第三中学校 第三高等女学校 名護英語学校 名護高校 北部農林高校 北部工業高校 名護商業高校 宜野座高校 農業大学校 名護養護学校 社会教育活動 名護琉米文化会館 社会教育活動 名護中央公民館 図書館 博物館 市民文化活動 展示会 音楽・芸能・舞踊・劇 あけみお展・フォトシンポ スポーツ活動 座談会:名護の写真の歴史を語る 名護市近現代史年表 索引 謝辞 写真提供・出典一 編集を終えて 事務局メモ 編集部会 ¥2,500
桜井幸子写真集 ふたりぼっち I'm alone with you木村晴・撮影 出版社 ワニブックス 刊行年 1995年重版カバー桜井 幸子(さくらい さちこ、1973年(昭和48年)12月20日 - )は、日本の元女優・アイドル・歌手・司会者。千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)出身。2009年(平成21年)12月31日に芸能界を引退した。来歴1988年、サンスターアクアフレッシュのCMオーディションでグランプリを受賞したのをきっかけに芸能界入り。審査員長は作詞家の森浩美で合格者はビクターからデビュー予定であった。同CMで芸能界デビューを果たし、1989年、テレビドラマ『スワンの涙』で女優デビュー。同期に当時ビッグアップルに所属していた高橋由美子がいる。1990年には、CBS・ソニーよりアイドル歌手活動も行っていたが、その後は女優に専念。映画『おあずけ』で主演した他、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』ではバラエティー番組のコントに挑戦した。1992年、NHK連続テレビ小説『おんなは度胸』でヒロインを務める。翌1993年には、テレビドラマ『高校教師』で、真田広之演じる主人公と恋に落ちる女子高生・二宮繭役を演じ、一躍人気女優となる。野島伸司が脚本を執筆したテレビドラマの常連となり、1994年の『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』、1995年の『未成年』と野島三部作すべてに出演した。以後も1997年の連続ドラマ『友達の恋人』、2009年の連続ドラマ『コンカツ・リカツ』などに主演している。 ¥1,000

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五十一番めのザボン 昭和27年第5版 与田準一 著 帯付き 出版社 光文社 ページ数 237p 校舎を建てるために、片がわの枝を切られた「むくやん屋敷」のザボンの木――ザボンは51個の実を結び、実には生徒の発案で「手紙」がつけられて市場から北へ南へと送られ、いくつかの返事がきた……。詩人らしい感性と斬新な手法とで、大人と子供たちとの暖かい心の交流を描いた、戦後児童文学の代表作。与田 凖一(1905年6月25日(戸籍上は8月2日生まれ)- 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。作詞家橋本淳の父。ドイツ文学翻訳の与田静(1942- )は長女。與田凖一[1]、与田準一[2]の表記もある。日本ペンクラブ会員。1905年、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に浅山与太郎、スエの次男として生まれた。翌年、親戚の与田家の養子となり、以降は与田姓を名乗った。養父母を相次いで亡くしたため、実家である浅山家で育つ。1924年に筑後市で小学校代用教員に採用され、翌年から下妻尋常小学校訓導となる。ドルトン・プランの影響を受け、児童の作品とともに自作を『赤い鳥』などに投稿する。1926年教職を辞し、1928年北原白秋を頼って上京。『白秋全集』の校正を手伝うも体調を崩して一時帰郷する。翌年再び上京し、『乳樹』を創刊しつつ、赤い鳥社に入社する。1933年、同社を退社。1940年日本文化協会から第1回児童文化賞を受賞する。終戦後は周郷博の斡旋により、1950年から1960年まで日本女子大学で講師として児童文学を講じた。門下には、まど・みちおをはじめ、岩崎京子、生源寺美子、あまんきみこ、神沢利子らがいる。1962年より日本児童文学者協会の第6代会長を務めた。1967年『与田凖一全集』でサンケイ児童出版文化賞、1973年『野ゆき山ゆき』で野間児童文芸賞を受賞した。
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