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乏しさの自覚 宮下晢之助

暢気堂書房

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まぼろしの薩摩切子 一瞬のきらめき[図録] 土田ルリ子, 井垣万里子, 安河内幸絵編集 出版社 サントリー美術館 ページ数 239p サイズ 27cm 江戸時代後期、日本にも虹色に輝くガラスが登場。江戸切子や薩摩切子と呼ばれるカットガラス。かつて、西洋からもたらされた無色透明のカットガラスは、その洗練された美しさから「ギヤマン」と呼ばれました。「ギヤマン」は、ポルトガル語の「ディヤマンテ」を語源とし、「ダイヤモンド」を意味します。日本で生まれたカットガラスの中でも、とりわけ鹿児島・薩摩藩が力を尽くして生み出した薩摩切子は、多様な色彩と豊富な文様とのハーモニーが最大の魅力。弘化3年、薩摩藩主・27代島津斉興が始めた薩摩のガラス産業は、息子・斉彬の代に飛躍的な成長を遂げる。イギリスの力強い直線やボヘミアの優美な曲線など、その造形にはヨーロッパの影響が多々見られます。海外輸出も視野に入れた藩の特産品として開発されたこともあって、現存する器は、将軍家や大名家などに伝来するものも少ない。しかし文久3年、薩英戦争によってガラス工場が破壊されると、その製造は衰退の一途をたどります。幕末の十数年の間に一気に興隆し、明治初期には制作されなくなり、はかない運命を遂げた薩摩切子。その成り立ちから終焉までを約160件の作品で一挙公開。さらに、これまで存在が明らかにされてここなかった「無色の薩摩」にも着目し、近年の調査の結果も踏まえつつ、その一端をご紹介。西洋への憧れと日本的な美意識とが融合した、独自の美の世界。 ¥2,500

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日日の光 武井武雄表紙絵 著者 野辺地天馬 出版社 虹の家 刊行年 昭和40年重版 ページ数 205ページ サイズ 文庫版  巻頭無地頁に献呈名入り 発行所 ヨルダン社野辺地 天馬(本名三右衛門、1885年〈明治18年〉1月17日 - 1965年〈昭和40年〉4月24日)は、岩手県福岡町(現二戸市)出身の児童文学者、キリスト教牧師、伝道師である。渡辺善太は義兄である。1885年(明治18年)1月17日、岩手県福岡町(現・二戸市)に生まれ、1890年(明治23年)に郵便局勤務であった父の転勤により盛岡市へ転居。1889年(明治22年)、盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)へ入学した。同級生には石川啄木、伊藤圭一郎(『人間啄木』の著者)らがいた。幼いころから教会に通い、1899年(明治32年)に洗礼を受けた。その年11月盛岡で行われた中田重治の集会での説教を聞いて献身を決意する。盛岡中学校を中退し、東京の青山学院中学部に入学。1904年(明治37年)には神保町にあった東洋宣教会聖書学校に入り、本格的にキリスト教を学んだ。その後、岩手県花巻市、伊豆、仙台、名古屋、千葉などで伝道をするが、それまで所属していた東洋宣教会を離れて独立、1917年(大正6年)に児童講演社を興し、宣教団体や教団に頼らず講演と執筆により児童伝道と児童文学を実践した。特に「日曜学校」の教授法を教えるため各地を回ってあるき、また紙芝居に似た手法を用いて子供たちに伝道した。児童文学誌では、『虹』、『小光子』などを発刊、また、婦人之友社発行の『子供之友』編集者としても活躍した。童話集では、『金の鈴』、『母を慕ひて』などを書き、伝道用には、子供向け「旧約聖書」などを執筆した。戦後は日本ホーリネス教団東京聖書学院の講師、教授を勤め、後進の指導にあたった。
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映画パンフ(新世界芸能社) 罪と罰 監=ジョルジュ・ランパン 出版社 出=ロベール・オッセン ドストエフスキーの「罪と罰」を「幸福への招待」のシャルル・スパークが、全く現代風に置きかえた脚本にし、「二百万人還る」のジョルジュ・ランパンが監督した文芸篇。撮影監督は「河」のクロード・ルノワール、音楽は「われら巴里ッ子」のモーリス・ティリエ。主な出演者は「不良の掟」の監督で俳優出身のロベール・オッセンと「野性の誘惑」のマリナ・ヴラディの夫妻を中心に「ヘッドライト」のジャン・ギャバン、「夏の夜は三たび微笑む」のウラ・ヤコブソン、「洪水の前」のベルナール・ブリエ、「快楽」のガビ・モルレ、昨年来日、東宝「裸足の青春」に出演したローラン・ルザッフルなど。監督 ジョルジュ・ランパン 脚本 シャルル・スパーク原作 フョードル・M・ドストエフスキー製作 ジュール・ボルコン撮影 クロード・ルノワール Louis Stain音楽 モーリス・ティリエ ロベール・オッセン Rene Brunelロベール・オッセン ジャン・ギャバン Commissar Galletジャン・ギャバン マリナ・ブラディ Liliマリナ・ブラディ ウーラ・ヤコブソン Nicoleウーラ・ヤコブソン ベルナール・ブリエ Antoine Monestierベルナール・ブリエ ギャビー・モルレー Brunel's Motherギャビー・モルレー イベット・エチエバン Therese MarcellinYvette Etievant ジュリアン・カレット Pierre Marcellinジュリアン・カレット ローラン・ルザッフル Andre Painterローラン・ルザッフル1956年製作/フランス
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CD2枚 石川優子 Stupid Cupid 月曜日のシャンプー 見本品小学校4年生の時に守口市少年少女合唱団に10倍以上の競争率を乗り越え合格した。中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活動した。1978年、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会に、CHAGE and ASKA、円広志、大友裕子、クリスタルキングらと共に出場し、「夜の雨」を歌った。1979年、国際チリ音楽祭に「悲しさ夢色」で出場した。同年3月「沈丁花」でプロデビューした。続く2枚目シングルでは、石川本人が作詞・作曲した「レット・ミー・フライ」をリリースした。同年10月発売の三枚目のシングル「クリスタル モーニング」が、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、スマッシュヒットした。1981年には、シングル「シンデレラ サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソングに使用された。ラジオ番組のDJとしても人気を集め、『MBSヤングタウン』木曜日をはじめとして、数々の番組を担当した。また、音楽活動だけに留まらずタレントとしても活動した。グラマラスな体型をグラビア雑誌で披露することもあった。「シンデレラ サマー」のヒットの際には、『ザ・ベストテン』(TBS)に7週連続登場した。『ザ・ベストテン』の放送日が『MBSヤングタウン』の担当曜日である木曜日であったので、MBSの千里丘スタジオや隣のミリカプールなどで毎回中継が行われていた。1983年頃から、他のアーティストやアイドルへ楽曲提供するようになる。1983年に河合奈保子、1984年には早見優、さらには冨永みーな、デューク・エイセス等にも作品を提供し、ソングライターとしての活動も活発に行う。1984年、「石川優子とチャゲ」名義でシングル曲「ふたりの愛ランド」をリリースした。同曲は、「シンデレラ サマー」と同じくJAL沖縄キャンペーンソングに使用された。チャゲ作曲の小気味よいデュエット曲はその夏の代表的なヒット曲となり、ザ・ベストテンには11週連続登場(最高2位)する快挙であった。オリコン年間ランキングにおいては16位、ザ・ベストテン年間ランキングでは10位を獲得した。
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